2000/9/6 生き物

 自分が体験した感覚を、人に伝えるのは難しいものです。

 学校では生物学を勉強しました。生物学を勉強するために、その過程でどうしても生き物を沢山、殺さなければなりません。

 植物を殺すのは、あまり、人間は罪を感じません。植物には神経組織がないからでしょうか。しかし、動物を殺すのは恐いものです。いやなものです。

 ホルモン関係の研究をするためには、やむなく、マウス(二十日ねずみ)を実験台にします。内分泌学を専門に学習するためには、1人で100匹はマウスを使います。いろんな実験をしたあとは、殺して解剖をしたりします。

1.殺し方もいろいろあり、首の骨をはずす、ギロチン、エーテルなどがあります。意外なことに、エーテルで殺すときが一番見ていられません。おなかを大きく、上下させ、苦しそうに痙攣を起こします。眼球が飛び出ます。生き物が死んでいく、という感覚があります。

2.必ず慰霊祭を1年に一回行ないます。

3.マウスはかわいいです。しかし、鉄則があります。「殺さなければならないマウスは、(手にのせたりして)かわいがってはならない」です。情が移ってしまい、かわいそうで、もう殺せなくなってしまうのです。

4.マウスは人間をまずかみません。しかし殺すために手にとると、不思議に手に噛み付く(血がでます)ことがあります。何か、マウスに伝わるのでしょうか。

5.マウスの手術も行ないます。マウスの精巣を切除したりします。私はこれが非常に早かったです。エーテルで麻酔をします。(殺すときとの差は、単にその時間に過ぎません。麻酔とは半殺しのことなのです)手術をして、麻酔がきれます。人間は泣き喚きますが、マウスはすぐに食事をはじめます。生体モルヒネの分泌量が多いためです。

 マウスと並んで、蛙も殺します。蛙の神経を使用して実験をするため、首を切断します。首はずーっと首だけで生きています。首をおいたまま、人が歩くと、目玉がその人間を追います。

 海洋実験では、アメフラシなども解剖しましたが、アメフラシにメスを入れると、大量に体液を放出しながら、キュウウーっという悲鳴をあげます。ほんとです。その悲鳴は耳にいつまでも残ります。

 あるとき、実験で使う予定で、イモリをシャーレにいれました。わすれてしまい、10日もそのままにしてしまいました。でも、イモリは生きていました。アメリカザリガニも大変、生命力は強いです。

 さて、学生時代に最初にやった解剖はなんと、ミミズです。ルーペで観察しながら、解剖をしていきます。ほんの5センチくらいのもので、どこにでもいます。雨のあとなどは、道路できっと、何匹も踏み潰してしまっているのでしょう。解剖前に先生がいいました。「生命を殺すときには、いかなる生命であっても厳粛な気持ちで感謝しながら、行なうように」

 ミミズをまず針で台に固定し、胴体を鋏で切り開いていきます。その際には、ルーペで拡大してみながら行ないます。ミミズの口が見えました。口をパクパクしていました。苦しがっています。蠕動運動しながら、苦しがっているのです。まるで口は悲鳴をあげているようなあけ方でした。ミミズなどいつも踏んでいたのでしょうに、こうして観察すると殺せません。我慢して、胴体を切り開きます。鋏で切るたびに、なんとかしようと体を苦痛でくねらせ、もがきます。鋏で切る感覚がまるで自分の肉をきるような感覚となりました。痛いです。

 すっかり切り開きますと、最後にミミズは口の動きをゆっくり止めました。まるで最後の「ああ」という声をだしたように感じました。

 いもりの脚の指をはさみで切断するときにも、はさみに、実にいやな感覚が伝わります。まるで自分の指をきるようです。バチン!きった脚から血を出しながら歩いているイモリを見ると、みんなが、「ああ、いたい!歩くな!」と叫びました。

  どうですか?ここまでお読みになって。きっと、大変気持ち悪くなっておられると思います。生き物を殺すというのは、小さな生き物であっても、非常にいやな、いたたまれない、不快なものであることがおわかりになっていただければ嬉しいです。私が感じた感覚を少しでもわかってほしいからです。生き物が死ぬ。生き物を殺す。何度、体験しても、いやなものです。

 おそらく、私は、いや、同期で生物学を学んだひとたちは、みな、人間を殺すことなど、とてもとてもできないでしょう。できると思っている人も皆無かと思います。ミミズを切るのにも、つらい思いを生物を学ぶ人間は感じています。人間の皮膚に穴をあけ、肉を切り裂く。痛みに相手は大声をあげ、もがくわけです。考えても、絶対にできません。ミミズを切っても、きったときの感覚が指にいつまでも残るのに、どんな感覚が手にのこってしまうのでしょうか。不気味な感覚に違いありません。

 あなたが、頭にきて、手に刃物をもち、人をさす、とんでもない、それは吐き気のする気持ち悪い感覚であると思われることがおわかりでしょうか。刺すまでは感情的でも、刺した瞬間の不快感に絶望的になると思われます。

 しかし、最近の事件をみていると、人を殺してみたかった、と子供を数十回刺した、とか、老夫婦を殺して、殺す経験をしてみたかった、などという犯人はあらわれてきています。殺した後も、上記のようか感覚は感じていないようで冷静です。単に精神異常だった、という問題とは私にはとても思えないのです。異常とかではなく、別な生命体としか思えません。基本的な感覚が違うのです。通常の感覚なら、刺せば、その手に伝わる重み、相手の激痛の表現をみて、動転し、なんてことをしてしまったんだ、になると思うのです。または、相手の痛みを見て、動転して、早く死んでくれと目をつぶって刺しまくることもありえるでしょう。そしてその犯人は寝ても手に残るその不快な感覚と罪悪感にうなされるのでしょう。

 へー、人を刺してみたけど、殺してみたけど、こんな感覚がするていない人間とは同じ世界に生きたくないです。犯罪者である点とか、精神病であるとかの問題以前に、同じ人間とは思えないからです。このような宇宙人が沢山、あらわれてきた世の中、不安でしょうがありません。

 もしかしたらですが、都会に虫などがいなくなり、子供のころに虫の死などに接していないから、(私など、子供、いやガキの頃、昆虫などの動物をよく遊びで殺してたです)生命に対しての基本的感覚が育たなかった、とか...考えすぎか。