2000/10/7 政治家

 昔、公務員の態度が悪い、とか言われていた。そのとき、新聞の投書で、「私は、1年目の公務員で市役所につとめています。市民に接するときに、サービスアップに努めようと努力していました。そうしたら、先輩から『そんなに1人だけ、いいカッコして気持ちいいかい?』とイヤミいわれました」というのがあった。

 また、夜、駅にいたら、物凄くタチの悪い、泥酔したサラリーマンが、改札の駅員にしつこくからんでいた。酒くさい顔を近づけ、何度も大声で、駅員を罵っていた。駅員が無視をすればするほど、しつこく、いやがらせをしていた。あれでは、客へのサービスアップしようと思っていても、駅員も本当にイヤになり、客に接する態度も悪くなっていくだろうなあと思った。

 つまり、最初は、頑張ろうとしていても、周りの環境が、それを打ち砕くように働き、それらの向上心がくじけてしまうことがあるのではないかということである。

 政治家が、選挙演説で立派な決意を述べる、表情はやる気にみちている。汚職を追放する、国民のために全力をつくす、云々。で、当選して国会に行く。ところが、やがてニュースでその本人の汚職発覚となる。そうでなくても、やる気は、保身、蓄財につけられ、国民への態度も悪くなっていく。反対していた法案にも突如賛成しはじめる。約束した仕事もやらない。

 逮捕されてニュースなどでは、評論家が言う。「こういう人を2度と当選させてはいけないと思う。有権者ももっと、よく人物を見よう!」国民も、この人こそはと、判断して投票しているはずだ。

 私は、はじめは、みな、純真な気持ちで決意し、立候補したのだと思う。だから、この段階で完全にその人間を見抜くのは不可能だと思う。汚職で懐を豊かにしてやろうという気持ちで立候補するのは少ないのではないか?

 当選すると、みなが突然、下に置かない扱いをする。先生、先生と呼ばれ、持ち上げられる。挨拶に行く場所は、みな権力を持っている人間ばかり、付き合う人間も変わっていく。まあまあこれとっといてください、といわれ、いつのまにか懐に入る。やりかたを覚え、周りの人間も結構、ずるいことをやっていることがわかってくる。君はなんでやらないの?平気だよ。みんなやってんだ。次第に、コツがわかり、周りと同化する。

 このころに、最初に救おうと決意した人間が陳情に来る。急に彼らが仲間と思えず、やっかいものに見えてくる。一文にもならんやつらだ。票をいれた程度で偉そうにやってきやがって。

 まじめだった人間が政界に入ることで、だんだん変わっていって、羽目をはずしてやりすぎると、ニュースに出たり、警察につかまったりするのだろう。みなそれなりに純真だったのだ。それが、変わっていっただけだ。誰でも、変わっていくような力が政治家という職業にあるのだろう。

 投票のときに、慎重に、と言われるけど、みな最初は純真なので、立派なことを真剣に話しているので、わからない。むしろ、大切なのは、当選したあとであるはずだ。

 われわれが、しっかりやらなければならないのは、投票を慎重にやるのはもちろんだが、それよりも、当選させて政治家になったあとの、彼らの行動ではないだろうか。人は環境によってかわる。通常は、権力をもった人間は悪くかわっていってしまうものだと、はじめから認識して監視が必要である。

 最初の純真、決意を、いつまでも、保ち続けているだろうか、それとも頭から吹っ飛んでしまい、おやじ頭の政治家になっていくのかを監視していくのこそ大事なのだろうと思う。当選しても、最初の決意を忘れない人こそ、政治家に向いている人、真の政治家なのだろう。当選前のいいイメージではなく、政治家になっての誘惑に負けずに、初心を忘れないという持続力を持つことが大切だろう。