続々株式マニア

1.八分目

 相場全体が上がっているときには、どんどん買い込み、とうとう全財産に近いものを株にしてしまう。そのころに、がーんと相場が下がる。株だから、上がったり下がったりするので、なんら慌てる必要はないのである。

 しかし、悔しい場面に出くわすことになる。かねてから狙っていた銘柄が、購入希望価格を大幅に下回ってくることがあるからだ。たとえばA社の株を買いたいが、まだ1000円する。800円になれば買ってもいいんだが、と思っている。そこで、相場全体の大きな下押しがある。800円どころか、600円くらいになっている。あーかいたい!と思う。

 でも、腹いっぱい買ってしまっているので、どうしようもない。もう、買いにでるための資金がないわけだ。指をくわえてみているだけだ。あとの株を処分しようにも損切りになるので売りに出せないことになる。

 常に株式市場には、大バーゲンと、大品薄状態が交互に訪れる。大バーゲンのときに、財布をわすれてしまっては、こんなくやしいことはないだろうし、得なチャンスを逃したことになる。

 1900年代初頭に大暴落を起こしたウォールストリート。これが世界恐慌につながっていったわけである。あらゆる株が数分の1になったが、このときには、いくら安くなっても、もう誰にも買うことができなかった。なぜなら、みんな腹いっぱい(全財産)を株につぎこんでいたからだ。このとき、国民が腹八分目だったら、おお安いと、残りの財産でかったかもしれない。

 このときに、有名なロックフェラーは、大暴落後の株を買っていった。これが世界経済回復後の巨利につながったのである。つまりロックフェラーは、腹八分目だったのである。一杯の人間、企業は大暴落でことごとく、破綻したのであるが。株で巨利をつかんだ人間が例外なく腹八分目である。そして、残りの2分を、いざというときのためにのこしていたのである。食い物も投資も腹八分目が長生きできるのだろう。

 調子のいい相場状況のときに、やがてくる大バーゲンに留意し腹一杯は絶対やめるようにしたい。大バーゲンになったときに、たたきうり状態のときに、笑って買い込めるように、資金はいつも2分は残しておくべきである。そして、ここで、安い株を買うのである。上がったら売るのである。相場の当たり前のことである。このバーゲンを買うというのは、ナンピンに似て全く性格が異なる。買値の半額になってから買い増すという単純な商いと、冷静に自分が判断した適性株価を大幅に下回ったから買うというのは違うのだ。

2.株のメリット

 株をやるのは、値上がり益をつかもうとするからであろう。でも、それ以外にも副産物のメリットが多い。私は株をやるようになって、以下の点がかわったと思う。

1.経済に詳しくなる

 経済の勉強を一切してしたことがない。でも、株を購入した瞬間から、世の中の経済の動きを実に理解しやすくなった。経済学の用語もどんどん頭にはいっていく。不思議である。やはり、購入したことで、より親近感がましたのであろう。実践でなく、経済を勉強などしてたら、頭に入るのに数年かかったろう。日本経済新聞なども全ページ楽しく読めるようになった。

2.世界中の情勢に関心がいく

 世界のどこかで、戦争になった、農作物が不作だ、金鉱が発見された、米国の銀行が合併した...云々。それらは全部、日本経済、株価に反映される。どんな世界ニュースでも、それが日本にどう影響を与えるのかを瞬時に考えるようになった。だって、ロシアの寒波で、住友金属鉱山の株価が変化するという状態なのだから。

3.ものを長い目でみる

 調子のいい会社を全面的に信用しないし、どん底の会社に注目することもできるようになった。これは会社だけでなく、いろんなことに反映され、なんに対しても、今の状況だけでなく、長い目でみたときの視点を持つようになった。また、マスコミの報道の無責任さ、世間の一般評価のいいかげんさも実感でき、なにかの評価をする際に、まわりの世間評価に振り回されないようになった。マスコミに絶賛された企業が凋落していき、今度はいじめられ、株で痛い目に何度もあったからだろうか。また、人間にも「人価」というのがあったら、面白いだろうなあと思う。

3.証券会社と証券マン

 主婦が家のお金を株に投資して、大損こいてしまった、という話を聞いてみると、必ずといっていいほど、証券マンへの苦情が出る。

 いわく、「証券マンのいうとおりに買ったら損した」「損を取り返しましょう、といわれて買った株がまた下がった」「責任を取らないで薄ら笑いをしている」「株をやる気がなかったが、証券マンの口に騙されて買ってしまった。」「証券会社の上司に電話したがラチがつかなかった」云々。

 それは、株の初心者が、証券会社と証券マンそのものを勘違いしているためである。以下の点を勘違いして、このような発言がでてくるのである。

1.証券マンは、私を儲けさせるためにやってきた。

 証券マンは、株式売買をして手数料を頂戴するためにやってきたのである。別に幸福の青い鳥ではない。売買させるために、手段として銘柄推奨をするだけである。

2.証券マンは信じるに足る人物である。

 だれそれが言った、などということをうのみにして、人のいったとおりに、売買するなどは愚の骨頂である。株は自分で判断し、自分で決断するものだ。信じる、信じないとは全く別の次元である。彼らのいう「上がると思います」は、あくまでも「思います」である。

3.証券マンはプロである。

 証券マンは、売上を達成するプロであり、別に株価予測をするプロではない。だから、彼らに確度の高い予想を期待するほうが間違っている。彼らの推奨銘柄は、本社からの指示や、新聞・TV・投資雑誌などを読んだ程度での、自分のカンでいっているだけで、大切な金をまかせるようなレベルの信頼性ではない。ほんとにそんなものが予想できるプロだったら、株式評論家で食ってるか、自分で投資して億万長者になっている。客が聞いてくるから、自分の考え・会社の考えをいっているだけだ。

4.証券会社の推奨はまず上がる

 私個人は、全く逆で、まず下がる、だと思う。だいたい、市場の動きから見て、無難な予想をいうだけだからである。調子のいい会社は誰でもみんな、いい会社だと思うので、うまみなどなく、とうの昔に上がってしまっていることが多い。だから、たいてい、天井で買わされてしまう。以前は、証券会社の動きを市場が注目していたから、推奨された株がその通りにあがったこともあった。((バブル前期)今では、日本の証券会社の手口など、無視されているに近い。みな、外国証券の手口を注目しているからである。申し訳ないが、日本の証券系列の投資信託の価格をみてほしい。株やさんの、分析・予想などこんなものだ。

5.まかせて安心

 お金をまかせてしまう人すらいるけど、信じられない。何度もいうけど、証券マンは事前事業で来ているわけでなく、売買手数料をえるためにきた。お金をまかされれば、買って売って買って売ってを繰り返す、回転商いをするに決まっているではないか。売買手数料が増えるからである。私だって、証券マンだったら、そうする。欧米のように顧客資産総額向上を目標としようとした証券会社もあったが、今では元通りの手数料収入重視にあっというまに逆戻りしている。

6.私は株式投資初心者なので優しくしてくれる。

 株式投資暦の長いつわものの顧客は、証券マンが頭をさげても、なかなか売買してくれない。そう証券マンのいうことを信じていないからである。推奨銘柄など、まず買わないし、買ってもそれは推奨銘柄というにが上がりそうと思ったからではなく、証券マンとのおつきあいで顔をたてて買っているのである。ところが、初心者は扱いやすい。わからないから、いうことを聞いてくれる。買えといえば信じて買ってくれる。こんな、おいしいお客さんはいないだろう。

 証券マンが出入りしてくれれば、売買についても楽であるし、証券会社の思惑や、参考意見としての各種の情報をきかせてもらうことができる。これらの情報の仕入先として証券マンを個人投資家は使いこなしていくべきなのだ。そうすれば、こんな便利な人たちはいないと思う。証券マンから、情報を仕入れて、自分で判断して、注文を出す。至極あたりまえのことだが、こうして証券マンとはつきあっていくのである。彼らも、それで客に喜んでもらえて、かつ、自分も成績があがる。いうことなしなのだ。

4.利回り採算

 日経平均はこれだけ下落すると(平成12年10月28日現在)、利回りで買ってくる人が増えてくる。

 通常、株では配当金など雀の涙みたいなものである。200万円で買って、年間配当金5000円とかでは、誰も期待しないだろう。利回り、5000/2000000で、0.25%である。これでは、銀行の定期預金の利息のようだ。このように配当金など誰も期待しないのが株の世界での普通の状態なのだ。

 しかし、株価が大幅に下落してくると、これが無視できない数値になってくる。たとえば、200万円が10万円になったりすると(最近本当にこのくらい下落したものがあった)、なんと利回りは、5%である。いまどき、5%なんていう配当金を払えるような金融商品はみあたらない。すると、この利回りが株を買う上での参考になってくるのである。

 「配当金の利回りが5%かあ。じゃあ、この配当金を取るだけでも大きいや。銀行預金の50倍近くいいじゃないか。おいしい株じゃないか」と思うようだ。本当だろうか?私は落とし穴の一つだと思うのだが...その理由は。

1.まず5%分の配当金分など、株価のちょっとした下落で簡単にふっとんでしまう。10万円で5000円の配当金。でも、10万円の株価が5000円下落する可能性は?ごくありふれたことでしょう。しかも利回りが眼につくぐらいの下落をしてきたのなら、それは可能性はきわめて高いのではないか?

2.また、5%にならない可能性も高い。5%という数値は、配当金/株価である。でも、この配当金は、あくまでも「前回の決算時の配当金」なのだ。これを忘れてはならない。会社四季報の数値は、今現在の数値ではないのだ。昔の数値なのである。そして、株価は、現在の数値である。だから、配当金/株価は、昔の値/現在の値となり、意味があまりないのである。ましてや、下落してきた銘柄である。きっと、経営成績が悪くなってきたのだろう。では、次回の配当金は、減額される可能性が極めて高いではないか。会社四季報の情報は現在に近いものではあるが、常にあくまで古い情報にならざるを得ないことを忘れないようにしよう。

 上記の2つの現象は、つねに現実の株式市場で起きている。

 下落する。四季報の数値で計算すると、利回りが高い、PBRが高い!とか喜んで買いに入る人が結構多いようだ。でも、配当減額、赤字決算による資産現象などが、続いておこることが多く(だから下がってきたといえる)、結局、次の決算後に再計算すると、ぜんぜん得ではなかったということが多いのだ。

 銀行預金と比較するのは、まったくナンセンスなのだ。銀行預金は、元本保証、利率確定、政府保証付きという好条件での、0.15%なのだ。元本保証なし(倒産で0もあるし、株価下落、赤字による資産減少がある)、利回り不確定(配当減額など)の株式配当と比較するのもナンセンスなのだ。まったく、別次元のものとして考えたほうがいい。

 利回り採算にのってきた、お得だ、買いだ!こう叫んでいる人は、みんなの買いをあおっている人か、相当の素人の理屈屋である。または買った人が自分を勇気つけるために、勝手に作りあげた買い理由なのである。

 利回りなどという変な理屈で買うのでなく、株式購入の原点「その会社の成長性を買った」という理由のみでみていきたいものである。

5.シミュレーション

 最近はやっているのが、ネット上で、架空の取引で株投資の腕前を競う、シミュレーションだ。架空の元でと、架空の取引を行なって、誰が一番設けを大きくするかを、大会のように競うのである。実際にはお金はつかわない。

 証券会社なども自社サイトなどで力をいれてやっているようだ。まだ、自分のお金をいれるのは恐いという人、お金がそんなにないという人、腕まえを試したい人などに人気がある。

 確かに、いろんな勉強にもなるし、初心者は株のいろんな仕組みが覚えられ、危険もなく、参加できる。証券会社も、将来の顧客獲得などに有効である。米国でも、小学生などに、やらせて投資感覚の体験をさせている。

 でも、私は、「シミュレーションと、現実の株式投資は天地の開きがある」と申し上げたい。仕組みの勉強としていいだけで、これで、勝ったから儲かったから、現実の株式取引で儲かると思ったら、オオオオお大間違いだ!!架空の取引の世界で儲かった、俺は取引がうまいんだと、胸を張っている方は、株の恐ろしさを全然ご存知でない。

 シミュレーションをしているときに、あなたが選択する株の銘柄と、自分の大切なお金を出して買うときの株の銘柄は、全然違ってくるのである。なぜなら、あなたの大切なものを失う可能性があるからだ。ゲームではそれがない。安心して危険、冒険の株もかうとこができるのだ。

 買った後も、10%値下がりした。シミュレーションでは冷静に見守れる。しかし、自分の金で買うと、突然、動揺しはじめる。ああ、こんなに損をしてしまった、この分のお金を使えば、こんなこともできたのに...まだ、なんかドカンと下がるような感じだ、まずい、どうしよう、失敗した、ああ、もう売ってしまおう。といったどん底投げを実際にはやってしまう。これが、株のもっとも一般的にある、敗北パターンなのだ。この心理状況が、シミュレーションでは決しておきないのである。

 株で必要なのは、目先の上下に惑わされずに、長い目でみることだ。しかし、現実は動揺して投げてしまう。それを歯を食いしばって頑張れるということが、まさに腕のはずだ。それがシミュレーションでは起きないし、鍛えられない。上がりだす、目標値に達する。このとき、シミュレーションでは誰でも売る。しかしお金を出した売買では、「うーん、まだ、あがりそうだなあ。あとXXX円あがれば、あのあこがれの車が買えるぞ。まってみよう」となって、売り時を逃してしまうのが、いつものことなのだ。全然、人間の反応は異なるのである。

 もっというと、株はまさに、他の全投資家との、心理作戦、社会心理学の戦いなのだ。欲と恐怖をうまく煽り、自分だけ抜け駆けしようとする戦いだ。それなのに、欲も恐怖もわかないような、架空取引でうまくいったからといって、現実の取引がうまいなどと思ってはならない。

 シミュレーションで勉強し、自信をつけ、いよいよ市場に参入する。その際には、さあ、今度はそう甘くはいかないぞ、自分の心との戦いだ、と覚悟し参入してほしいものだ。

 ボクシングでシャドーボクシングだけをいくらやっても、実戦で勝利することはできないのである、

6.惚れるな

 投資においては、投資先の企業について可能な限り、情報を集め、それを冷静に、分析・評価しなければならない。でも、いかに情報を集めても、それを冷静に評価できず、自分の思い込みで歪めて解釈してしまう傾向がある。それは、その株に惚れてしまったからである。これでは情報を集めても意味がない。はじめから、惚れて結果を決めてしまっているからである。あとは情報を集めても、すべて、その結果にあわせて解釈をしてしまう。

 恋人も、惚れてしまえば、あばたもえくぼである。「お、この会社いいじゃん!うん、素晴らしい。買うことに決めた!」この株を買うと思い込んだ瞬間、赤字もかわいいものに見えてきてしまう。どんなマイナス評価の材料も、自分で思いこんで、いい材料、とるに足らない材料と解釈するようになる。惚れてしまう、というのは先入観のきわめて強烈なものと思ってもいい。

 あまり他人の評価に一喜一憂する必要はないが、本来どうみても見落としてはならない重大なマイナス要因すら、その歪んだ心のフィルターによって、捨て去られてしまい、会社の重大な転換点を見落としてしまうのである。重大な警告サインを意図的に隠して評価してしまう。で判断を誤る。「こんな材料、とるにたらん。なぜなら....」と、理由をこじつけて、自分で納得してしまう。「この評価をした人間は悪人なんだ」

 しまいには、事実として、その会社のよくない最近の傾向を指摘しているのに、「あのやろー、よくも俺様の買った株の会社の悪口をいいやがったな、ゆるせん」と感情的になってしまったりする。そのときに、その指摘を再考すれば、買わなかったり売り逃げられたかも知れないのである。

 また、こうなると、業績とは関係ない、もしくは、あってもわずかな材料も、この会社の将来にとって、非常に大きなメリット、好材料と判断してしまう。ちょっとした材料を過大評価する。

 競馬でも同じだが、予想屋は自分では馬券を買ってはならない。なぜか。自分がかうと、その馬に惚れやすくなり、予想屋の唯一のメリットである、冷静に馬の実力を評価する、という点がなくなってしまうからだそうだ。つまり惚れて、評価ができなくなってしまう。

 もちろん、惚れるの逆もある。一度、この会社を買わない、などと思って嫌ってしまうと、この会社のいい買いシグナルを頭の中の誤ったフィルターが捨ててしまうのだ。

 つまり、「細かな材料の指摘に動揺して、売買に影響を受けるのは愚かであるが、重大な悪材料すら惚れて熱くなった頭で、ゆがめて解釈し、見逃さないようにしよう。逆に些細なことを過大評価しないようにしよう」ということである。惚れないと株はかえないのだが、惚れすぎてしまうと、相手にくわれてしまう。

 財務を見ても、倒産寸前。状況をどう見ても、やばい、時間の問題という状況でも、その会社の株を買ってくる個人投資家はおおい。はたからみると、「なにかんがえてんの?どうみても、危ないのに」とわかるのに、本人たちは「へへ、おまえたちには、この会社のよさがわからんのだ。必ず復活する」と思いこんでいるのだ。こうなると、惚れているというよりも、宗教の一種のような状態になっているのかもしれない。

 冷静さ、「所詮、儲けるために、その会社の株を買っているにすぎないんだ」という諦観ももたないと、心中してしまう。

7.個人投資家の時代

 報道番組、経済番組で「これからは、個人投資家の時代」などという表現が目立つ。政府も健全な市場のために、個人投資家の育成が欠かせない、とも言っている。更に証券会社も、個人投資家の育成のために、無料セミナーなどを積極的に実施しているようだ。

 確かに個人投資家が増えないと、市場は安定度が低くなる。また個人資産が市場に入ることで、経済は活性化する。これは事実である。しかし、今、個人投資家を増やそうと関係者が努力している真の理由は本当にこのような理由なのだろうか。

 一般の庶民のささやかな預金を使って、今の窮地の株価をもたせたい、当面の手数料収入をかせぎたいというのは本音ではないだろうか。つまり当座しのぎ、穴埋である。これからの主人公は個人投資家である、などは、夢物語で、いつの時代も、日本の株式市場の主人公は機関投資家なのである。

 機関投資家の資金が少なくなっている、取引が細くなっている、株価が低迷しているから、やむを得ず個人投資家に眼をむけた、いや個人投資家の持っているお金に目を向けたというところが本音のような気がする。更に、株に興味のなかった人間を株の世界につれてきて、その金を市場に持っていきたいのではないか?本音は証券会社も個人投資家など、相手にしたくないのではないか?手数料稼ぐにも、機関投資家と違って効率が悪すぎるはずだ。

 資産管理型とか言って、営業マンの成績も単なる手数料でなく、外国のように顧客の資産量でつけようとする試みをした証券会社もあった。投資家の資産が増えることが両者ハッピーであるとする発想である。しかしこれも、株式市場が冷え込んで、にっちもさっちもいかなくなった状況でのことで、株価が戻る過程であっさりと、元の手数料型にもどしている。

 バブル時期に個人投資家がどういう扱いをうけていたかを思い出してほしい。個人投資家など、まったく相手にされていなかったのである。だーれも、個人投資家が大事などとはいっていなかった。そして、バブル崩壊。すると、個人投資家の時代と言い出したのである。昨年のあたりに、かなり、株価が戻った。また、そのときには、個人投資家などふっとんだのである。今、株価が再度下落し、また、個人投資家といいだしている。やれやれである。

 個人投資家に狙いを定めると、いつもはコンタクトなどを取らない個人投資家にまでコンタクトを取る、また、なんとか庶民に株に興味を持たせようといろんな企画を練る。しかし、これは「日本の将来のために、個人投資家を育て、市場を安定させよう。」という意図からのものとは私には思えない。

 株に勝てるための知識も経験もない一般の人は、安易に市場に参加するのではなく、自分のお金を自分の生活にあった形(預貯金など)で運用していくのが自然ではないかと私は思う。また、現在、株式市場ですでに戦っている個人投資家も安易に今までの投資方針を変えるべきではないだろう。もし、市場知識もなく、勝てる見込みのない一般の友人が安易に、株の世界に参入しようとしたら、私個人としては考え直せ、またはもっと勉強してからにしろと言うことだろう。

8.政治と株

 平均株価がここまで下がると、市場の雰囲気は、殺気だったものになってくる。大部分の投資家が損をしているからだ。自分の判断が見込み違いだったために損をしただけなのだが、人間は何かに責任を押し付けたがる。

 最近は、株に限らず何でもそうで、どうみても、自分のドジで失敗したのに、役人に責任を押し付ける傾向にあるようだ。こじつけであっても、かまわない。ともかく、誰かが悪くて、こうなったのだと思い込みたいようだ。自分に損な状態が発生すると、ともかく誰かのせいにする、こういう人は株には向いていない。TVのワイドショーでも見ていたほうがいい。最近、多くの投資家が、「株があがらんのは政治家が悪い」というのをいっている。はやりなのか?

 株価下落が政治家のせいだ、などというと大笑いである。政治と株は本来関係ないのだ。じゃあ、株は政治家があげるのか?また、株を上げる政治家はいい政治家なのか?と聞きたくなる。今の大不況の元となったバブルは、株をなんとかあげようと政治的、財政的な小細工をやった結果なのである。株は経済の指標なのだから、上下があるに決まっている。それをいちいち政治家のせいにしているのは明らかに間違いだ。わたしは、まあ、無関係じゃあないね、ぐらいに捉えている。

 政治家は政治をやる専門家で、株の専門家ではない、ましてや、日経平均の番人でもない。強いて株価に責任を持つ人間といえば、会社の経営者だろう。

 株は、政治家がどうであれ、だれであれ、上下するし、株式の投資家は、その中で、儲けることができるようになっているのである。ボートは、風が追い風のときだけに進めるのでなく、向かい風でも進めるのである。追い風じゃあないから、損するばっかで、儲けられないというのは、何の知恵もない証拠である。

 政治家なんかが、株を上げようとムチャなことをするから、相場がヘンになるのだ。バブルなどその最たる例であるといえる。政治家の悪口で食っている夕刊紙などに、感化されているのだろうが、そんなことに怒っている暇があったら、もっと慎重に銘柄を選ぶべきだ。下げ相場であっても、必ず、いい銘柄はある。そして儲けることができるのである。今こそ、次にやってくる上げ相場のために、仕込む絶好のチャンスなのだ、夕刊紙と一緒にグチってる間に、銘柄選び、投資タイミングなどを検討したほうがいいよ。無駄で、ひょうしっぱずれの怒りを訴えるのは、時間と労力の無駄で、投資家はそんな馬鹿なことには関心を持ってはならない。

9.株とスカート

 昔ある経済学者が「女性のスカートの長さと経済の関係」を調査した。そして「スカートの丈が長くなると景気が悪くなり、短くなると景気がよくなる」という説を発表した。これは一概に笑って素通りできない真理のようである。前回のバブルの時など、まさに証明された感がある。バブル景気がはじめる前から、突如、ミニスカートが再流行しはじめたのである。そして、景気が上向くにつれ、どんどんスカート丈は短くなり、バブル絶頂の時の、あのボディコンの大ブームとなる。

 しかし、わたしには腑に落ちない点があった。バブル崩壊といわれた頃から、渋谷の女性達を見ていても、スカート丈が長くならなかったのだ。経済誌や、日経、経済ニュースTVなどでも、不景気、不景気といっているが、全然、反応しなかったのだ。経済評論家などが、バブル崩壊、平成大不況などと言っていたが、渋谷のスカート丈はそのままだったのだ。ヘンである。あの法則は間違っていたのだろうか?

 でも、そうではないと思い当たった。不況とはいっているが、デパートの駐車場をみていると、BMW,ベンツ、アウディ、ソアラ、4WGなどがごろごろしていた。また、高級ブティック店なども客がひっきりなしに来ていた。マンションも新築ラッシュで、これまた好調に売れていた。

 友人の生活を聞いていても、そんなにみんな、悲惨さや、不景気さに満ちたりはしていないではないか。旅行なんぞもガンガンいっているし、それなりにエンジョイをしていた。日本人で飢え死にしたなんて話しだってなかった。 実は、不景気、不景気といっているが、あくまでも、経済指標、経営者、学者、日銀などが不景気といっているだけで、本当の不景気ではなかったのではないだろうか。バブル景気がベースにあるので、なにやら、それと比べて景気が悪くなったように感じていただけの話しなのではないだろうか。

 しかし..わたしの観察だと、最近、ごく最近から急速に、渋谷の女性のスカートが長くなりだしたのである。まさに、東京がうだるような猛暑のころからである。季節の変化のためでないことは明らかである。みなさんも気がつかないだろうか?若い女性も、中年女性もみな、長いスカート丈を好むようになってきたのである。それがはっきりとわかるのである。

 もしかしたら、今、まさに真の不況がはじまろうとしているのではないだろうか。学者や、経済評論家、各種指標が示していたり、経営者がいつも言う愚痴、そしてバブル期との比較の上での「不景気」。これらが今、終わりを告げ、庶民が感じる不況がまさにやってきたのだと感じる。わたしも、肌で、不景気が庶民レベルにやってきたように感じている。急速な離職者の増加、バブル時の蓄えの使いきり、収入の極端な低下などが庶民に襲い掛かっている。みなさんもそう感じないだろうか。

 株はまさにこのスカート丈と関連するものに違いない。経済学者のいう不況でいうならば、既に長期の不況の時間を日本は過ごしたことになる。だから、「谷深ければ、山高し」「夜明け前がもっとも暗い」などの格言とおりに、そろそろ、日本の経済復活となるのかも知れない。今、株は買いなのだろう。しかし、スカート丈に象徴されるように、庶民レベルの感じる不況はこれからだとすると、そうではない。まさに、長期の株価低迷がこれから、はじまるということなのだろう。

 異論はあると思うが、わたしは、経済学者の予測などより、スカート丈で経済の動き、株価の動きを判断することにしたい。