カリンニコフなエッセイ

オルケスタ・デ・ラ・テキーラの曲紹介[2000.4.22]
 先日、一枚のCDがうちに届きました。「Orquesta de la Tequila 1st Concert」というものです(画像左)。
 このオルケスタ・デ・ラ・テキーラは、カリンニコフの交響曲第1番をやりたい人たちが中心になって結成されています。知り合いの打楽器奏者がその中心人物の一人だったということで、たつみがパンフレット(画像右)に曲紹介を書くこととなったのでした。

CDブックレットパンフレット曲紹介

 以下に、その曲紹介をのせておきます。

 カリンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov)は、1866年1月13日、ロシアのオリョール地方のヴォイナに生まれました。
 1884年、モスクワ音楽院に入学したものの貧しくて学費が払えず、翌年フィルハーモニー協会音楽学校に移り、劇場のオーケストラでファゴット、ティンパニ、ヴァイオリンを演奏して生計を立てていました。1892年、卒業して間もなくチャイコフスキーの推薦により劇場の指揮者になりましたが、在学中に患った結核治療のため南クリミアに移ることになります。
 この交響曲第1番は、ヤルタで療養中の1894〜95年に書かれたもので、親友であるクルグリコフに捧げられました。その後、ラフマニノフがピアノ連弾版の出版などに関わって援助を行うのですが、カリンニコフの病状は回復することなく、1901年1月11日、35歳を目前にしてこの世を去っています。
 日本における交響曲第1番の受容について、いくつかのエピソードがあります。
 日本初演は、1925年4月28日の日露交歓交響管弦楽演奏会で近衛秀麿指揮により行われたとされています。近衛氏は、前年のベルリン・フィルでのデビュー時にも交響曲第1番を振っています。
 その2年後の1927年6月12日、メッテル指揮の新交響楽団定期演奏会を聴いて感銘を受けた一人の若者がいました。彼は翌年、現在の京都大学に進学し、メッテル氏に指揮を学ぶようになります。その若者とは指揮者・朝比奈隆氏であり、そのときの演奏会のメインがこの曲でした。
 1990年代に入ってからはCDもいくつか発売され、アマチュアオーケストラでも取り上げられています。ここ数年は、年4〜5回は演奏されるようになっています。
 この曲で一般に言われるのは、第一楽章の第二主題の美しさでしょう。ですが、コールアングレによって第二楽章の第一主題が奏されるときがこの曲の最も幸福な一瞬であり、それがフィナーレで再帰され大団円を迎えるところに最大の魅力があると思っています。
 今日の演奏は、日本における2000年代最初の演奏となります。
国立音楽出版の交響曲第1番のオリジナルスコア入手[1999.12.19]
 交響曲第1番のスコアは、1947年に出版された国立音楽出版のものと、1975年に出版されたムジカ社のものの二種あります。後者はモスクワ音楽センター日本支部の復刻版をすでに入手していたのですが、今回、前者のオリジナルを同じくモスクワ音楽センター日本支部より入手することができました。
 たつみが最初に入手したスコアはkalmus版だったのですが、国立音楽出版のオリジナルを入手したことにより、kalmus版が国立音楽出版のコピーであることが確認できました。所有楽譜紹介に両者の画像をおいてますので、1楽章冒頭の部分を比較してもらえば分かると思います。
 今後の作業としては、国立音楽出版とムジカ版との相違点をコーナーとしてまとめたいと思っています。
近衛秀麿とカリンニコフ[1999.10.15]
 交響曲第1番の国内初演は、1925.4.28の日露交歓交響管弦楽演奏会とされています。その時の指揮者が近衛秀麿なのですが、彼は前年のベルリンデビューの際にすでに交響曲第1番を振っていたという情報をTb吹きさんからいただきましたので紹介します。

1924.1.18 ベートーベン・ザール
近衛秀麿指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
チェロ:フェリックス・ロベルト・メンデルスゾーン
アルト:フリーダ・ランゲルドルフ

モーツァルト/歌劇「劇場支配人」序曲
ラロ/チェロ協奏曲ニ短調
近衛秀麿(編曲?)/「子守歌」「舟歌」など4曲の日本歌曲
カリンニコフ/交響曲第1番ト短調

出典:クリストファ・N・野澤/「幻の名盤」第28回(ストリング'99年9月号)


 なお近衛氏は1929.1.12の新交響楽団(現NHK交響楽団)との演奏会でも交響曲第1番をとりあげています。日本におけるカリンニコフ演奏史では、朝比奈氏の項で紹介したメッテル氏とならんで重要な位置を占めるだろうと思われます。
交響曲第1番のCD、8種類そろいました。[1999.5.26]
 下記のトスカニーニ盤が5/24に到着し、シェルヘン盤もTAHRA(Music & Arts)のHPに発注していた分が5/25に到着しました。ということで、現時点で確認している8種類がそろったことになります。
 ということで、現時点での交響曲第1番のCDの入手方法について書いておきます。
 まず、一般に入手しやすいのはクチャル盤(NAXOS)、ヤルヴィ盤(CHANDOS)、フリードマン盤(ARTE NOVA)の3種類でしょう。輸入クラシックを扱っている店なら、比較的おいてあるものと思われます。TAHRAから出ているアーベントロート盤シェルヘン盤は、ともに2枚組・5枚組の中の1枚ですが、思い切って買うとすれば、TAHRAのHPに行って、直接発注するのをおすすめしておきます。前者が約$20、後者が約$30、送料が約$10で、まとめ買いすれば$60弱で入手できることになります。トスカニーニ盤(Relief)は、国内のメーカーである日本クラウンに若干在庫があるようなので、web上に関わらず注文すれば入手できる可能性があると思われます。店頭で見つけるのは、ほぼ不可能なようです。あとTOWERRECORDでも一応リストに残っていますが、TOWER RECORDには在庫がなく、Special Orderとなっています。ただし、TOWERRECORDはamazon.comCDNOWに比べて送料が高いようなので、たつみ自身は国内盤入手の方法をとりました。スヴェトラーノフ盤(MELODIA)は、国内では入手不可能と言っても過言ではないでしょう。ただしモスクワ音楽センターにて、交響曲第1番の復刻をしている関係からか、まれにロシアで直接仕入れてくることがあるようです。ドゥダロワ盤(MELODIA)は、TOWER RECORDのみリストに残っていましたが、トスカニーニ盤と同様、Special Orderとなっているので、入手は困難だと思われます。
トスカニーニ盤、入手できるかも[1999.5.18]
 このところ、WEB上のCDショップをいろいろ回っているのですが、交響曲第1番のトスカニーニ盤だけはなかなか見つけられませんでした。
 ところが先日、上新電機のWEBショップ「かいどうらく」のCDショップDISCPIERに行くと、リストに「トスカニーニ・ロシア音楽を振る2」があげられていたので、とりあえず発注してみました。すると今日、以下のようなメールが来ました。

 この度は「CDショッピング」をご利用いただきましてありがとうございます。5月13日にご注文いただいた「トスカニーニ・ロシア音楽を振る2」は、メーカーの中央倉庫に在庫がございますので、入荷に10日ほどかかる予定です。品切れキャンセルをご選択いただいておりますが、商品の入荷を待たせていただいてよろしいでしょうか? キャンセルご希望の場合は御連絡下さい。それでは、商品が入荷次第、発送させていただきます。

 当然、キャンセルなんてするわけがないので、このメールのレスはせずに、入荷を待つことにします。入手次第、またおしらせしたいと思います。
弟も作曲家[1999.5.11]
 先日、カリンニコフの声楽曲の入ったCDを2枚入手したのですが、ワシリーではなく、弟のヴィクトルの曲だったのでした。
 ヴィクトル・カリンニコフ(Victor Kalinnikov、1870-1927)は、モスクワ宗務院聖歌学校およびモスクワ音楽院を卒業し、聖歌学校で指導にあたるかたわら宗教曲を書いています。それらの曲は、ロシアの合唱団のレパートリーとなっているらしく、兄の書いた曲よりも演奏機会は多いのではないかと思われます。
 参考のため、前述の2枚のCDを紹介しておきます。

ア・カペラ(「陽がのぼる」「冬」収録)
国立モスクワ・アカデミー少年合唱団
指揮:ヴィクトル・ポポフ
DENON, COCQ-83023

ロシアの復活祭(「輝ける光よ」収録)
サンクトペテルブルク室内合唱団
指揮:ニコライ・コルニエフ
PHILIPS, PHCP-5361
朝比奈隆とカリンニコフ[1999.4.12]
参考文献:朝比奈隆 栄光の軌跡(音楽之友社)
 朝比奈隆自身が、カリンニコフを演奏したわけではないのですが、朝比奈隆の年譜の中に興味深い一節があります。

1927年6月12日「エマヌエル・メッテル指揮新交響楽団予約定期演奏会(カリンニコフの交響曲第1番、ムソルグスキー「はげ山の一夜」、ボロディン「イーゴリ公」よりというプログラム)を聴き、多大な感銘を受ける」

 1908年7月9日生まれの朝比奈隆は、1928年に京都帝国大学(現京都大学)法学部に入学して、音楽部に入り、このエマヌエル・メッテルから指揮を学んでいます。そのメッテルに師事するきっかけが、前述の演奏会であるようです。
 朝比奈隆といえば、ブルックナーやベートーヴェンの交響曲全集が真っ先に思い浮かぶのですが、メッテルの影響からか、ロシア音楽も見逃すことができません。グラズノフの交響曲第8番は、メッテルからレッスンを受けた最後の曲であるとのことで、何度か演奏会でとりあげられており、新星日本交響楽団との録音もあります。また、大阪フィルハーモニー交響楽団の第1回定期演奏会(1960年5月14日)は、オール・ロシア・プログラム(カバレフスキーの組曲「道化師」、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチの交響曲第5番)でした。初めて聴いたメッテルの演奏会で演奏された曲ということで、カリンニコフの交響曲第1番がレパートリーに加わっていたらどうなっていただろう、を思いをめぐらせてみたりします。
 ちなみに新交響楽団は現在のNHK交響楽団で、1927年1月24日に第1回演奏会を行っています。前述の演奏がカリンニコフの交響曲第1番の日本初演であるかどうかは分からないのですが、日本におけるカリンニコフ演奏史を作るとすれば、きっと重要な位置を占めるだろうと思われます。

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