2000/11/16 子育て

 動物の世界で親は子供を育てる。あたりまえだが、不思議な点もある。親が子供を産んで、どう育てていいかわからない。迷っている、方法がわからない、というのは聞いたことがない、産めば、自然に育てかたがわかっているし、育てなければならないと感じるようだ。

 産んだ子供を育てる本能というのは、アリまでもっている。エンセルフィッシュなんかは、ちゃんと産んだ卵を孵化するまで育てるし、蜂もそうである。TVでやってたが、タコなんかは自分の命を捨てて卵を孵化させるまで守るようだ。

 家で小鳥を沢山飼っていたが、卵を産み、ひなを育てている小鳥はきわめて神経質であり、凶暴だ。手乗りになり、大変なついていても、そのときだけは、野生に戻る。手に血がでるまで噛み付く。あまり、タコや小鳥が子供の養育のために、学校へ行ったりするというのは聞いたことがない。

 つまり、養育本能は、教育でも、知性でも、学習でもない、まさに遺伝子に格納された行動ということになる。動物であれば、自動的に産んだ子供を育ててしまうということなのだ。

 でもこの世界の動物はみんな、子供を育てるのだろうか。NOである。金魚やグッピーなどは、自分が産んだ卵をモリモリたべてしまう。せっかく孵化しても、親に食われてしまうのだ、彼らにしてみれば、この世に生を受け、真先に襲ってくる強敵は、自分の親ということになる。恐ろしい世界である。金魚にしてみれば、なんか、自分の体からうごくものがわきでてきた、おいしそうだからたべてしまえ、となる。養育本能がセロであるという動物も厳然と存在するわけである。

 金魚は子供を養育しない。愛情もないようだ。でも、金魚は一貫して、養育しない。ある金魚は養育するが、別の金魚は育てるというのは聞いたことがない。つまり、金魚の遺伝子には、養育する遺伝子が含まれていないのだろう。

 人間ではどうであろうか。豊臣秀吉なんかは、養子の豊臣秀次の子供、側室を皆殺しにした。それでも、我が子は溺愛した。つまり、養育本能に従ったまでで、他人の子供に残忍であるということと、自分の子供をいとおしく思う感情は並存するのだろう。歴史に残酷非道な人間は多く現れるが、自分の子供にも残虐だったというのは、ないだろう。

 養育本能はすさまじい強さで、自分の身を犠牲にしてでも、子供を守ろうとするものだ。そう、人間の遺伝子に書き込まれているのである。けっして、教育されてそうなったのではない。もともとあるものである。ただ、人間の社会の中でその愛情が強化されているのだと思うが。

 最近、自分の子供を虐待し、殺したりするという事件が多くおきている。詳細を聞いてみると、とてもとても、自分の子供に対する行動とは思えないし、愛情など持っていたと考えられない。TVで評論家が、「最近の若者は....まったく。どういう教育を受けてきたんだ。子供が子供を産んだようなものだ!」という。

 私はそうは思わない。どんな環境で育とうが、どんな教育をうけようが、自分の子供を大切にしようという感情は生まれるのである。生まれるように人類の遺伝子はなっているのである。だから、これはその若者の受けた生活。経験とは関係ないのだと思う。

 おそらく。病気なのだ。いやみで言っているのではなくて。その遺伝子が機能していないのだろう。勝手な想像だが。養育本能のない人間にいくら、教育しようが、子供を大事にするというような衝動は起きないと考える。「子育ての学校でも作って、そこにこいつらをほうりこめ」とTVで同じ評論家がいっていたが、「病院にほうりこめ」が正しいとおもう。