壇ノ浦古戰場址         壇ノ浦古戰場址



知盛「今は見るべき事は見果てつ」と


平家一門 遂に この海に滅びたり  


今 海域に 戰ひの片鱗を求むれども


眼前の鐵橋に ただ斷絶を見るばかり

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                          壇ノ浦古戰場址(山口縣下關市壇ノ浦町)

ここは源平合戰で有名な壇ノ浦古戰場址
である。一の谷・屋島の合戰で敗れた平
家は、ここ長門・壇ノ浦まで逃れ、彦島
を本據として背水の陣を敷いた。一一八
五年(壽永四)三月二四日、源義經率い
る源氏の兵船は、義經の奇襲戰法と潮流
の變化が幸いして、優勢に轉じ、午後四
時頃に勝敗が決した。清盛の妻二位尼時
子は、八歳の安徳天皇を抱いて海中に身
を投じた。平教盛・平資盛・平有盛等も
入水、一門ことごとく滅ぶのを見た平知
盛は、「今や見るべきものは見屆けた」
と、入水した。ここにおいて、驕れる平
家は、遂に滅亡した。
この合戰は、海上の戰鬪だったので、當
然のことではあるが、戰いを偲ぶものは、
何も殘つていない。
今、この古戰場址一帶は、本土と九州を
距てている關門海峽で、眼前には壯大な
關門橋が架けられている。

知盛 とももり  平清盛の子。重盛、宗盛
の弟。一一八〇年(治承四)源頼政を、宇
治にて滅ぼし、八一年(養和一)源行家を、
美濃において破つた。壇ノ浦合戰では、平
家軍の司令官であった。

入水 じゆすい  水中に身を投げて自殺す
              ること

片鱗 へんりん  極めて小さい部分

鐵橋 てつけう  ここでは、本土と九州を
結ぶ全長約一Kmの吊り橋、關門橋を指す。

                                                                                                       


                                           

戻る 進む TOP