ラブレター

 高校一年のときに、学校の友人の家に、遊びに行った。彼はさほど、目立つ感じではなかったけど、自然にみんなから好かれるといった感じの好青年だった。勉強はまあ、普通程度。運動は後ほどわかったのだが、ものすごい万能なのに、それをあまり出さなかった。

 訪問したのは、もう1人とだったが、3人で彼の部屋の中で適当に遊んだあと、彼の机の引出しにかぎがついていることに気が付いた。「おい、ここに何がはいってんだよ。」ふざけて言った。「なにも入ってねえよ」とは言ってたけど、エッチな本でもはいってんだろ、と友人とカラかったら、中を開けて見せてくれた。

 何に入っているものを見て.....私は、驚いて口がきけなかった。....それは、引出しいっぱいのラブレターだった。50通は確実にあったと思う。それもほとんどが、差出人が違うのだ。しかも中まで見せてくれた。今思うと、読むべきではなかったのだろうが、私も一種のノゾキ趣味があったのだろう、つい好奇心で全部を読んでしまった。

 それらには、もう、心が痛くなるような、めんめんたる、愛情表現、恋の言葉がつづられていた。一通一通が激烈なる火のようなラブレターである。好き、好き愛してる、どうしても貴方と付き合いたい...あなたのことを想うと、胸が締め付けられる、夜もねむれない。どれも、遊びごころで書いたものではない。もう死に物狂いで、愛情を伝えたいという真剣な魂の文章である。封筒も便箋もキレイで、字も丁寧の極地である。香りがただよっているのもあった。書いている人の感情が伝わってきて、読んでいる私のほうがドキドキしてしまった。女性のラブレターって....すごい迫力なんだなあ。

 通常は、学生時代1通でもラブレターをもらえれば、天にも上る気持ちになるだろう。また、書いたほうも恋の魂の炎を字に託して書き上げるのだろう。

 数学のノートを女性に貸した。ありがとうといってその女性は返してくれた。ちょうど、彼が、俺にも貸してくれよというので、そのままスルーパスして渡した。彼がノートを返したときに、「ごめん、俺気がつかないで、つい読んじゃったんだ。許してくれ」といった。私は、その瞬間「彼女からの手紙がはさんであったのか」と気が付き、顔を真っ赤にしてしまった。おそらく、深紅の顔面だったろう。みっともない。純情だったのだなあ。封筒の中に丁寧にお礼が書いてある便箋が3枚入っているだけなのだが...

 いま学生は、文章で何かを伝えるといえば、電子メール全盛で、ラブレターはみんなどうしているのだろうか。いまさら、今の若い人が文章で使えたいとき、改めて便箋と封筒を用紙するだろうか。そもそも、好きなら好きと口でいえばいいので、そんな面倒くさい手順は踏まないのだろうか。あの山を見たから、あの肉筆の字を見たから当時、驚いたのであって、電子メールの山をみても、何の想いもおきないだろう。

 肉筆の字で読むから、相手の感情が生に伝わってくるのであって、恋が生まれることもあったのだろう。電子メールのラブレターでは全然、相手の心は動かないでしょう。ということは....今、長い日本の歴史で続いてきた恋文という制度が終わりを告げているのかも知れない。

 この前、女性から肉筆の手紙を頂戴した(もちろん恋文ではない。T_T;)。肉筆だと、相手の方の感情が伝わってくるような気がする。もちろん、電子メールのインパクトの100倍の衝撃がある。びっくりする。そういえば、私も、肉筆の手紙を最近かいたことがない。ひさしぶりに手紙を書いてみようかなあ。

 みなさんも、たまには親しい人に肉筆の手紙をひさしぶりに書いてみましょう。相手は新鮮な印象を受け感激しますよ、きっと。