続々資格受験心得

1.もう一歩

 勉強はアナログで、資格はデジタルである。

 勉強はすればするほど、理解が深まっていく。比例関係とは言わないが、勉強をすれば、少しであっても効果があり、先に進んでいく。筋力トレーニングと同じようなものである。すなわち、理解度は0から、1,2,3と進んでいき、最後に100となる。アナログ的な進み方だ。

 でも、資格は違う。「あなたは司法試験を30%合格しました」というのはない。合格するか、不合格かの2つしかないのだ。オールオアナッシングである。行政書士試験敢闘賞というのがあればいいが、そうではない。0,1の2進数なのである。デジタルである。

 また、最高中小企業診断士といって、最高得点、100点の人間に特別な資格が与えられるというわけではないのだ。合格点60点なら、60点でも100点でも合格だ。点数で並べて。上が合格、下は不合格。細い線の上下で天地の開きがあるのだ。残酷な世界だが仕方がない。

 しかし、資格試験に挑戦する方法は、勉強しかない。だから、アナログの方法で、デジタルのものに挑戦しているのである。だから、以下のような鉄則が生まれる。

1.100点を目指す必要はない。60点とればいい。だから、現実的には90点を目指すのが理想的な勉強となる。90点を目指すというのは、数年間に1問でる、しかも、採点は5点のような問題、この領域の勉強が難しければ、捨てる、または後回しでいい、ということだ。他の90点の勉強領域に力をいれればいい。全試験領域を網羅して勉強してやる!などというのは、趣味の世界である。

2.55点は絶対に止める。「戯れに恋はすまじ」ということになる。挑戦すると心に決めたら、徹底的にやる。55点では、あまりにもったいない。人生は短いのだ。勉強にはなるだろうが、やはり成果も出しておきたいではないか。だから、55点になりそうだったら、もう一度、自分のやる気を絞り出して頑張るのである。1度しか挑戦のタイミングがないとして、30点しかとれないのであれば、成果はでないことになる。資格を目指しているのであれば、割り切りも大事である。

3.髪一重で落ちる、ということを避けるためにも、全力を出し切る。試験が終わって不合格だったときに、「ああ、あの問題を事前に解いておけば..」といった悔しい思いをしないために、以下のような心の持ち方を推薦したい。それは、今日は5ページ勉強しようと決めて、勉強しおわった。そのときに、「あと1ページ」と考えるのである。そして、1ページが終わったら、また、「あと1ページ」と考えて勉強するのだ。これによって、進捗は大幅にすすむ。しかも、これなら、不合格であっても、納得できるではないか。

 勉強ならかまわないのだが、資格取得を目指すのなら、デジタルで1を目指そうではありませんか。常に勉強中に、デジタルの1と0の境界線突破を意識していることだ。

2.資格数の増加

 「公務員は減ることはない。ひたすら増加していく」という法則があたっと思う。私は同じ法則をうったえたい。「資格はひたすら増加していく」たとえば、情報処理試験は、物凄い数の資格数となったのである。他の分野にしても、そうである。資格数を減らした、なんて聞いたことがない。どんどん技術分野を細分化していくし、上へ上へと難易度高の資格を新設していく。

 だから、ある分野の第一人者として、資格をもっているにしても、最高峰の資格をとっても、すぐに陳腐化する。扱える分野には更に上が出るし、他の領域のものが現れる。常に、新しい資格をとり続けないとだめなのである。増えていないのは司法試験くらいなものである。

 なぜこんな事態になるのだろうか。確かに技術、知識の分野は進歩に合わせて細分化してるのは事実だ。でも、それだけならば、単に資格の定義や、内容を変えていけばいいのである。再教育してもいい。資格数を増やす必要には必ずしもならない。

 実は、資格認定団体の仕事を作らないと、彼らの業務が寸詰まりになってしまうのである。つまり、自ら「仕事を増やしている」のである。資格認定団体だって、売上目標がある。ある技術分野の資格者が増えていき、十分な数になった。これでは、もう資格を目指す人がいなくなってしまう。ということは受験者が減り、彼らの仕事が減り、認定団体がとうとう無用の存在になってしまう。売上もへる。だから、常に資格を増やす。上下(難易度)にも、横(領域)にも資格数を増やしていく。これによって、常に資格認定団体は成長できる。仕事も増える、売上が伸びるということなのである。これは公的資格、私的資格に限らない。必要な一定人数に資格者はいつかなってしまうのである。だから宿命なのだ。

 我々も業界の情勢を常ににらみ、資格種類の増加にあわせて、新たな資格にも必要に応じて、挑戦しつづけなけらばならないのである。わけがわからん、と思うかも知れないが、事実なのでしょうがない。

3.学校

 資格試験を受けるために、大人も学校に行く。アフター5だったり、通信教育だったり、休日コースだったりする。また、会社を辞めて専業?で学校に通っている人もいる。

 学校にいっている人も、不合格になったり、合格したり、さまざまである。ただし、以下のような傾向があるようだ。

 学校を勉強の助け、と捉えている人は合格者が多く、学校に行けば勉強してる、と思っている人は不合格になる、(ような感じがする)。つまり、ありふれた言い方だが、学校を受身で捉えて、学校に通って時間を消化すれば勉強になっていると思っている人が合格したという話はきかない。じゃなくて、そもそも自分で勉強をしていて、更に強化するために学校にいくという、補足的に捉えている人に合格が多いようだ。

 考えてみれば、話をぼーっと聞いていて、頭に入れば誰も苦労しないのである。合格した人は、講義のまえにその箇所をあらかじめ、読んできていたようだ。事前に読んで勉強しといて、そのまとめの意味で、講義を受けている。

 だから、講師がいろんな説明をしても、100%聞き取れる。質問もすでにできていて、的確な?質問をする。でも、なんら、勉強をしていかないと、講師の指示に従う(はい。何ページを開いて、とか)のが精一杯で、練習問題など解いても、頭には入らない。ひどいのになると、学校にいっても講義の時間に、ずーっと教科書を読んでた、なんてのもある。事前に教科書を読んでこないから、説明を聞いて考えるなんて余裕がない。わざわざ人の説明してくれる学校に来ている意味がない。自宅で教科書を読んでたほうが価値的である。

 講義を受けて、復習、というパターンと、予習しといて講義、というパターンでは、予習のほうが絶対に効果が高いと私は断言する。理由は簡単で、予習してこなければ、講義を十分に聞き取れないのである。しかも、予習をして講義だと余裕があり、講義を聴いていても楽しい、しかも考えることもできる。講義がよくわからない状態で復習しようとしても、それはつらいし、面倒に感じるものだ。予習付きで講義を受けるときの理解度を100としたら、予習なしは、50くらいではないか?予習たって、そんなに大変なものでなくていい。教科書を読んでくるだけでいいのだ。同じ苦労して学校に行くのだ、もったいないではないか。

 さて、教科書を学校でもらうと、事前に自分で買った参考書との2冊体制になる。でも、あまり教科書を増やす必要はない。私は問題集以外は、学校のものに、まず絞り込んだほうがいいと思う。それを十分に消化したあとで、自分で買った参考書を読んだり、問題集を解いてみるのがいいだろう。

 仕事の後で通う場合、どんなことがあっても、どんなに疲れていても、いねむりなどをしてはならない。針を手にさしてでも、講義に集中するべきである。いねむりするなら、家で寝ていることだ、いや、それよりも、資格はあきらめたほうがいい。一体、あなたは学校にいくらの授業料を払ったのか?高い授業料をはらっている。1分いくらの世界である。意識して、こんちきしょー、しっかり勉強してやるぞ、と気合をいれて聞くことだ。義務教育のような税金で受けられる授業ではないのである。

4.筋力トレーニングとの類似点

 資格を目指し、参考書を読み、問題集を解く。すると、理解が進み、問題も難易度の高いものを解け、スピードもあがってくる。つまり、頭のトレーニングを日々行なっていることになる。

 さて、私は、資格をとるための勉強と、筋力トレーニングはきわめて近いものだと思っている。あまりにも、類似点が多いのである。

 筋力トレーニングで、「ルーの3法則」というのがある。
 1.筋肉は使えば発達する。
 2.使わなければ退化する。
 3.酷使しすぎると、筋肉は萎縮する。

 まさにこの法則が勉強にも当てはまるのである。すなわち、
 1.資格勉強を続ければ、問題を解けるようになり、そのスピードもあがる。
 2.勉強をサボれば、頭は退化し、問題を解く能力も落ちていく。
 3.受験勉強しすぎると、頭はノイローゼになる。

 これを「伊藤の資格勉強の3法則−パクリ編」と呼ぼう。以前、書いた「資格勉強の慣性の法則」も、もしかしたら、この3法則の応用なのかも知れない。

 だから、毎日きちんと勉強すれば、効果はでていないようでも、必ず進歩している。あせる必要はない。また、長期間さぼれば、また昔の調子に戻すのにかなりの時間がかかってしまう。頭の筋肉がまた細くなってしまうのだ。そんなに勉強の間隔をあけすぎてはならない。更に、勉強のしすぎは禁物だ。やはり、頭にも休息を与えてあげなければならない。くたくたの頭の筋肉を更に使おうとすれば、痙攣がおき、トレーニング効果はないばかりか、頭の筋肉によくないのである。休もう。

 もう一つの法則を。それは、「トレーニングのプラトー」である。これは、トレーニングを続けると、最初は、順調に成績はあがり、成果がでる。しかし、ある程度、トレーニングを続けるといくら勉強しても、成果があがらなくなる時期がやってくるのだ。いわゆるスランプである。これを超えると、すーっとまた効果があがりはじめる。それは、体がトレーニングになれてしまったからなのだ。

 これを資格勉強に適用してみよう。つまり、勉強を続けても、理解度があまりあがらなくなるときが必ずやってくるのだ。これが資格勉強のプラトーなのだ!つらい勉強をしても、ちっとも理解がすすまないような気がする。やめてしまいたくなる。でも、それは、頭が難易度に適応してしまったのだ。ここで、辞めずに、勉強をつらくても続ければ、ある時点で急に理解が進みだすのだ。これを意識することで、スランプを乗り越えやすくなるはずだ。

 どうだろうか。資格試験に挑戦した人は、「そのとおりだ」と思われたのではないだろうか。いずれも、私が資格試験勉強の過程で、実際に体験したことばかりである。あえて、それを法則化して、理解しておくことで、勉強の効果がでなくても、「そういうものなのだ。もう少しで楽に勉強がすすむようになるのだ」と理解して、乗り越えることができる

5.ミニアドバイス

 今日は、資格試験にかかわる、小さなアドバイスを。

1.鉛筆

 資格試験では、試験会場にもってくるものとして、鉛筆とあるのが普通だ。診断士の試験でも、尖らせた鉛筆を10本近くもってくる人がいる。そして、休み時間には、鉛筆削りで、削っている。でも、シャーペンの方がいいのではないか?「こら!シャーペンじゃだめだ!鉛筆もってこいと書いてあったろ?」と怒られたことはまだ一回もない。鉛筆を持ち代えるだけでも、時間がもったいない。シャーペンにするべきだと思うのだが。

 鉛筆に関してはもう一ついいたいことがある。Hの芯を使っている人がいるがやめたほうがいい。特に論文形式の場合にはHは大変不利だと思う。その理由は:

 ・Hで書くと、字がうすくなり、読みづらいのだ。大量の文章をHで書くと、うすい字が並んだ文章となる。採点官は、何人もの大量の論文を読んで採点しなければならないのだ。ほんとに疲れる作業なのである。うすい字で書かれたものを読むと、更に疲れる。
 ・しかも、お年を召して眼が弱っておられる方も多い。すると、読みづらい、うすい字がこれでもかと並んだ論文を見て、いい印象をもつはずがないのだ。
 ・論文では非常に早く文章を書く必要があり、さらさらと素早く文字を書いていかなければならない。このとき、芯の硬いHでは速度が遅くなるのだ。柔らかい鉛筆であれば、力もいらずに濃い字がかけ、早く書ける。
 ・マークシートの場合。コンピュータ採点となるが、うすいHでは、読み取りエラーとなる可能性がある。また、間違えて消しゴムで書き直した場合も、うまく消えてくれない。これもリードエラーになる可能性がある。わざわざ、そんな危険を冒す必要はないではないか。

 以上の点から、私は断言させていただく。「試験時には、Hの鉛筆、芯を使うな!Bを使え!そのほうがとくだ」HBを使ってくださいと、試験問題には書いてあるが、Hを使うな、という意味なのである。Bがベストだと思う。

2.時間配分

 試験開始!問題が配られる。私はともかく落ちついて、全部の問題をさっと眼を通す。どの問題が解けそうで、わからなさそうな問題がどれだけあるかを捉える。そして、問題解答のタイムチャートを頭に中に作成している。そして、問題順番など全く無視して、その自分のたてた順番に解いていく。また、時間配分も決め、何問までを何分でと目安・目標をたてる。その目標は必ず10分程度の余裕を持って終了するようにしている。もちろん、見直し用に。

 こんなこと、みんな当たり前にやっていると思っていた。ところが、試験会場で見てると、意外に、問題全体をみることなく、第一問から解いている人間が非常に多い。これは絶対におかしい。

 だって、あなたが、期間がシビアな仕事をまかされたとしよう。まず何をやりますか?まず、計画表を作るでしょう?いついつまでにここまでやって、ここは大変そうだから、こうやって工夫して...余裕をとって...と。試験も、まさに非常に時間的にシビアな作業なのである。だからこそ、まず、試験開始時に「どこの問題から説いていくかの順番」「何問といた段階で、何分、といった時間配分」をしなければだめなのだ。

 必ずやってみてほしい。そして、時計を見ながら、解いていく。時間との戦いなのだ。時間がたっぷりある試験など、まず資格試験にはない。時間を無視していれば必敗である。

3.四者択一式

 時間がなくなってきたら、ともかく、全部埋めろ、でたらめでいいから、という。そうすれば、確率的にいくつか正解になる、といわれる。そのとおりである。でも、もう少し欲張ってみたいのだ。

 でたらめに解答する時間を0としよう。熟考して解答する時間を100%とする。時間がなくなってきたら、0で埋めていくのでなく、20%くらい考えた結果、うめていくのである。あ、もう、残りの問題を1問、20%で解答していくくらいの時間しかない!と判断したら、もう、20%の思考時間で次々と1問を解答していく。

 理由は全くでたらめにつけるよりも、ほんのちょっとでいいから、考えてからの方が正解の確率は絶対に大幅にアップするからだ。なぜなら、あなたは少なくとも勉強してきてこの試験に臨んだ。完全なでたらめではつまらないし、ランダムよりも正解率はアップする。

 20%というのは、「ちょっと考えて、これかな?と直感のように感じたものを選ぶ」といったイメージである。完全にでたらめにつけるよりも桁外れにいい。ぜひ、実行してみてほしい。

4.検算

 時間が大事だからと計算問題のときに、きたない(自分で読めないほど)文字で計算する人がいる。殴り書きで計算する。これはだめだ。なぜなら、時間が余ったときに、必ず見直し、計算問題の場合には、検算をすることになると思うが、計算過程をきたない文字でかいては、あとで検算できない。読める字でかいてあれば、思考過程をたどって、短時間で確認できる。でも、よめない場合には、再計算になり時間が大幅にかかってしまうのだ。絶対に、計算過程はある程度、自分が読める程度の文字でかいておこう。

5.自信によってマークをつけておく

 時間があまったら、当然、見直しをするだろう。そのとき効率よく見直しできるように、解答したときに同時に、解答結果の自信の度合いを問題用紙にマークで書いておくのだ。「絶対に正解:無印」「まあ正解:△」「あやしいので要見直し:○」「全くわからん:×」といった具合だ。

 あと10分残っていた。では、△、と、○の解答を再度確認してみよう。となる。確認おわったけど、まだ時間がある。では、×の問題をやってみるか、と時間配分を行なうのである。

 いかがであろうか。小さいアドバイスかも知れないが、結構重要なことを書いたつもりであるが。

6.記憶

 試験勉強には、必ず暗記せざるを得ない箇所がでてくる。この暗記を苦手としている人も多い。記憶に関する考察をしてみたい。

 まず、私自身がある範囲を記憶しなければならないとしたら、どういう勉強の過程を経るかを思い返してみた。私の事例である。

1.まず、教科書の暗記する範囲を読む。十分に、いや完全に理解できるまで何度も読む。理解できていないものを人間は記憶できない。これは大前提だからだ。8文字のランダム文字を暗記するのは大変だが、「みなさんおはよう」を覚えるのは一瞬である。理解できていないものを記憶するには、100倍の労力が必要だ。

2.自分で、その領域の知識を図示する。重要語句を書き出し、その関連性を線で結んだりして、図にする。いわゆる知識のチャート化である。教科書、参考書に既に図示したものがあっても、それにとらわれずに自分で図にしてみる。自分でオリジナルのチャートを作らなければならないのだ。その図こそがあなたが最も記憶しやすいチャートなのだ!

3.ここで終わりではない。その段階で、もう一度、教科書の暗記する範囲をよむのだ。これによって、教科書ー>チャートという関係だけでなく、。チャートー>教科書という関係も、頭の記憶回路に完成させる。教科書を読みながら、「自分の書いたチャートのあの部分だなあ」とチャートを思い起こし、関連つけながら、読んでいく。これで、頭の中に双方向性の情報ルートが完成する。チャートを思い出すことで、教科書の文章、表現が頭にうかんでくるようになる。

4.ここまで行ったら、いったん忘れて、他の勉強をする。かなりの期間を空ける。(最低でも1週間程度)そして、もう一度、上記の2,3の作業を繰り返す。こうすることで、頭の芯に、記憶が格納される。この作業をしないと、頭の表面に記憶されており、簡単に忘れてしまうようになる。この作業をすると、記憶回路の中心部にこのチャートは移動する。これによって、当分、忘れることがなくなる。心理学者でないので、なぜそうなるのかわからないが、自分の経験ではそうなる。みなさんもやってみてほしい。

5.そして、試験の直前(2、3日前〜1週間くらい)に、最後の1回、同じ作業(2,3)を行なう。チャートを書いて、教科書を読み直す。これを行なう。試験直前に行なうことで、記憶の表面にもアクセスポイントがあらわれ、使いこなせる状態になる。スタンバイ!という感じだ。

6.試験前日は、もう教科書は読まない。チャートをひたすら眺める。頭の中で考えながら、チャートをなぞっていく。ずーっと見つめる。時間が許す限り。これによって、チャートを頭に焼き付ける作業になる。真剣に行なえば、眼をつむっても、眼の前にチャートがありありと、浮かぶようになる。

7.そして、前夜は必ずよく寝る。もし十分にとれなくても、3時間でもいいから寝る。この寝ている間に、知識が整理され、整列され、最後の格納が行なわれる。寝ないで徹夜などしても、格納はされない。

8.さあ、当日。眼をつむって、チャートを思い出してみよう。どうですか?頭にうかんでくるでしょう。そうして、チャートに現れる部分に対応する教科書の記述も、すらすら思い出せるでしょう。これで、100点間違いなし。一応念のため、試験直前まで、チャートをながめていよう。

 以上が私の試験準備のための記憶術である。みなさん、どうでしょうか。もちろん人ごとに、ベストの方法は異なるだろう。でも、それを早く発見することが非常に大事である。私の直感では、結構資格をとっている人は、あ、おれと同じことしてる、って感じてると思う。

7.私って馬鹿なのかなあ

 ある資格を目指し、志高く、勉強を開始する。参考書を買う。学校へ行く。

 すると、「うわ。むずかしい!よくわからない」と驚く。参考書読んでいると頭いたくなるし、学校へ行っても、講師の話がよくわからない。難解で、いくら勉強してもわからない。まるで、外国語のような授業であり、教科書・参考書は古文書のように感じる。

 するとたいていの人はどう思うか。「ああ、全然わからない。隣の奴見てると、理解できてるようだ。それなのに、俺ときたら...きっと、俺って、理解力がわるいのだろう。馬鹿なのかも知れない。思い出したら、昔から成績わるかったもんなあ...頑張って勉強しているというのに。もうだめだ。そもそも、俺の目指せるような簡単な資格じゃなかったんだ。もうやめだ。親をうらもう」こうして、落ち込んで、せっかく生まれた向上心は消えうせてしまう。授業料も、参考書も無駄になってしまう。

 これは間違っています!絶対に受験生たるもの、こんな誤った考えをもってはならない。その理由を書く。

 普通、勉強は自分でやるものだ、でも、それでは理解しづらいし、助けてほしいから、お金を出して、理解力をあげてもらうために学校に行くのである。あなたは、金を払ってヘルプ(サービス)を買う客なのである。客は偉いのである。反省することはない。これを忘れてはならない。わからない貴方悪いのではない。プロなのだから、わからない人に理解させるのが仕事なのだ。あなたが理解できないというのは教えるほうが素人なのだ。「でも、しょせん、理解するのは個人だ、努力するべきは個人だ」という勘違い講師がいたら、いいたい。「じゃ、お前なんかいらないじゃないか!」

 うまいラーメン屋に食べにいく。まずくて食えない。「ああ、俺は馬鹿だから、うまくなくて、食えないのだろう」なんて、落ち込む人います?そのラーメン屋がヘボいのだとすぐわかるでしょう??

 日本人はおとなしすぎる。仕事がら、外国人の教育コースに出席することがあるが、本当に、外国人の受講者は貪欲だ。わからなければ、その場で、顔をしかめ、手をあげて、「わからないよ。質問!」と叫びだす。先生も、にこっとして、更に噛み砕いて話す。最後に「ああ、わかりました」という。実は、そのポイントは私もわからなかった。質問してくれて本当にうれしかった。

 日本人は違う。講師が話している間、ずーっと沈黙だ。無表情で話を聞いている。だから、周りを見ると、難解な話でも、みんな理解できているように思えてしまう。でも、終わってから聞いてみると、みんなわかっていない。難解だからだ。でも質問は?と聞かれても、みんな質問しない。恥を恐れるからだ。でも、間違いないのは、1人がわからないときは、みんなわかっていないのがほとんどなのだ。まるで、沈黙の時間のように、だまって理解できていない話をきいているのだ。そのくせ、講義が終わると、わっと講師のところにかけつけ、列をつくって質問している。

 わからないのは、講師の責任なのだ。講師自身がそれをわかっている。わからない、と講師にうったえるから、彼らは頑張って、更に理解しやすい説明をしようと頭を絞る。でも、みんな黙っているから、理解してるのかなあと講師も誤解する。金はらってんだから、もっと、講師をこきつかおうではないか!義務教育じゃあない。あなたがたは、出席するためじゃなくて、理解するために、非常に高い授業料を支払っているのだ。だいたいお金はらって学校へいって、落ち込んで返ってこさせるような学校はとんでもないと思う。どんどん質問しよう、満足に答えられないようだったら、その学校はだめだ。

 参考書もそうだ。わかりにくい参考書に出会ったら、ああ、わからないと落ち込むのではない。「こんなにわかりづらく書きやがって。なにをかんがえてるんだ、こいつ!」と怒ればいいのだ。そうして、著者を思い切り罵りながら、やぶって捨てる。少なくとも私はこうやってきた。

 必ず、わかりやすい説明はあるし、わかりやすい参考書は存在する。その参考書、講師、説明にあなたは、まだ出会えていないだけなのだ。それを日本人の悪いくせで自分に原因を求めているのだ。

 しかも、自分を馬鹿だと思っても、それで何が解決するのか?何もプラスはないではないか。マイナスにこそなれ、プラスなどにならない。試験勉強中は、自分に対するある程度の自信が絶対に必要なのだ。そんな、状態では試験など合格できるはずがない。自信を失ったら、やるまえから落ちている。理解できなかったら、教材、講師が悪いのだと思う傾向をもっともったほうがいいと思う。

 わからなかったけど、ある講師の話を聞いたら、眼からうろこが落ちた、とか、いい参考書にめぐり合えて、急に勉強が進んだ、なんて話はざらにあることなのだ。