2 26事件慰霊碑        
     
     
  二・二六事件 慰靈碑



將校 維新圖らんと蹶起すれども


勅命に服し 刑場に消え逝きぬ


時代に殉死したる志士に傳ふ


時代閉塞 今猶 變らじと

                                                                          







                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                         澁谷公會堂西側 (東京都澁谷區宇田川)

二・二六事件 に・にろくじけん

昭和十一年(一九三六)二月二十六日、
陸軍の青年將校らが、國家改造=昭和維
新を目指し、約一四〇〇名の部隊を率い
て、首相官邸等を襲撃したクーデタ事件。
内大臣齋藤實等政府要人を殺傷、政治・
軍部の中樞部を四日間占據した。しかし、
翌日戒嚴令公布、二十九日に天皇の原隊
復歸の奉勅命令により、四日目で鎭壓さ
れた。
蹶起の中心となった幹部・將校らは逮捕
され、軍法會議により裁かれた。
死刑一七人、無期禁錮五人等、處刑はこ
こ、かっての陸軍刑務所で行われた。

この事件の背景には、農村の疲弊と政府
の無策に對する青年將校の絶望感と反撥、
更に、陸軍内部の派閥抗爭があった。事
件後、肅軍の名のもとに、軍部の政治介
入と支配が著しく強化され、時代は軍部
獨裁の道に突き進んで行つた。

事件の中心人物の一人で、死刑になった
磯部淺一(元一等主計)が、處刑前の獄
中で記した次の手記は、激烈で凄じい。

何ヲツ!,殺されてたまるか、死ぬもの
か、千萬發射つとも死せじ、斷じて死せ
じ、死ぬことは負けることだ、成佛する
ことは讓歩することだ、死ぬものか、成
佛するものか、惡鬼となって所信を貫徹
するのだ、ラセツとなって敵類賊カイ滅
盡するのだ。

今は、ここ澁谷公會堂の西側に事件刑死
者の慰靈碑がある。

蹶起 けつき  思いきって立ち上がること

勅命 ちよくめい  天皇の命令

閉塞 へいそく  とざされふさぐこと
                                                                                                         


                                           

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