2000/3/20

 自分の中に座標軸が2つあるのではないか、と思えるものがある。

 家の近くにある「トポス」(ダイエーのディスカウントショップ)に買い物に行く。洗剤が498円。たがいなー!たしか、あの店は20円安かった。そっちへいこう。

 近くのレストランへいく。1200円?この定食が?ふざけんなー。800円がいいとこだ。もうこないぞ。
 あのジャケット買おうかな、うーん、どうしようかな。だって15000円もするんだしー。何度も店にいっては帰ってくる。1週間も迷っている。

 パソコンショップへいく。ノートパソコンかうか。お、298000円?やすいな。よし買おう。お、メモリもやすいじゃん。4枚かっちゃお。50000円。あー、このソフト買おうと思ってたんだ。17000円。...

 日常生活では、10円、20円を気にするのに、それで迷うのに、なんで、パソコンなどでは万の位しか気にしないのだろう?どう考えてもへんだ。

 自分の中に、貨幣価値の座標軸が2つあるようだ。

 最近気が付いたが、他の人にも2つあるようだ。日常生活では100円の位にシビアだか、ギャンブルでは10000の位をがんがん悩まず使う男。

 30円安い店をさがしているくせに、自分のファッションでは50000円など屁とも思わない女性。

 あの店は他の店より1000円やすいんですよ、と電車で行く人が、毎週飲みにいく。飲み代は月数万。

 目盛りが2桁上のお金のものさしを人間は持っている、と思うようになった。

 2つのものさしの目盛りが大きく離れていくと、その人は破綻していくようだ。