弘文天皇御陵          弘文天皇御陵



大友軍 壬申の乱に敗れ


青年天皇 自刃す この地にて 


御陵に伏して 遙かなる詩人に伺ふ


お淨土にては 如何なる詩を詠ひ給ふやと

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         弘文天皇御陵  (大津市御陵町)

弘文天皇とは、天智天皇の皇子 大友の皇
子のこと。天智天皇が大津宮で崩御すると、
大和を中心とする舊勢力が大海人皇子(お
おあまのおうじ)の下に集り、大津の大友の皇
子の軍に對抗して、いわゆる壬申の亂を起
した。戰いは、大海人軍が勝利し、大友の
皇子は、この地で自害し、二五歳の生涯を
閉じた。大友の皇子が、即位したかどうか
不明であるが、明治三(一八七〇)年、明
治天皇から弘文天皇と追謚された。
大友の皇子には、漢詩集の代表的な古典で
ある『懷風藻』に次の作品がある。

    供宴(宴に供す)

皇明光日月  光明日月光り

帝徳載天地  帝徳天地に載つ

三才竝泰昌  三才竝に泰昌

萬國表臣義  萬國臣義を表す 


壬申の亂 じんしんのらん  六七二年、天智
天皇の歿後の皇位繼承をめぐる古代最大の
内亂

                                                                                                       


                                           

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