第10回(2018/07/01)



●「公方様(くぼうさま)悪口(あっこう)(たた)り」『幕末百話』( 篠田鉱造著 岩波書店)より~

『幕末百話』とは

  本書は、幕末維新の激変期に生きた庶民が語る実話集である。明治の半ば、新聞記者の著者が、幕末の古老の話を採集、編集したものだ。その中から、特に面白い編を抜粋し、筆者の読後感を記す。100年以上前の話にもかかわらず、只今現在、目の前で肉声を聞いているような臨場感と迫力がある。

「公方様悪口の祟り」

◆本編の荒筋


  嘉永(かえい)3(1850)年(米使ペリー来航の3年前)、一人の町人が、公方(くぼう)(徳川将軍)の悪口を言ったと疑われ、逮捕、拷問に逢った辛い体験の話である。

本編の内容

神田の形万(かたまん)

 私は昔の事は皆忘れましたが、今以(いまも)て忘れられませんのは、今から53年跡私が22歳の時、即ち嘉永3年6月11日、日までも覚えていますよ。その当時神田松ケ枝町に住み形万と申して職人の4,5人もつかっていましたが、ツイしたことから口が(すべ)り、公方様を悪くいった訳じゃない。

  相手から話し掛けられ、二言三言相槌(あいづち)を打ったばかりに、どうです拷問にあったんです。牢へ入れられて辛い目に遭いました。実に徳川は(ほろ)びて好い気味だと思うくらいです。

神妙にしろ

  ああいう事をしたら滅亡します。私の家には病人の母と(みもち)の妻がありまして、家内波風なく、(むつま)じくこう申しちゃアなんですが、暮向(くらしむき)もよかったんで。家内安全息災長命(ちょうみょう)子ども早く産まれろ、阿袋(おふくろ)(なお)れ。ソレより外に申し分なかったところ、(ぜん)申した6月11日の朝です。

  八丁堀(はっちょうぼり)から二人の探偵(おかっぴき)がズカ〱入って来て否応(いやおう)言わさず、ヒシ〱と裏手(うしろで)踏縛(ふんじば)り、「御用だ、神妙にしろイ」というのです。(あき)れが礼に来るとはこの事でしょう。(やぶ)から棒に縛って置いて、神妙にしろだ。

  57歳の病母と(みもち)の女房とが呆気(あっけ)に取られて、(おどろ)き嘆くのを足蹴(あしげ)にして、(すが)らんとすれば寄付けもせぬ。何の事やらその日は分からずじまいで、牢へ引かれちまったんで。

今の公方様

  入牢後19日間疑団(うたがい)が解けやしません。スルてえと19日目に引き出されて、御取調(おとりしらべ)になって、驚いたのは()みたいな事が原因(もと)でした。徳川の末だったんで、こんな事を気に掛けやがったんです。

  お話しするのも馬鹿々々しいくらいでさア。豊島町(としまちょう)にどん〱湯というのがありましてソノ前の晩、仕事を仕舞って一風呂(ぱい)あびにいったと思召せ。

 同町内の芋屋の主人で、長谷川というのが、こうなんです。こういいやがったんで、いろんな話しの末に、「今の公方様じやア納まりませんや」というから「そうですなア」と相槌を打ったんです。コレが探偵の耳へ入って入牢なんで。ところが長谷川は私が話し掛けたと申し上げていたんで、謀反人のように思われたんです。

実に情けない

  牢内でも名主(なぬし)の友三郎(五〇年輩)というのが、「お前は公方様を罵ったそうだが、軽くって遠島だ。当分娑婆(しゃば)の風にやアあたられねエ」というので、実に情けないの、なくないのじゃアありません。

  涙が雨垂(あまだれ)のようにポタリ〱と落ちやがるんで、阿母(おふくろ)や女房の事が思われ、決心の上「白状しますから母と女房に逢わして下さい」と嘆願に及ぶと、数日経って拷問所へ引き出されましたが、母と女房とが手拭(てぬぐい)を顔に宛てて泣いている。

  ソレを見ると、その悲しさといったら、涙の留度(とめど)がありませんでした。母も女房も私を見て、唏嘘(しゃくりあげ)て泣いたというのは、牢の(やつれ)と毎々の拷問で脚に水気(すいき)を持ち、ビードロのように()れ、人の肩につかまって出たんで、絶えて久しい面会、縋付(すがりつ)きたい程の心を耐え忍ぶ辛さ女房はこの姿を見て気絶する騒ぎ。

夫婦の拷問

  呼吸(いき)を吹返した女房は恐ろしく気が強くなり、「御役人様良人(やど)は決して御上様(おかみさま)(あし)く申しは致しません」という。「黙れ、サア万吉、白状しろ」。女房「ない事は決して被仰(おっしゃ)るな」といったばっかりに、女房よねも拷問に掛けられたんですが、どうです。

  孕の女を(なぐ)る〱〱。ヒー〱泣き叫ぶ。ソレを聞く私と母の心中、お話しは出来ません。私も同じく拷問です。夫婦責殺されると思い、殺されたら佐倉宗五郎(さくらそうごろう)になって公方様を取殺してくれようと思いましたが、長谷川が拷問でとうとう白状に及んだため、私は無罪となりましたが、長谷川は死刑になったと言いますよ(牢死だとの話しもありました)。なんと恐ろしい政治(むき)じゃアありませんか。

感想

「今の公方様じゃ
ア納まりませんや」という知人の話しに、「そうですな」と相槌を打ったばかりに,あらぬ疑いを掛けられ、逮捕、拷問、自白の強要を迫られた被疑者の体験談である。思想、言論等の自由が束縛された幕藩体制下では、何気ない発言が、生命の危険に晒される怖い時代だったのだ。

  かくして、後年の被疑者は、「昔の事は皆忘れたが、この辛い体験は、53年後の今も、当日の日付まで覚えている」とし、「徳川は亡びて好い気味だ」の述懐は、まさに実感だろう。

 この例の被疑者は、たまたま無罪放免されたが、冤罪(えんざい)は当時、少なからずあったのではないだろうか。現代と違って、科学的証拠固めがなく、取り調べ側の都合と、拷問による自白強要の手法が多用されたからだ。苛酷な責めで、被疑者は拷問の苦痛に耐えられず、無罪であっても、「私がやりました!」と有罪としての、虚偽自白をしてしまうのだ。つまり、「冤罪はつくられる」のである。下記の書には、こう記されている。


「取り調べ(吟味)を行う者が熟練していればいるほど、虚偽自白を促し、冤罪を起こしがち・・・。あの名奉行大岡越前ですら、被疑者への厳しい尋問によって、無罪の囚人に虚偽の自白をさせてしまった」という。

                                「江戸時代の罪と罰」 氏家幹人著 草思社
 

 当時の取調べは、時代劇のように、「これにて、一件落着!」の公正な裁定には、程遠かったに違いない。


                                                                                                                  以上                       

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