豐臣秀次墓      
  豐臣秀次墓    


秀頼誕生に 繋累及び 


秀次一族 末路哀し


悲運 落命の婦女を悼み


合掌す 靈魂 永劫に安かれと

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         瑞泉寺境内  (京都市中京區河原町)

豐臣秀次(ひでつぐ)は秀吉の甥。
秀吉の長男鶴松の死後、その養子になり
關白を讓られた。しかし、淀君に秀頼が
誕生したため、秀吉から次第に疎まれ、
高野山に追放されて、文祿二年(一五九
三)七月一五日切腹になった。
妻妾、子弟三〇餘人も京都三條河原で處
刑された。寺の境内には、秀次を中心に
妻妾等處刑された人々の墓がある。
次は、殘されている辭世の一部である。

 一の臺(正室 享年三四)

    つま故に曇らぬ空に雨降りて 
          白川草の露と消えけり

 おさな(美濃 武藤長門の娘 享年一六)

    盛りなる花は嵐にさそはれて
          散るや心の奧ぞ悲しき

繋累 けいるい  つながること
         
末路 まつろ  一生涯の最後

永劫 えいごふ  無限に長い年月

                                                                                                       


                                           

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