ガラシャ夫人居宅跡         ガラシャ夫人居宅跡


夫人 自刃す 隸屬拒んで


以て助くる 關ヶ原 忠興の功 


唯殘りたる井戸を 今諦視すれば


痛むは 夫人の悲哀と殉節
 










               越中井 ゑつちゆうゐ (大阪市中央區玉造)

細川越中守忠興(ただおき)の屋敷跡で、越中
井は、その臺所にあった井戸と言われる。忠興
の妻は、明智光秀の娘、玉(たま)で、キリシ
タンとなり、洗禮名をガラシャという。慶長五
年(一六〇〇)、關ヶ原の戰いの前、忠興が家
康に従って出陣の留守中、石田三成は諸大名の
妻子を人質として、大坂城に移そうと圖つたが、
夫人は夫の意を汲み、これを拒絶し自殺した。
夫人の殉節に感じたのか、その直後の関ヶ原の
戰いで、忠興は目覺しい戰功をあげ、豐前小倉
三九萬石に移封された。夫人の辭世が殘されて
いる。

     散りぬべき時知りてこそ
       世の中の花も花なれ人も人なれ

隸屬 れいぞく    從いつくこと

諦視 ていし  じっとみること

殉節 じゆんせつ  節義を守つて死ぬこと
                                                                


                                           

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