こわいもの

 王妃マリーアントワネットに家臣が「民衆は飢えており、今日のパンもない状況です」といったところ、「パンがなければ、おかしを食べればいいのに」といったという話しは有名です。これだけ、民衆の生活を知らず、民衆の苦情の意味も理解できず、素っ頓狂なことをいう高慢な王妃だったのだと伝えたいエピソードなのでしょう。でも、これは単に王妃の皮肉だったともいわれています。

 原子力関係の住民決議のあと、都知事が「原発は安全なんだよ」と主張されました。言われた内容を聞いたら、評論家の竹村健一氏の主張に近いものでした。

 原発については私はまだよくわかりません。わからないのに、賛成・反対の両者のみなさんが真剣に議論しているのに、適当なことをいってはならないと考えています。もちろん、ニュースなどの報道は真剣に眼を通して理解しようとしているつもりではありますが。

 でも、ひとつ気が付いたのが、都知事たちの主張は、どうも、原発反対派の人たちの感じている不安な点と、ずれているのではないか、ということです。あの主張では、いくら強く反対派の人にいっても不安解消にはならないのです。

 竹村氏もそうでしたが、原発は安心なんだ、なぜなら安全設備は何重にも用意されているし、体制も万全だ、原子炉自体の設備も強固で信頼できる、と出張され、簡単な技術的データ、計算データ、統計データ、科学者の見解を引用されます。でも、住民がなんとなく不安なのは、別に安全設備や、原子炉の構造のことからきているのではないと思えます。

 今までの日本の原子炉の事故をみますと、もちろん、設備の問題、故障もありましたが、そんなことよりも、「事故、故障があると隠す」「せっかく決めたルール・規則を守ってない」「機械から警告がでていたが無視した」ということから大問題になっていることが多いようです。ですから、設備の科学的安全性をいくら何時間説明しても、不安解消とは関係ないのかも知れません。詳細な安全管理マニュアルがあっても、書き換えたり、すげかえたり、バケツで作業していては意味がなかったわけです。

 たとえて言うと、いくら消化設備を完璧にしたホテルでも、従業員が「いつも誤動作して、うるさくてかなわんから、切っとけ」と、大惨事になってしまうことがあるわけです。また、コンピュータでの料金請求処理をしていた企業が、客からの苦情に対して、「コンピュータだから絶対に間違いない」といい、あとで調べたら、オペレータの入力ミスだったというのに似ています。

 装置や、制度は完璧にできるわけですが、人間が介在したり、人間が運用していると、その人間によって、完璧ではなくなるわけです。その点を反対派の人は、なによりも不安に感じているのではないでしょうか。現実にそのとおり問題が起きていることもありますし。

 ですから、賛成派のみなさんは、そこを理解し、その点の不安を解消するような、研究、分析をしていく必要があるでしょう。そして、対応方法をしっかりとたて、その上で安全性を主張していけば、反対派のみなさんとも合意ができていくかもしれません。ところが、それに対して、技術的、制度的に問題ない、と主張しても平行線のままかも知れないです。最後は「ともかく、電気がないと困るだろ。必要だ」という恫喝になってしまう可能性があります。

 ぜひ都知事のいう「東京湾原発」の際には、その点をご理解いただければ幸いです。