2000/9/9 女流

 オリンピックももうすぐですね。スポーツでは男女の体力差を考慮して、種目を男性と女性でわけて実施しているものが多いです。当然だと思います。男女の内分泌からしても、筋肉のつきかたなどは、どうしても男性優位だからであります。もちろん、平均身長などの特性もことなります。このように、生まれたときから、差がついてしまうのなら、それは別にして競技しようとするのが欧米の考えです。

 欧米が相撲をみると、「あんなヘビーウェイトと、ライトウェイトがハンデなしで闘うのはアンフェアだ」といいます。男女差だけでなく。体重差でも別競技にするのが、あちらの発想というわけです。

 最近、大変不思議なことに気が付きました。将棋の世界には、女流名人などの女性棋士しかとれないタイトルがあるというのです。将棋って、人間の部位のどこを使用するのかを考えてみると、指もすこしは使うかもしれませんが、大部分というか全部、頭、頭脳であります。あたまの勝負です。考えて相手を負かすわけです。
 この将棋という世界でなんで、男女を分ける必要があるのでしょうか?一緒でいいではないですか?それともわたしの知らない何か理由があるのでしょうか。タイトルは強い人にささげるために、あるわけですよね。
 力はどうしても、男性が強い、だから、スポーツ競技は別種目。合理的です。頭の競技がなぜ、別の種目(タイトル)なのか。考えてもどうしても理解できませんでした。これでは、女性はどうしても男性より将棋を行なうための頭脳が劣っているということになりませんか?
 そんなことは初耳です。将棋会では既にそういう結論になっているのでしょうか。だとしたら、恐ろしい女性蔑視です。また、不思議なことに、女性棋士たちは、それに対して、なんら疑問をもっていないようです。反対したり、怒っているのをみたことがないです。うーん。

 それとも、将棋の強さ以外の女性の特性でわけているのでしょうか。だとしたら、もっと女性棋士を馬鹿にしていることにならないのでしょうか。将棋以外の面に注目されているわけですから。プロの人たちのもののはずなのに、タレント半分ということになってしまいます。この理屈だと、体重80K以上名人位とかのもできてしまいます。

 わけのわからん、女性有利の制度が最近、急速にのしてます。それとも、あまり深く考えるな、女性はかわしいし、華やかだから、別だてだって、いいじゃないか、ということなのでしょうか?どなたか、別だての理由知っている人いましたら、教えてください。

 営業面では、女性を別だてにしたものは世間にいくらでもあります。女性が有利にしてあります。パチンコでも女性専用台がありますし、レディースランチというのもあります。あれならわかります。営業上、華やかな女性が多く集まったほうがいいですし、男性も引き寄せてくれるわけですから。あれは別に女性がパチンコの能力が劣っているからではありません。

 将棋の名人位などのタイトルを女性がどーーんと獲得してくれるのを期待したいですね。

 作家には、女流作家という呼び名がありますが、別に小説のおもしろさを男性と別種目で争っているわけではありません。単に、女性だから、女流作家といっているだけです。