2000/9/7 生き物2と少年法

 日記(これが日記かっ!)で書いた生き物の痛みの件ですが、ある方から、「脊椎動物以外は我々のいう痛みを感じていないのではないか、という話を昔聞いた」という内容をメールでいただきました。

 人間が痛いと思うときは、「神経を伝達してきた感覚としての痛み」のほかに「わっ自分が傷ついた!血もでてる、というショック」「ああ、この痛みはつづきそうだなあ、傷が残りそうだなあという思い」「もしかしたら、これでしんじゃうのかなあ」などなど、いろんな思いが複合して同時にやってきます。これが人間の感じる痛みであります。

 ですから、他の生物よりも、痛みの感じ方は強くなるのかもしれないです。人間の感じるような痛みを感じている動物はいない、もしくは少ないと思います。 前回にも書きましたが、マウスなどは、手術後、すぐにえさを食べ始めます。生体内モルヒネの分泌が人間よりはるかに多いのだそうで、自然界で傷ついても、生き抜くために自分で脳内で、麻酔薬をうっているわけです。人間にもありますが、せいぜい、激しいスポーツを繰り返すと、いい気持ちになる程度です。もっと、自然の中で生きて、しょちゅう怪我していたときには、分泌量も多かったのでしょうか。分散神経構造のイソギンチャクが「ああ、俺はこの怪我でどうなるのか?」などと感じてはいないと思います。

 でも、動物を解剖などすると、人間の痛みとは違っていても、あきらかに別の種類の痛み、苦しみを味わっていると感じます。母は、農家で育ちましたので、いろんな動物を実家でかっていたそうです。豚などは、精肉業者が車で引き取りにくると、異常に鳴くといいます。また、馬などは親と引き離されるときには、事情を理解し、涙を流すそうです。ほんとかどうか知りませんが。他の動物の悲しみについても、よくわかりません。他の生き物はどんな痛みを感じているのか、感じていないのか。これは、科学が進んでも理解は困難でしょう。だって、その動物にはなれませんので。私は原生動物でも、顕微鏡内で苦しんでいるようにみえますし、感じます。

 次に、少年法の改正論議についての感想です。

 もともと、刑法では刑事罰は14歳以上に適用になってます。でも、特別法の少年法では、16歳以上になってます。ですから、16歳未満は刑事罰をうけません。これを改正して、刑法と揃えようというのが骨子です。

 でも、今、世間で問題視されているのは、犯罪者の年齢をいってるんでしょうか?そういうことを問題にしている人は少ないと思います。「今、どんなに残虐な犯罪を犯しても、少年法の年齢の規定がある限り、刑事罰をあたえられないし、被害者も情報をえられない」といったことが問題になっているわけで、年齢じゃあないでしょう、という問題提起なのです。13歳で、人を殺してみたいと、1家10人殺したらどうなるのでしょうか。何歳だろうが、残虐な精神で、計画的に残虐な犯罪を犯したら、それなりに処罰するべきではないか、何歳だろうが、情状酌量すべきなら、すればいいではないか、ということではないでしょうか?

 こういう疑問を一般の国民は感じているのでは思うのですが。13歳でも、凶悪な感情で、計画的に、残虐な犯罪を起こし、反省が芝居であるなら、それなりの刑罰を、17歳でも、精神が未成熟と思われ、反省もしており、情状酌量をできるのであれば、してあげるべきです。

 過去の暗黒時代のように、残虐な刑罰主義を恐れ、歯止めをかけるのはわかりますが、現代の少年をみてると、これが少年?と思うような成長で、考え方も完成してきている人もいるようです。成長面での差が大きいのです。もう年齢で規定するのには、あきらかに無理がきています。法的な成人を18歳にするか、20歳にするかという問題とは性格が異なります。
 ですから、16歳のままでいいので、殺人、傷害などの凶悪犯罪についてのみ、この制限をはずせばいいのです。凶悪犯罪についての規定は厳密に決めればどうでしょう。

 もう一ついうと、現在の法律でも十分、処罰できるはずです。判決の量刑を、凶悪なら、きちんと重くし、確定後も安易に仮出所させなければいいわけです。出所後も同様の犯罪をしそうであれば、一定期間、かなりの重みの保護観察、教育をすればいいのです。どんどん、半ばで出所させちゃうし、入所期間後は、ほとんど自由そのものにしてしまっているわけです。適用がうまくいってないだけで、法律そのもののためなのでしょうか。そっちの徹底も御願いしたいです。

 森総理が考えたといわれる「奉仕活動」には不安いっぱいです。それは、奉仕する気のない奴が奉仕したら、相手の方は迷惑で悲惨だということです。人のために、何かを無償でしよう、と決心した人間が、とりくんでくれるなら安心です。奉仕活動はやる気がない人間がはいれば、相手は迷惑し、成果は悪化し、チームワークは乱れ、全体のモラールが低下してしまうでしょう。

 奉仕なんて、だるいぜ、ざけんじゃねえや、と思っており、救出されて悪態つくような若者に奉仕活動させたら、恐ろしくて身の毛がよだちます。たとえば、掃除させたら、どういう掃除するのでしょうか?ゴミ撤去作業しながら、缶コーヒー飲んで、その空き缶をほっぽっていくでしょう。お年よりの世話に関係したことでもさせようものなら、お年よりにおそらく迷惑しごくでしょう。なによりも、現時点でまじめにボランティアで「奉仕活動」やってる人間に迷惑がかかるのは確実ではないですか。いやいやブーたれてる人間にやらせたら、どえらいことになります。

 若者の凶悪犯罪を防ぎたいのなら、今の若者を熟知した専門家が対策をつくっていくべきで、現場を知らない老人では、自分の経験でしかアイデアを考えられないと思います。「今の若者はたるんどる。わしの時代のように、びしびしやったれ」といった単純な感覚では、この次の対策で「自衛隊1年入隊義務化」「でっち奉公の義務化」「『正しい国民になるために』朗読」などがあがってくるような気がしてます。