2000/8/7 冤罪

 この前、ドキュメンタリ番組で、痴漢の冤罪を取り上げていた。

 満員電車などで、何もしていないのに、「痴漢だ!」と女性に叫ばれ、手をひかれ電車を降ろされる。駅の部屋につれていかれる。「なにもしてない!」といっても誰も信じてくれず、正義感あふれる?若者あたりに、手を押さえ込まれ、強引につれていかれてしまう。こんなバカなと思っても、どんどん次の段階に進んでしまう。まさに悪夢であろう。

 何もしていないが、ここで女性にあやまり、必要なら示談金を払えば、許してもらえる。

 (なんでも、最近、女性2人と男性1人がチームを組んで、この示談金目当てで、サラリーマンを狙うチームがいるそうだ。被害者役、そして「私みました」という証言をする女性の役、そして、通りがかりの正義感あふれる若者役である。彼は逃げないように押さえつける役である。警察がきても、証人役の女性がいれば、100%痴漢既遂犯とみなされる。おそろしいやつらである。)

 さて、駅の部屋で罵られていると、警察が来る。警察は頭から、女性のいうことだけを信じ、男性のいうことは無視するそうである。男性は「往生際の悪い犯罪者」ということで警察署につれていかれてしまう。

 取り調べでも、徹底的に自白を迫られる。「オマエは痴漢をしたんだよ!」というやつだ。結婚していれば、奥さんが真っ青になってやってくる。ここで、奥さんからは、男性が欲求不満であったとかの発言をなんとか誘導して引き出そうとするとのことである。

 否定しつづける。すると、自白するまで何泊も留置所にとまらされる。大金持ちなら、弁護士を呼べる。しかし、国選弁護人というものは裁判にはいってからである。なぜ、警察は信じてくれない?と迷う。留置所に何泊もしていると、会社が心配になる。このままでは私の人生はおしまいだ。取調べに検事がやってくる。厳しい取り調べである。ともかく、オマエが痴漢をしたんだ。の一点ばりである。ノイローゼになる。

 ある日看守が悪魔のささやきをいう。「やりました、と検事さんにいってみな。ここから出れるから」そんなバカな。痴漢なんてしていないのに。しかし、仕事、家庭が心配になり、なんとかここから開放されたいと、検事に「やりました」とウソの自白をしてしまう。検事は気色満面になり、自白調書に署名され、開放となる。起訴猶予である。起訴猶予は担当検事の判断でできるのである。

 だいたい会社にバレており、自白したということで当然解雇である。なぜ、なんで、こんな目に会わなければならないんだ。

 めでたく、検事は「自白させた」「有罪にした」というお手柄を手にいれる。

 看守のささやきにも、惑わされずに否定しつづけると、とうとう裁判になる。なぜか、痴漢裁判では、「男性が、自ら、痴漢していないことの証明をする」のでないかぎり、女性の訴えどおりの結論がでて、立派な強制わいせつ1犯となるのである。

 信じたくない、恐ろしい話である。満員電車に乗るサラリーマンは、両腕を万歳して乗れ、と最近いわれている。(もっとも、万歳をしていても、腰が密着していれば十分痴漢行為となるそうである)筒井康隆氏の小説「懲罰の部屋」の悪夢が、「そのまま」現実におきているというのは、びっくりである。

 ちなみに、この冤罪システムは「痴漢行為」に限らず、いろんな犯罪の容疑でこのような冤罪がおきているのだろう。そして、留置所の看守の「私がやったと言ってみな。でられるよ」というささやきも、今日も行なわれているのであろう。検事という検察庁に勤める成績を求めるサラリーマン、検事の持つ起訴猶予という権限、これらと、「犯罪をしていないと証明できない市民」が結びつくと、冤罪が成立していくわけである。

 ばかばかしい話だが、これは現実だからどうしようもない。冤罪にまきこまれないように、神経を針のようにして、注意して生きていくしかないのだろう。

 私あたり、「こいつ痴漢だ」などと叫ばれたら、周りの人間が顔をみて、「なるほど、こいつならやりかねない」といわれそうなので、十分注意していきたいと思っている。