信越本線は群馬県の高崎駅を起点とし、長野駅など経由して新潟駅に至る鉄道路線でした。信州と越州を結ぶから信越本線という名称です。全線開業は1907(明治40)年で、表日本と裏日本を結ぶ重要な幹線の一つでした。蒸気機関車の時代には、上野発新潟行きの普通列車もありました。EF62の時代にも柏崎行きや直江津行きの長距離の普通列車がありました。
1997年(平成9年)、長野新幹線(北陸新幹線)が高崎駅から長野駅まで開業したときに、新幹線開業と引き替えに碓氷峠越えの「横川-軽井沢間」が廃止されて信越本線は分断されました。並行在来線の「軽井沢-篠ノ井間」もJR東日本から経営分離され、第三セクターの「しなの鉄道」に経営移管されました。
2015年(平成27年)3月の北陸新幹線の金沢延伸開業によって、並行在来線の「長野-直江津間」が経営分離されました。「長野-妙高高原間」は、「しなの鉄道北しなの線」、「妙高高原-直江津間」は、「えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」となり、JR東日本から経営が分離されました。
こうして、100余年の歴史ある信越本線は、継ぎ接ぎだらけとなり、「高崎~横川間(29.7km)」、「篠ノ井~長野間(9.3km)」、「直江津~新潟間(136.3km)」の3区間にのみが信越本線という名称で存続することになりました。
平成2年12月24日の「政府・与党申し合わせ」で、新幹線開業時に並行在来線をJRから経営分離する原則が決められました。経営分離とは、県毎に設立する第三セクターに在来線の経営を押し付けることです。特急料金収入の無くなる在来線は赤字路線に転落します。赤字分は自治体が補填するか運賃値上げで対応せざるを得ません。経費がかかりすぎて県が引き受けられない碓氷峠区間は廃線になり代替バス輸送になりました。この政府・与党申し合わせに基づいて信越本線の分断と解体が行われたのです。
並行在来線を分割して県毎の第三セクターに経営させるというのは摩訶不思議な制度です。今、世の中では、会社でも地方自治体でも零細で弱いところは生き残る手段として合併を推進しています。合併が大規模になるほど経営基盤が強くなります。ところが在来線の鉄道経営では、その逆を推進しているのです。鉄道経営は、本来はできるだけ広範囲にわたって経営し、輸送密度の高いところと低いところで収支のバランスをとって均一運賃で運行すべきものです。しかし、並行在来線の経営分離では、路線を県単位に分割してしまうので、経営は零細で弱体になり、輸送密度の低い県では慢性的な赤字になり経営が困難になっています。そのため、経営移管前の運賃での運行は不可能であり、赤字を補うために大幅な運賃値上げが必要です。しなの鉄道の例では、経営分離前のJR経営の時代と比較して、普通運賃は1.24 倍、通学定期は1.61 倍、通勤定期は
1.49倍に上昇しています。経営分離区間が比較的輸送密度が高いとされてい
たしなの鉄道でもこの有様です。輸送密度が低く財政基盤の弱い県ほど大幅な運賃値上げが必要であり赤字補填で県民の負担が増えるという逆進性が強い状況となっています。
更におかしなことに、並行在来線でも比較的輸送密度が高く特急も残っている儲かる路線はJR経営のまま存続しているのです。小間切れになった信越本線の分断路線図は日本の在来線経営政策の不合理性を象徴しています。
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