2000/6/12 高い食べ物

 「あーあそこの寿司屋のオオトロ、うまそうだなあ」「一度、香りのいいマツタケを何本も食べたいねえ」

 私って、上記のような食べ物には、興味があまりないです。というか、なんでそんなに、みんなが目の色を変えるのかがわからないのです。おいしい食べ物であることは認めますが、1個何千円の食べ物なんて異常です。おいしいのではなくて、高いからおいしく感じるだけじゃあないの?って思っています。

 もし、トロが、10個100円になったとしましょう。みんなワーっと食べだすでしょう。でも、すぐにアキます。おそらく、あっというまです。んで、もう誰もそんなに騒がなくなると思います。マツタケも10本100円で売り出せば、最初は大騒ぎですが、10本も食べればあきます。んで、どっちも100円で問題なくなります。

 この2つの食べ物は、確かにおいしい食べ物でしょう。でも、1つ何千円も払って食べるようなものではないでしょう。「あまり食べられないから」おいしく感じるだけです。もったいないです。

 「バカなことをいうな。この2つはすごくおいしいのだ!」といわれますか?でもトロも昔は、みんな、たべなかったのです。売り物にならないので、漁業関係者が食べていました。こんなに「うまい」などといわれだしたのは最近なのです。結構、おいしいですが、そんなに大騒ぎするものではないです。また、私もいやというほど、トロをくったことがありますが(接待で)、2度と食いたくないです。あきました。マツタケだって、こんな香りが強いのは食べられない、何がうれしくて日本人はこんなに高いかねを出しているのだ、と外国の人はいいます。

 おいしく感じるのは:

1.ほとんど、食べられないし、たとえ、食べるチャンスがあっても、2個程度。だから、常にフレッシュな味に感じる。おいしさが、増幅して感じられる。

2.高いものを食べているのだ、という優越感、満足感。心理が味覚を変化させる。

3.これは「とてつもなく、おいしいものだ」という先入観。みんなが最高の味といっているので、間違いない。これは最高にうまいのだ、と完全に思い込んでいる。社会的暗示といってもいい。

 みんながおいしい、食べたいというから、値が上がる、天井知らずにあがります。宝石なみになります。すると、なかなか食べられないので、ますます、おいしい、憧れの食べ物になります。長い間、食べられないと、うまさの記憶が頭の中で肥大していきます。うまいうまいといっていますが、マツタケもトロも量産できないので、足りないだけの話しです。

 トロを腹いっぱいくってみてー、という人に一度、いやというほど、食べさせてみたいです。(金がないので実際にはできませんがー)せいぜい、20個くらいでウンザリして、それを1週間もやれば、もう、私と同じ感想を持つようになるでしょう。そして、うー、卵たべたい、とか、うー、エビ食べたい、カッパ!とか叫ぶようになるでしょう。

 一個、何千円なんて食べ物の世界は、ほとんど、チューリップの世界、バブルの世界です。芥川竜之介の小説「芋粥」のような心理効果がもたらしている憧れなのであります。

 子供のころ、バナナが食べたくて、しょうがなかったのです。バナナを食べるために、入院したいなどと真剣に思っていました。今、バナナもおいしいですが、そんなにムキになって食べるべきものではなかったのだなあ、と実感できます。これも、高いがゆえの心理効果で、おいしく感じていたのでしょう。同じように、パイナップルなども憧れでした。ごく最近まで、うなぎは、最高のぜいたくだったのです。今は、みんな、食べようとする人も少なくなりました。

 たとえば、近い将来。、トロも脂身の多いマグロの養殖技術、マツタケも栽培の技術が見つかってしまえば、バナナと同じような価格暴落を引き起こすでしょう。そうしたときには、いともたやすく、今のバナナのような地位になるでしょう。そして、「昔は、みんな高い金出して、ムキになってトロやマツタケ食ってたなあ」と、懐かしくなると思います。

 今、私があーおいしいなあ、と思うのは、永谷園のお茶漬けです。上に梅干と三つ葉をのせます。シメジのバターいためも最高です。大根とシソのサラダもおいしいなあ。もう。

 へそ曲がりで申し訳ありません。