2000/4/14

 パチンコはあまり好きではないです。以下、パチンコ好きの方は読まんでください、むかつくはずですから。

 私が大学生のころ、はじめて連発式パチンコがあらわれた。それまでは、一発たまを入れては打ち、また一発入れる、という台である。今考えると信じられない....とれても、チョコレートとハイライトのレベルである。やってて、疲れます、しんどすぎた。

 連発式はそのたびにたまを入れなくてもよく、連続して打つことができるようになった。指でハンドルをはじいて、たまを打つのである。

 だから、パチンコにこると、中指にタコができた。

 このころには、適度に運と腕がミックスされていた。また、自分で指ではじくわけで疲れてくる。早く打てないし、そんなに長時間できない。だから、大損しようがない。損に生理的限界があるのだ。

 庶民の娯楽だと思った。大好きだった。

 自動台が出始めて、私はもうパチンコをやる気がしなくなってきた。ギャンブルだという気が本能的にしました。禁止されているのに、マッチをはさんで外出している人をみたとき生理的に嫌悪感を覚えました。台の選択の要素がおおきすぎるという面もあるが、疲れないので、カッカくればいくらでも、続けられるからである。1日中でもできる。また、バンバン休まずに機械は打ってくれるので大損できるようになる。1ケ月毎日でも休まずいくことができる。

 私は熱くなる性格なので、「こりゃ、やばい」と判断した。自分を律する性格ならいいが、カッカッしていくらでも、やってしまいそうだった。

 更に、台中央でスロットが回転したりするようになった。今ではTVのコンピュータ画像になっているが..これであたったときの儲けも大きくなる。ギャンブル性がますます増し、大当たりを狙って、更に熱中し、お金をぶちこむようになった。私はこの段階でパチンコにほとんど関心がなくなった。私の性格にはあわないということです。

 更に確率変動が採用され、あたったときの儲けが莫大なものになってくる反面、あたらないときには、大損しやすくなったようだ。パチンコ好きの友人の表情が暗い時が多くなった。

 マスコミにぼちぼち、パチンコで破産した人間が紹介されるようになった。そしてパチンコ屋の近くには、サラ金が店をかまえ、お自動さん、無人くんなどが置かれた。

 これだけ、ギャンブル性が高まれば、熱狂度も高まり、破産者が続出するようになるのではないかと思った。今日は損したと思って財布をみると、1日5万円くらいザラである。1日で5万円もすれば、これを繰りかえすことで庶民は容易く破綻すると思うのだが。

 パチンコで自己破産になった人間の統計はないのだろうか?かなりの人数になると思う。みんなストレス発散になっているのだろうか?逆に生活に深刻な打撃をあたえているような気がするのだが。私の知り合いでパチンコに熱中しすぎて破綻した人間が実に多いのだ。

 最初は、パチンコは「庶民がささやかな期待(タバコを景品で獲得とか)をもって、時間を楽しくすごす」ものだったはずで「儲けてやろう、取り返してやろう」とするものではなかったと思う。

 とはいっても、パチンコファンのパチンコ屋も、もはや後戻りできない。今の収益率をさげるわけにはいかないし、いまさら、手でハンドルをはじく気もしないでしょう。さらに、面白くして、客をさらに熱中させる工夫をする方向しかないわけだ。いまさら、「当店は、連発式に台を戻しました」というわけにいかない。

 きちんと、小遣いの範囲でやめるように自分をコントロールでき、余裕の姿勢でやるのなら、今でも楽しい娯楽だと思うのだが。

 PS用でパチンコのTVゲームがある。ネットワークでサーバ接続して、連チャン数に応じてラスベガスにもいけるようになっているものもある。

 パチンコ好きのある男性がいた。彼はプレステのパチンコゲームを購入。コントローラにぎっているのが、面倒くさいので、固定。テレビ画面をたまが流れるのを眺めて楽しんでいる。眺めているうちに、そのまま寝てしまう。

 そして翌朝目をさまして、画面を見る。「お、損してる」「儲かっている」と確認して電源を切り、満足して出勤する。

 奥さんが、寝ている間に電源をきってしまったら、朝「なんで切ったんだ。楽しんでたのに」と怒るそうである。

 「朝起きて、儲かった儲からない、いったいなんの意味があるのかわからない」と奥さんはいっていた。私にも全然わからない。私も、三国志、信長の野望の自動プレイで同じことをやっているけど。