2000/5/5 

 電車でお年よりに席を譲る、これはマナーというか、道徳というか、感性・人格のレベルの話であります。いわゆるはずかしい、という問題です。

 電車の席がいっぱいで、お年よりがくれば、あ、席をあけてあげなければ、と感性が訴えます。感性はその人の育ちや、受けた教育や、生来の感覚などによるのだと思います。ですから、そんな感性を感じない人間も生まれます。通常、感じるはずなのですが。

 んで、感じない人間が、わずかな例外でなく、かなり見受けられるようになると、やむなく、ルールをつくることになります。例のシルバーシートなんかがそうです。シールをはって、座席の色をかえて、ここはお年よりの席ですよ、とします。喫煙もそうで、禁煙範囲とか、喫煙所などをつくります。本来、感性があれば、こんなものは全く必要ないのであります。

 で、こういうルールを作っても、全然意に介し無い人間がだいぶでてきます。

 処罰規定がないからであります。法律で刑事罰、行政罰などがあればやめるけど、ないから、まあ、いいやってやつです。シルバーシートができた、若い人間が座っていると、プレッシャーを感じる、というのなら、まだましなのですが。そんなもの感じないし、別に法律にきまっているわけでもないし、罰則もないので、しったことじゃねえや。ってことです。だから、お年よりがたっている前にシルバーシートで若者が座っていても平気なのです。

 JR電車で携帯電話禁止になったそうですね。まったく意味がないことです。今のわかものにそんな、「おどし」はききません。喫煙エリアなんて、守っている人間はほんの数パーセントであるのと同じです。

 こういう人間が増え、社会問題になると、しょうがなく、罰則規定を作ります。で、犬をしつけるように、たたいて、わからせるしかないのです。悲しい社会ではあります。神奈川県のポイ捨て条例であります。タバコをすって、ポイとやりますと、罰則があります。シンガポールみたいのです。

 でも、全然、効果はなかったです。こんな法律をつくっても、意味がなかったのです。税金のむだ使いです。なぜなら、誰もつかまらないからです。警察もこんなのを捕まえている暇はない、というわけです。施行当時は、すいがらは減りましたが。今は完全に前にもどっています。すてて見たけど、別に誰もつかまらないないし、平気だあ、というわけです。ナメクジの迷路実験を思い出します。

 んで、やむなく、つかまえるようになりました。町田の自転車放置禁止で、強制撤去をはじめたようなものです。しかも撤去料金を徴収します。さすがに自転車をもっていかれてしまい、困ったのでしょう、かなり、自転車は減り、まともに道をあるけるようになりました。猫に「あなた、トイレ以外で糞をすると、迷惑なのよ。気をつけてね」と説教しても、だめで、ひっぱだいて教えるわけです。

 でも、やがてこれも効果がなくなってきています。撤去を行う時間を、学習しはじめているからです。つかまらないように工夫すればいいんだ、って奴です。

 また、罰金なんて、天災だ、この程度の金額なら、はらったって平気だよ、という人種です。本当に「こたえる」刑罰でないと、平気平気というわけです。

 なぜ、その行為をするといけないのか、誰かが迷惑を受けて悩んでいるのではないのか、なんて考えたことすら俺の人生にはないぜ、です。本来は、これを考えて恥と感じれば、自然にそういうことはしないはずなのであります。罰則よりも、人に迷惑をかけてはまずい、ということで行動しているわけではないのです。

 結論では、今の人間を完全に律するためには、「それを破ったら、迅速に漏れなく検挙し、かつ重罪を課す」ということになってしまうのです。次第にそういう方向に社会はかわっていかざるを得ないのでしょう。

 携帯電話、シルバーシート、禁煙エリア、自転車放置、ポイ捨て、だけでなく、バカ音量イヤホンステレオ、歩道の自転車暴走など、多くの迷惑行為が、いまや「処罰がこっわくないから、へいきへいき」という時代になっているのであります。悲しいですが、どうしようもありません。