萱野三平舊邸          萱野三平舊邸



三平 討入りの義盟に加はれども


自刃したり 忠孝 兩立に窮して 


涓泉に問ふ 佛土の同士と


何を相語り 如何なる句を作りたるかと

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                            萱野三平舊邸  (大阪府箕面市萱野)

萱野三平は、大嶋義近の推擧により、淺
野内匠頭長矩に仕え、長矩刃傷事件の時
江戸から赤穗への急報の使者になった。
のち、大石内藏助らと共に吉良上野介義
央仇討の義盟に加わるが、大嶋家をはば
かる父の反對で、亡君と父の板鋏みに窮
し、元祿一五年(一七〇一)、當邸で自
刃した。三平は「涓泉(けんせん)」と
いう俳號を持ち、江戸俳壇で活躍してい
た。次は、辭世の俳句である。

  晴ゆくや日ごろ心の花曇り

のち、三平は『假名手本忠臣藏』の早野
勘平のモデルになった。

萱野 かやの

舊邸 きうてい  昔の邸宅

討入 うちい
         
義盟 ぎめい  ここでは、仇討の誓いを
             すること。  
        
涓泉 けんせん 三平の俳號

佛土 ぶつど  淨土

                                                                                                        


                                        

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