2000/9/26 オリンピック

 オリンピックって、4年に一度しかないんですよね。スポーツ選手ってベストな成績残せそうな年齢の限界ってあるでしょうから。4年に一度というのは本当にきついでしょう。生涯で4回も出場したなんて人もいますが、それは一部の人で、普通は1,2回ってところでしょう。そのくせ、競技自体は、1日とかでしょう。競技の中には、数秒なんてのもある。

 だから、4年間、努力し、待ち続け、切符をつかみ、体調をととのえ、一生に一回だけ参加し、実際のオリンピックでは、5秒で終わり、なんてこともあるわけです。しかも、それだけ、国民全員が期待し、注目します。

 マスコミも報道してるというよりも、わざとつぶそうとしてるんじゃないか、と思うほどの過激な報道をします。

 なんというシビアで、プレッシャーのかかる大会でありましょうか。

 プレッシャーが大きいのが素人でもわかりますし、その人の競技人生でどんだけ、貴重な大会かも理解できます。しかも、4年に一回ですから、その時の体調とかもあって、運の要素も大変大きい。運不運もその大会に表れます。

 運、不運が反映される大会というのは、だいたい感動的になります。実力100%の競技は人気がない。運不運どころか、人生のドラマがこめられているから、面白いのですね。

 金メダルとったひとはスゴイです。人の数百倍の努力をし、それだけのプレッシャーをはねのけ、さらに、幸運も重なったのですから。でも、金をとれなかった人もいいものです。惜しくも失敗してしまった人などをみるからこそ、我々は感動が強くなります。運・不運が反映される大会なのですから、メダル、メダルとがっつかずに、参加者全員に、よくやってくれたといいたいですね。どうも、メダルを勝手に期待して、失敗してしまった人などに、あまりに理不尽に世間は冷たいような気がします。よくやってくれました。室伏選手、吉田選手、ご苦労様でした。

 今回失敗して、よし次回はやってやる、と思っても、4年後なのですね。遠いですね。私がその立場だったら、遠すぎて気が狂います。きっと。

 ましてや、2回も失敗して、とうとう3回目で満貫成就した、柔ちゃんなどは、もう尊敬どころの騒ぎではありません。どれほどの意志に強さと努力が必要なのでしょうか。

 世界に何十億もの人間がいる。走るという行為はほとんどの人ができます。そして、高橋選手の金メダルというのは、その何十億もの人類の頂点になったということなのです。偉大も偉大です。