2000/9/8 信念に殉ずる

 タイトルの意味は、「正しいと思ったことに自分の命をかける」ことであります。

 野球で横浜のファンだ、といってた人が、中日が優勝しそうになると、突如、中日ファンになったりすることもあります。でも、こういったことをコロコロかえても、問題ないし、誰にも迷惑はかけません。

 さて、昔々の学生運動では、亡くなった人が機動隊、学生ともに出ました。怪我をした人は沢山いました。そのくらいの大変な運動だったわけです。学生側で中心的役割をしていたような人が、今は大銀行につとめていたりします。そして昔を振り返り、まるで若気の至りだったといってるように私には聞こえる、発言をします。懐かしそうに語っています。若き日のその人の熱き演説、堅き信念にひかれて、集まった学生達が命をかけて闘った、そして何人かは亡くなったわけです。別に責任をその人にあるぞといってるわけでは、ありません。「壮大な理想を追っての戦い。その中心にいてみんなを率いていた人は、自分を信じて死んでいった人を考えると、そうそう簡単に、やーめた、とか、あれは、間違ってたなあ、とか。いえないでしょう」、ということです。

 また、「結婚は女性をだめにする」とか、なんとかを、大声で主張していた女性が、自分が結婚して、「幸せで驚いている」なんて、よくいえたものです。その女性は、若き日にそういう主張本を出版して叫んでいたわけです。きっと、その人のいうことに感化されて、信じて、結婚しなかった女性がいると思います。で、本人は相手が見つかって、あらー何?結婚が女性の幸せよー、なんていってると参ってしまいます。

 これも昔、中ピ連という団体があって、やはり中心女性がいました。そして、男性の横暴をたたくといって、ターゲットのいる男性のいる会社にヘルメットを持って、押しかけました。かたっぱしから、男性中心社会だ、これを粉砕すると叫び組織的に活動しました。
 でしまいに、選挙にまで出たのです。結果は惨敗で組織は、えらくもろく崩壊してしまいました。中心となっていた女性は突如活動中止し、ただの奥様に戻りました。その理由は、だんなさんが、もういいかげんにしろ、とその女性を怒ったからだったのです。男性の横暴をやめさせ、社会を変える、とかいって多くの女性を率いていたひとが、だんなさんが、やめろ、であっさり、奥様に帰ってしまったのです。

 これは自分の反省でありますが、1人でなにかを信じて、1人でなにかをして、1人でやーめた、といっているのはいいのですが、他人に信念を伝え、人を動かし、人を感化し、突如、やーめた、は、やっぱりやめなければなりません。考えてみると、上記のような歴史?的人物と、結構おなじことを今まで、してきたことに気がついている次第です。反省している次第です。