芥川賞作家は、80年で160名を超える。が、元祖芥川を凌駕(りょうが)する人はいるだろうか。この賞は、百万単位の販売創出には成功し。が、百年来の国民的作家の創出に成功たとは言えないようだ。これを泉下(せんか)の芥川は、喜んでいるだろうか、嘆いているだろうか。

○ 漱石、鴎外、芥川、谷崎等、国民的作家は、幼少時より古今東西の古典に親しんできた。天分の上に、豊かな学識と深い教養の裾野が拡がり、独自の創造が展開されてきたのだ。その蓄積がなければ、狭い、身辺の経験を延長した身辺雑記では、やがて、行き詰ってしまうだろう。大作家は、一日にして成らずである。

○ 紅毛碧眼(こうもうへきがん)は、欧米人の代名詞である。この紅毛は、茶髪として、日本に拡がってから久しい。近年、女児が生まれると、その名前も、伝統的名前の「○子」は敬遠され、欧米人名を模した表記が流行している。沙羅(サラ)絵理(エリ)杏奈(アンナ)等である。脱日本人化ないし、西洋人模倣・憧憬の風潮は続くだろう。もし、安全で、他人から、碧眼と見られるコンタクトレンズが発売されれば、忽ち売り切れるかもしれない。

○ モンロー・ウオークと呼ばれた歩き方があった。若きマリリン・モンローが、腰をくねくねと左右に振りながらセクシーに歩く姿態を言い、男たちは悩殺された。が、もしモンローが、百歳まで生き、杖をついて、ヒョロヒョロと歩く姿になれば。ああ、それを見ることが無かったのは幸いである。 

○ かつて、「カサブランカ」と言う映画があった。ボガードが、天下の美女バーグマンの(うる)んだ目を見つめてささやいた。「君の瞳に乾杯!」と。ああ・・何とロマンチックなセリフだろう。が、もし50年後彼等が再会したなら、ボガードは思わず、叫んだだろう。「君の・・・老眼鏡に・・・乾杯!」と。ああ・・・悲しいかな!人は歳をとるのだ。

 如何に天下の美女といえども、排泄(はいせつ)はするだろう。が、AKB48等アイドル達は、トイレ行き禁止だそうだ。されば、彼女たちの膀胱や腸は、余程、特殊な構造に整形されているに違いない。

(よみがえ)つた神の手を持つ天才絵師

      昔、ある男が 帰依(きえ)する佛に尋ねた。「私は青物問屋の跡取りですが、どうも本腰が入りません。遊びや、女にも興味はありません。唯、絵が大好きで合間に描いています。が、一体、人生に意味があるのだろうか、と深く悩む時があります。これを、どう考えればいいのか、どうかお教えください」 と。

  佛は答えた。「人生に固有の意味はない。夫々が個有の意味付けをすればよいのだ。(色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき))の通り、形あるものは、滅び、また因縁により、生まれ変わる。何よりも、(人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ)という人生・空の法則を自覚せよ。その上で、(空即是色)、つまりこの(空)を、夫々が何らかの(色)に変えれば、忽ち意味を生じるのだ。

 例えば、お前の絵に使う白い紙、これは、無限の可能性を宿す宇宙空間の(空)だ。そこに、お前が描きたい対象の絵(色)を描き、これが出来れば、死んで本望と思える程、身命を賭して打ち込むのだ。そうすれば、その絵の完成時、(空即是色)となり、無上の喜びを感じると共に、(人生の意味)を悟るであろう」 と。

          

       男は言った。「ありがとうございます。前から、思い描いていた佛画を描き、お側に莊厳(しょうごん)させていただきます。只今、決心しました。これが成就するまで、妻もめとらず、俗界を捨て、全身全靈を尽くします」 と。この男は、その後、この言葉通り、10年をかけて佛画制作に沒頭、「釋迦三尊像(しゃかさんそんぞう)」 3(ぷく)と 「動植綵繪(どうしょくさいえ)」 30を完成、寺に寄進した。

 当時、この男は、「神の手を持つ天才絵師}と、評価されていたが
更に、時移り、彼の「生誕300年記念展・2016/5」 が東京の都美術館で開催された。これを鑑賞しようと、連日、長蛇の列ができ、1か月間で、40万人余(1日平均1万3千人)が入館、誰もが感嘆の声をあげた。蘇つた神の手を持つ天才絵師、この男の名を伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と言う。

                                                           以上

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