注意書き

 電車の中で、私とある若者がドア付近にたっていた。若者の携帯がなる。彼はそれに応答して会話開始。車内アナウンスが流れる。「...携帯電話のご利用は他のお客様の迷惑に...」彼は、あいかわらず、大声で会話を続ける。そして彼の顔を向けているドアには、ステッカーで「携帯電話の使用はご遠慮ください」

 道路が止めてある自転車でいっぱいだ。車椅子の方どころか、我々も歩けなくなっている。そのこには、「駐輪禁止」と張り紙はでかでかと貼ってある。そこに、また、子供連れのお母さんが2人のり自転車でやってきて、なんの躊躇もなく駐輪していく。

 アーケード内も「自転車乗り入れ禁止」と大きな張り紙をしてある横を老若男女の運転する、たくさんの自転車がすいすい通り過ぎていく。歩行者がいれば、ベルを鳴らしまくって道をあけさせ疾走していく。

 「ごみは決められた日にだしましょう」と書いてあるところに、いい歳したおじさんが、前日に当然のごとく、ゴミ袋をおいていく。

 シルバーシートで「ここを必要としている方がいます。」と書いてあるところに、「お、ここ座ろう」と若者達が座る。

 「芝生にはいらないでください」と小さな立て看板が立っている横に、仲のよさそうな家族がシートをひいて、座り込みお弁当を楽しそうに食べている。

 「タバコはきめられた場所ですいましょう」と書いてある張り紙の前(喫煙コーナではない)で、立派な背広を着たサラリーマンが一服している。

 映画館で「携帯電話のスイッチをきってください」とスクリーンにでかでかと映った1分後に、携帯がピーピーとなる。

 これらは別に特別な風景ではない。もう日常的に見ている風景である。注意書きというのは、現代人にとっては、町を彩る単なるデザインの一部にすぎない。

 最初は、私もあきれ返り、怒りまくりであったが、そのうちに、笑うしかなくなくなり、今では感じなくなってきた。適応できたということだろう。いいことかどうか、わからんが。