カシャッ。
月並みな音で申し訳ないんだけれど、アタシの持っているカメラってシャッターを切ると本当にこんな音を立てる。
・・・どれ、陽が真南に来る前にもう少し撮っておこうかな。
カシャッ、カシャッ。
しかしなんだなー。気持ちが荒れてる時ってのは、どうしてこうファインダー越しに見る景色ってのが何もかもつまらなくなるのかね。
梅雨の走りの合間に訪れた絶好の撮影日和。
アタシはわざわざ麓からバスに乗って、こんなところまで来たってのにさ。
だーれもアタシのことなんか受け入れてくれない。
レリーズボタンと偏光フィルターを取り外し、レンズキャップを取り付けて、アタシはカメラをバッグにしまい込んだ。
貸しボートの上に危なげなく立てた三脚も折り畳み、アタシは湯ノ湖のレストハウスに戻るため、手こぎのボートのオールを掴んで小舟の向きを変えた。
湖面のさざ波は、まだ雪の残る山からの風を受けて、心持ちささくれ立っているように見えた。
"EV + 0.7"
sentimental
GUNG-HO-GUNS
沢下明良・栃木県日光市
「これのどこが独りよがりだってのよっ!」
「つーか、まだワカランのかオマエはーっ?」
今やすっかり我が『報道文化部』名物となってしまった、これはアタシと部長のやりとりである。
ご大層なクラブ名ではあるが、つまるトコロここは「新聞部」。
家が町のカメラ屋だったこともあり、アタシは小さい頃から祖父や親父にカメラの技術をイヤと言うほどたたき込まれた。
祖父は戦時中は上海に従軍記者として徴兵され、日本に引き上げる時に町のカメラ屋からライカだのローライだのをかっぱらってきたが、入国の際に全部没収されたという剛の者だ。
親父は親父で、そのスジでは有名なMF(マニュアルフォーカス)機マニアで、メーカーが主催するコンテストでは毎回必ず某かの賞をもらってくるという腕前である。
アタシはその環境が培った技術と才能を見込まれて、この部で「専属記者」のマネゴトなんかをしている。
ただ一つ問題があるとすれば、この部長がアタシの家の隣に住んでいる幼なじみという関係から、お互いに時々忌憚のなさ過ぎる意見を言い合ってしまうことが多いと言うことだ。現に今も・・・。
「アッタマきた。じゃあ『独りよがりじゃない映像』ってのはどんなのを言うのよっ、全然ワカンナイわよこの映画オタク!」
流石にこれには部長も一言もなかった。コイツはいつだってそうなのだ。抽象的な表現しかできないクセに、妙に凝り固まった美意識(?)がありすぎるのだ。
所が、今日に限っていつもの反論が帰ってこない。珍しいこともあるもんだなーと思って部長の顔を伺ってみると。
「出てけ。」
・・・え?
「聞こえなかったのか。『出ていけ』と言っている。少しばかりカメラに詳しいからと言って天狗になっているやつなんぞ、この部にはいらん。」
「な・・・。」
ウソ、でしょ?
今まで散々悪口どころか罵詈雑言に近い言い合いをしても、次の日にはケロッとしているようなそんなカンジだったのに。それはなにより、お互いが相手のことを少なからず尊敬していたからだった。なのに今日は・・・。
「な、何マジになっちゃってるのよ。大体アタシが抜けたら誰が写真を・・・。」
「いいから出てけーっ!」
アタシは少しだけ呆気に取られていたが、その直後には瞬間湯沸かし器と化していた。
「ばかあーっ!」
そして手近にあった電話帳並の厚さのある地元のガイドブックを投げつけて、アタシは後ろも見ずにズカズカと部室を出ていった。部屋の中から「部長、大丈夫ですかっ?」なんて声が聞こえていたが、アタシはそのまま学校の外に出た。
ふん、泣いて謝ってきたって許してなんかやんないんだからねっ。
さて、一通り気分転換の撮影旅行は終わったことだし、・・・気は全っ然晴れなかったけど・・・、いつまでもこうしている訳にも行かないか。
山から吹き下ろされてくる風は、殊の外冷たいのだ。その証拠に6月も初旬だと言うのに、アタシは持参してきたレインコートを防寒着代わりに着込んでいるぐらいだ。
レストハウスで何か温かいものでもお腹に入れておこうと思い、アタシは湖上から岸までボートを漕いできた。すると、
「あ、やっぱり沢下さんだったんだ。」
と、後ろから妙に人懐っこい声を掛けられた。
「え?」
振り向くとそこには、先月ウチのクラスに転校してきた男子が岸辺にニコニコしながら立っていた。あれ、・・・この人の名前なんつったっけ・・・。
アタシが名前を思い出せずオタオタしていると、その男子は別に気分を害した風でもなく、あははと笑ってこう言った。
「取りあえず、岸に上がったら?」
アタシはその男子が差し伸べてくれた手に素直に機材一式を渡すと、ひょいとボートから飛び降りた。
うん、なんかいいぞ、こーゆーのって。ちょうどクサクサしてたトコロだし、・・・悪いけどキミには、今日のアタシの憂さ晴らしにつきあってもらおう!
・・・にしても、アタシが全然色気のないカッコウをしてるのが自分でもちょっと気になるが。まぁもともと撮影が目的だったからそれなりの装備しかしていなかったんだけどね。
「アタシ、冷え切っちゃったからそこで蕎麦でもすするけど、一緒する?」
すると転校生クンは、
「うん、そうだね。」
なんて言いながら機材を持ってくれる。いるんだよねー、意識してなくてもフェミニストっぽい人ってさ。きっとこの人は長男坊クンに違いない。うんうん。
冬はスキー客目当ての小綺麗なレストハウスのテーブルに向かい合わせの形になり、アタシと転校生クンはそれぞれ天ぷらうどんと月見そばをすすっていた。うう、色気のないことはなはだしいな・・・。
「所で沢下さんって。」
「ああっ、なんか堅っ苦しいな。アタシのことは『アキラ』って呼んでよ。」
「あきら、・・・さん?」
「そ、『明るく良いコになって欲しい』って、死んだ母親がつけたのよ。単純かつ明快なネーミングでしょ?」
アタシはそこでくすっと笑って見せた。
「あ。」
「いーのいーの。なんたって母親なんてアタシが生まれてすぐに死んじゃったから最初からいないのと同じよ。別になんてことないわよ。」
「そ、そう。」
しばし、無言でずるずると麺類をすする音だけが二人の間にある。そのうち、二人ともほぼ同時に食べ終わってほうっと一息ついた。
「所で、転校生クンは今日は観光? どう、日光の感想は。」
頃合いを見計らって、アタシから声を掛けてみた。
「あ、うん。実はこないだ友達から『お薦めハイキングコース』っていうのをもらって、・・・どこだっけかな、そうそう、『竜頭の滝』って所から歩いてきたんだけど、なかなかハードで楽しかったよ。」
「・・・マジ?」
まともに歩けば結構な距離だよ? そりゃあ途中には戦場ヶ原だの赤沼、それに湯滝なんて名所もあるから、マジメにハイキングに来たって言うならすんごい充実感を味わえるだろうけど。
「で、最後にこの『湯ノ湖』をぐるっと歩いてみたら、なんか湖の真ん中でつまらなそうにしてるアキラさんが見えてさ。で、貸しボートのたくさんあるここで待ってたって訳。」
「そ、そうなんだ。」
初めて親父と一緒に同じコースを歩かされた時は、地図と現実の距離感が狂っていて、機材一式を抱えてヒーヒー言っていたっけ。あたしはその時の自分を思いだし、一瞬目眩がした。
「アキラさんは、どうしてここに?」
「あ、アタシはただの気分転換よ。昨日ちょっとガクゼンとするような出来事があって。」
「それってひょっとして、・・・なんだっけ、報道ナントカ部の関係?」
「そ、それをどこで!」
アタシは大げさに驚いて笑って見せた。と言うか、そんなに有名だったんだ、アタシと部長のやりとりは。
「うん。なんか昨日大変だったみたいだね。アキラさんの友達の女子が心配してたよ。『部を辞めちゃうのかなあ』って。」
「う〜ん、でも今回ばかりはその憶測は正しいかも。」
あ、気分にブルーが入ってきた。やめやめ、こんなつまんない話題。
アタシは無理矢理ハナシを方向転換してみようとした。
と。
「ね、時間を切り取るってどんなカンジ?」
「へ?」
自分でも分かるくらい、アタシは間抜けな声を出してしまった。話の主導権が急に相手に移ってしまったのもさることながら、その質問の内容があまりにも突飛だったからだ。なんだって? 時間を、・・・切り取る?
「うん。僕って、転校してばっかりだったんだけど、その割にその学校で仲良くなった友達の写真って持ってないんだ。だから、・・・んーとその、なんて言うか・・・。
そうだなぁ、楽しい時間を切り取ってそれを永遠に保管してくれるっていう仕事がもしあったとして、一番それに近いことを職業としている人、つまりカメラマンってすごい人たちなんだろうなあって思ってるんだ。」
・・・アタシは二の句が継げなかった。
アタシには子供の頃から周りにこれでもかというぐらいのカメラがあったし、それを使うことは一種「当たり前の行為」だったので、「写真を撮る」という行為にこんな風な物の見方があるなんてちっとも知らなかった。
それに「良い写真」というのはフレーミングとかフォーカシングとか露出とかそれらの技術の集大成であって、「時間を切り取ろう」なんて大それたコトは今まで一度も思ったことが無い。
だから、転校生クンのその質問に答えてあげるまでにちょっとだけ時間がかかったのは仕方のないことだし、こんな風な返事しか出なかったのもカンベンして欲しいと思う。
「そ、そうかな?」
すると転校生クンは、なおも続けて言った。
「うん、絶対すごいって。だって、貴重な時間の一瞬一瞬を大事にしまっておくことができて、しかも撮られた人もそれを見る人も、みんなを後で楽しくさせることができるなんて素晴らしいことだと思うけど。」
急に頭の中のどこかで、何かが弾けて「パチン」と音がした。
アタシは、アタシがいいと思ったものをフレームの中に投影してきただけだ。
でもそれは転校生クンの言い方からすれば、「アタシだけの感性をみんなに見てもらう」という行為でしかない。
昨日の部長の声がなんとなく理解できた。つまりそれって。
「いやあの、写真なんてのは見る人がいて、で、その人に認めてもらって初めて成り立つものなんだしね。そ、そんなの当然よトウゼン、あっはっはー。」
・・・そうなんだ。「見てくれる人」がいてこその「写真」じゃないの。
こうしちゃいられない。アタシは機材一式の入ったバッグを掴み挙げると、早速貸しボートのオヤジさんの所にお金を握りしめて歩き出した。
・・・っと。アタシは振り返って転校生クンに謝った。
「ゴメン、アタシ急に撮りたい写真を思いついちゃって。」
すると転校生クンは、ちょっとは驚いた様子だったが、やがて何もかも分かってくれたような表情を浮かべ、ニッコリと笑ってくれていた。
その刹那。
パチッ。
「え?」
アタシは、いつも予備に持ち歩いているコンパクトカメラをいきなり取り出すと、そのシャッターを無造作に切った。そのフレームの中には、次の瞬間目を白黒させている転校生クンの顔があった。
「ナイスショットをありがとーね。キミの今の笑顔は、アタシにとって最高の宝物だよ。」
アタシは呆気に取られている転校生クンをその場に置き去りにすると、急いで歩いていった。頭の中では、映画オタクと罵ってしまった部長への謝罪の文句がぐるぐると回っていた。
・・・その転校生クンが急にいなくなってしまうことを、その時のアタシはまだ知らなかった。
アタシはあの後、ボートの上と言わずそのままハイキングコースを逆に辿る道順で、アタシがいいと思ったものとみんなに見せるために撮ったものを考え考え撮影を続けた。
・・・もっとも、ちょっとばかり無理がたたって、大汗をかいた上に冷え切ったせいか、アタシは次の月曜日から合わせて四日間も風邪をこじらせて寝込んでいた。
撮影の終わったフィルムをパトローネから出して現像し、プリントにして部長に見せた上で頭を下げたのは、実に金曜日の朝のことである。
「・・・ん、分かった。オレも少し言い過ぎたとは思ったんだけどな。ほら、映画ってのは『観客に見せるための工夫』がてんこ盛りだろ? で、ついあんなコトを言ってしまった。悪かったのはオレも同じだ。」
そう言ってくれる部長の前で、縮こまっているアタシがいる。
「はい、すいませんでした、部長。これからはもーちょっと『見る人の視線』を考えて撮影します。」
「うん、これからもよろしくな。・・・ただ。」
ぎく。
「たっ、ただ、・・・なんでしょうか?」
「このタンコブの一件だけは許す訳にはいかん。」
・・・見れば、確かに額のど真ん中に見事なコブが出来ていた。
「よって今日一日はオマエに、部の時間中に話す言葉の語尾全てに『ぷぅ』をつけることを命じる。」
「ええっ。そ、それだけは!」
ギロリ。部長の目が光ったような気がした。
「・・・カンベンしてぷぅ。」
どっ、と後輩達が笑う。うう、仕方ない。今日一日だけのガマンだ。
「では、朝のミーティングは終わりだ。みんな、教室に戻って授業を受けるように。」
部長はみんなに言う。アタシは、・・・そうだ、あの名前を聞く間もなかった転校生クンにとっておきのプリントを見せなくちゃ。カレのお陰で、アタシは一つ大事なことを教わったのだから。
ダッシュで教室に入る。転校生クンはまだ来ていないようだった。アタシは、あのレストハウスで最後に撮ったプリントをしっかりと抱いて、カレを待ち続けた。
しかし。
HRが始まっても転校生クンは現れなかった。
アタシは、隣の席の女子に声を掛けた。すると。
「あ、アンタしばらく来なかったから知らなかったんだっけ。あのコ、昨日引っ越しちゃったらしいよ? お父さんがどんな仕事をしているのかは知らないけど、大変だよねぇ、ああいうのって。」
ご丁寧に肩なんか竦めて。
・・・その日の授業は全部上の空だったのを覚えている。
今アタシは、親父が参加しているメーカーのフォトコンテストに出品するための作品作りに余念がない。祖父と親父に頼み込んで、店の奥に大事にしまってあったF3ももらってきた。基本から、もう一度勉強しなおすためだ。それに・・・。
アタシは、机の上でにこやかに笑っているあの転校生クンのプリントを見つめた。
(ありがとうを心の底から言いたいんだけど、・・・知ってる? 写真って時々すごく残酷なんだよ?)
写真の中の転校生クンは、・・・しかしやっぱり何もかも分かったような顔でアタシに微笑みかけてくれるのだ。
いつまでも変わらない、あの日の時間を切り取ったままに・・・。
Fin.