2001/5/26 会社と経営者

 有名な企業の経営者は大変ですね。誉める人もいれば、けなす人もいます。いずれにしても、その業績はいろんな人に評価されます。
 ある人の評価って、いろいろ変動します。調子のいいときは、誉めていた人も、つまづくと一転して、けなしだしたりします。ころころかわります。

 ですから、最近、私は、他人が行う人の評価って信用しません。当てにならないいいかげんなものだからです。もちろん、会ってみれば一番よく、その人がわかるのでしょう。マスコミが時代の寵児に取り上げて、絶賛しても、ふーん、ですし、極悪人と書き出しても、ほんまかいな、です。だいたい、その人の仲のいい人は誉めますし、仲が悪かったり、うらみがあれば、けっちょんけっちょんにします。人の評価にはその人のバイアスが加わっているのです。

 会ってみる、という方法のほかに、その人のやったことを検討するというのも評価をする上で有効です。事実だけを見るわけですから、かなり信憑性があります。すくなくても、他人が人の評価をしたのを鵜呑みにするよりはましだと思います。

 SEGAの大川会長がなくなりました。また、そごうの水島会長が逮捕されました。いずれもワンマンに近いリーダーシップを振るったことは間違いないし、会社が非常に苦しかったところも同じです。この2人については私はほとんど知りません。マスコミから流れてくる評価だけです。だからわかりません。

 でも、この2人のなくなる直前、逮捕される直前の行動を比較すると、興味深いです。

 会社がいよいよ窮地に立ちました。水島会長は、悪いのは私でなく、貸してきた銀行だ、といいました。銀行も悪いのかもしれませんが、ご自分の責任については触れずじまいでした。迷惑をかける関連した人への謝罪もあったのでしょうか?対して、発表で大川会長は私の経営判断がいけなかったといいました。謝罪しました。株主、関係者におわびしました。少なくとも最後は他人の責任にはしませんでした。

 お金の扱いですが、こちらはもっと対象的です。大川会長はSEGAの再建につかってほしいと自分の私財を数100億円をSEGAに提供しました。別にだれも、提供しろといったわけではありません。株主の皆様にも申し訳ないといいながら、責任をとったわけです。

 水島会長は、もちろん自らそんな提供はしませんでしたし、責任を取れと、周りから私財提供を追求されましたが、しませんでした。そして、報道によると、自分の私財をとられないように、「法律に違反」してまで、隠しました。かなり露骨にです。警察の聴取にいってすぐに、土地名義を変更し、かつ、銀行にいって、個人保証をしていたものは、無効だという念書を、要求しました。いよいよ逮捕されそうになると、いきなり病気になりました。んで入院です。

 同じワンマンでも最後の最後に、その実際の姿が行動の上に浮かび出たような気持ちがします。どちらも、この会社はおれのものだ、おれにとって、大事なものだ、とは言っていたのでしょう。でも、よくぞ、こんなに行動に差がでたものだと、驚きです。人間は追い詰められたときに、本性が行動に現れるということでしょうか。

 その違いは、会社を我が子のように愛していたかどうかではないでしょうか。我が子が、うまく育たなくても、親は泣きながら、なんとかしようとして努力するものです。子供が不良になったら、俺は他人だよ、てな感じで、逃げ足するどくなるのは、人間として、あまり私は尊敬できません。 いい経営者は、会社をともかくデカくすれば100点ではない、ということを、この比較はよく示していると思います。その企業への愛情、我が子のように思っている気持ちも無視できないと考えます。

 個人ごとのバイアスのかかった評価が、生前・亡くなった直後は渦巻きますが、それらは時間がたつと次第に消えていきます。そして、行動、事実だけが残ります。そのあとで、行動、事実からはじめた再評価がはじまって、本当のその人の評価が確立されるのでしょう。