待賢門院櫻        待賢門院櫻



雨中 池泉の苑を 廻遊すれば


枝垂れ萬花 珠艷に溢る


女院の麗花 是かと 仰視し


花片に滴る雨に 紅涙を想ふ












法金剛院境内(京都市右京區花園扇野町)

待賢門院櫻 たいけんもんゐんざくら
法金剛院の庭園にある枝垂れ櫻。美貌の女院、
待賢門院にちなんで、こう呼ばれている。

法金剛院 ほうこんごうゐん
律宗・唐招提寺に屬す。平安時代の初期、右
大臣清原夏野が山莊を建て、死後、寺として
双丘寺となった。その後、衰退したが一一三
〇年(大治五)鳥羽天皇の中宮、待賢門院が
再興し法金剛院とした。境内には、女院が極
樂寺として造園させた「池泉廻遊式淨土庭園」
があり、その一角に待賢門院櫻と呼ばれる華
麗な枝垂れ櫻がある。

待賢門院 たいけんもんゐん
鳥羽天皇の中宮、藤原璋子(しょうし)。
死後、「保元の亂」で兄弟相爭つた崇徳天皇、
後白河天皇の母。美貌の女院であったが、鳥
羽天皇の寵愛が美福門院(藤原得子)に移っ
たことや、更に不幸な出來事が續いたことで
權勢を失い、一一四二年(康治元)ここ法金
剛院で落飾した。女院は苦惱に苛まれ、失意
の内にここに隱棲したのであるが、心安らか
な日々は長く續かず、その三年後、悲劇の生
涯を閉じた。

苑 その

萬花 ばんくわ  多くの花

珠艷 しゆえん  珠のように美しいこと

女院 にようゐん  天皇の母等に對して朝
廷から與えられる尊稱。ここでは待賢門院
を指す。

仰視 ぎやうし  あおぎ見ること

花片 くわへん  花びらの一枚一枚

滴る したたる

紅涙 こうるい  美人の涙。ここでは待賢門院
             の涙を指す。

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