2000/12/16 芸能人

 多くのサラリーマン、独立されている人は、昼間、働いている。だから、平日の昼間、TVを見ることはない。しかし、たまに休んだりして、いつも見たことがない平日、昼間のTV番組をみることがある。すると、なにこれ?と驚くような番組を延々やっている。

・選び抜かれた残虐、悲惨な猟奇事件、また肉親同士の殺し合いといった事件を延々、細部にわたって、効果音をいれて報道?している。スプラッター映画もビックリである。リアルスプラッターファンではないので私は見るに耐えない。もちろん、現実を見つめるのは必要だが、暗部ばかりをこうまで繰り返し繰り返し露出するのは悪趣味である。報道とはとても思えない。残虐犯罪にすっかりなれてしまいそうだ。

・なんでここまでノゾキするの?という、悪趣味としかいいようのない、余計なお世話のタレントゴシップ。人の私生活の「のぞき」そのもの。一億総ノゾキ魔の時代なのか?

・不倫、悲惨な生活などのドキュメンタリー?何度もこんなものみてたら、私も不倫しなきゃ、損だと思いはじめそうだ。

・政治家を徹底的に馬鹿にし(非難ではない)、いかに政治家というのは愚弄するべき存在かという主張を得意げに繰り返す番組。国民に必要なのは、「政治家はくず」という意識では断じてなく、「政治家を監視して選別する」ということのはずだ。

 TV番組は、視聴者の望んでいるものを作っているらしいから、この時間帯にTVを見ている人たちは、こういうことを関心の中心にすえて重点的に知りたがっているということなのか?なぜなら、ゴールデンアワーにはこういった番組はやっていないからだ。(これから変わるかもしれないが)こういった番組を目を輝かして見つめている人たちが多いのだと思うと恐ろしくなる。子供たちのTVゲームの悪影響、深作監督の映画にめくじらを立てる暇があったら、こういった番組の悪影響を考えてほしいものだ。かつてビートたけしがワイドショーの芸能レポータを、「人のした排泄物にむらがるハエ」といっていたのを思い出す。

 さて、ゴシップをもとめて芸能人をおいかけまわすマスコミの人たちがよく言う主張:

1.芸能人は売り出すときにも、われわれを利用しているのだから、われわれが、追い掛け回して私生活をほじくりだすのも正当である。拒否するのは変である。いやなら、芸能人をやめればいい。

2.われわれは視聴者の代表である。みんな心配?しているのだから、われわれが調べる義務があるのだ。われわれは国民の意図を代行する聖なる職業?である。

 確かに、おいかけまわされたくて、市民の話題の中心になりたくて、タレントになった人もいるはずだ。ゴシップのまきちらしによって人気が出た人もいるだろう。しかし、それが芸能人のすべてではないであろう。歌をうたってみたい、それをみんなに聞いてほしい、という価値観の人もデビューしている。別に私生活をあばかれるのには合意していますなんてことは絶対にない。上記のような価値観を押し付けるのは無茶である。だいいち、「芸能レポータにおいかけまわされて、人気の出たタレント」ななんてほんの一部である。

 役者とか、評論家とかは、その芸を売り込みたくて、出てきたはずだ。私生活をあばかれるのに、同意なんかしてない。それを「俺たちが売りこんでやったんだ。恩を感じろ!おとなしく、のぞかれるままにしろ」というのは強引すぎる。都合のいい解釈としか思えないのだが。また国民全員がのぞきではないし、こういった番組を楽しくみられる人ばかりではないのである。

 最近はゴシップ関係が、相撲の力士にまで及んでいる。力士は相撲をやりたくて、はいったはず。別に家族関係のことを抉り出してほしい、と思って角界にはいったのではない。「俺たちが、横綱にしてやったんだ」てか?なんで、相撲取りが、芸能マスコミに私生活をえぐりだされなければならない義務があるの?どういう考えで、離婚か?離婚か?と騒いでいるの?

 つまり希望者は別にして、ほとんどの職業人は、その職業の主分野を人に認めてもらいたくて、参入したはず。だって、芸能レポータの私生活を暴く専門のレポータが現れたとしよう。そして、夜討ち朝駆けで自宅に押しかけてくるレポータに対して苦情をいったとしたときに、そのレポータが、「なにいってんだ。あんたらはゴシップで食ってるマスコミだろ?じゃ、自分たちが追い掛け回されてなんの文句があるんだ。おとなしく、いうがままにされてろ。」といわれて「ああ、そうですね」というだろうか。そんなことに合意して芸能レポータにはなってはいないだろう。

 人の私生活をのぞけば、いろいろまずい点や、ほじっちゃいけない点、思い出したくない点があるに決まっている。それをすべて、ほじくりだす。そして「ほら、人間ってこんなに、醜いものなんだ、欲望どろどろなんだ。どうだい。わかったかい?いつもお高く澄ましてしているけど、汚いだろう?」てな番組を競い合って作っている。この理屈はまさに「ほら、この排泄物はあのきれいな人が出したものなんだ。ひどいだろう?」というのと何ら代わりがない。ビートたけしの発言は深いなあ。