まだ薄暗い夜のしじまに、明るく無機質な着メロが鳴る。
 青白く光るディスプレイの時間は午前5時。

 10分遅れたままの、目覚まし代わりの携帯電話。

 ベッドから手を出して携帯を掴む。携帯は激しく振動して一分あまり自己主張してから、ふっと止まった。辺りは再び静寂に覆われる。

 

 

 

 

 

 

 

 





 携 帯 電 話

 




 

 

 



 

 

 

 

 北風が強くて乾燥している名古屋の冬は、思った以上に寒いのだ。
 水曜日にかかってきたあいつからの電話で私がそんな事を言うと、あいつはちょっとだけ疑う様な返事をする。

「だったら、ちゃんと自分で体験してみなよ〜。この前なんてね、雪だって降ったんだからね」
「はいはい、わかったよ。じゃあ、今度の土曜にそっちに行って、るりかが言ってることが本当か確かめるよ」
「おっどろくわよー、ほんと、寒いんだから。じゃあ、待ち合わせはいつもの所で良いよね。何時に来るの?」
「うーん、昼前の……11時なんてどうかな」
「りょうかーい。風邪ひいて病欠、なんて却下だからねっ」
「大丈夫だって。じゃあ、お休み」

 理由なんて何でも良かった。あいつが名古屋に来てくれるなら、ウインドサーフィンでも近所のお祭りでも、名古屋が東京より寒いって理由でも。
 受話器を握りしめたままの私は、寒さに感謝したいぐらいだ。あと三日すればあいつに会える。結構底冷えしている部屋のベッドに潜り込んだ私は、さっそくデートの時に着ていく服のシミュレーションを始めた。
 そうだ、バイト代出たから、新しいブーツでも買おうかな…。

 

 

 


 名古屋駅の新幹線改札口につくと、あいつは手持ち無沙汰な顔で、コンコースに設置されているテレビで名古屋ローカルの情報番組を眺めていた。私には全然気がついていない。
 深紺のダッフルコートの背中にそっと近づくと、一息ついて肩越しに大きな声。

「わぁ!!」

「うわぁ!」

 びっくりした顔で振り返るあいつ。あはは、変な顔。

「ごめ〜ん、待った?」
「はあ、びっくりしたよ」
「えへへ、遅刻、かな?」
「大丈夫だよ。どっちにしろ僕、時計持ってないし」

 そうなのだ。あいつはいつも驚くぐらい身軽な格好で名古屋に来た。時計と携帯はもともと持っていないらしくて、常に持っているのは財布ぐらいだ。いつも全くの手ぶらで、何気ない顔で待ち合わせ場所に立っている。夏には、ジーンズにTシャツにサンダル履きで新幹線の改札から出てきた事もあった。

 今日のあいつの格好はグローバーオールのダッフルコートの下に程良くやれた感じのネルシャツ。少し色落ちしたヴィンテージっぽいジーンズにこれまたくたびれたスニーカー。右手には、前来たとき大須で買ったシルバーのリングをしていた。私もバーバリーのダッフルコートを着ていてあいつと似たような格好になっちゃたけど、まあ寒いから仕方ないよね。

「で、どう、名古屋は寒いでしょ」
「そうだね。って、まだ駅から一歩も出てないからわかんないよ」

 そう言って笑うと、さりげなくあいつは右手を少し差し出し、私もさりげなく左手で握りしめる。こうやって自然に手を繋いで歩ける様になった事が嬉しい。多くの人が行き交うコンコースをゆっくりと歩き、地下街をしばらく歩いてから私達は地下鉄に乗った。


「ねえ、今日はどこ行くの?」
「とりあえず、栄のどっかでお昼しながら考えようよ」
「そうだね」

 名古屋駅から栄までは地下鉄で二駅。あっという間だ。
 混み合っている地下鉄東山線を降り迷路のような地下街を抜けて地上に出ると、枯れ葉が絨毯の様に敷き詰められている大渋滞中の道路の向こうに、北風をものともせずTV塔が悠然と立っている。セントラルパークではストリートミュージシャンが愛を歌い、その傍らでスケボー君が軽快な音と共にループを決めた。沸き上がる歓声。
 空は抜けるように青くて、その青空に点在する少し灰色の小さな雲が、風に乗って流れているのがはっきりと分かる。

「うわー、さむー」
「でしょー、嘘じゃないんだから」
「疑って申し訳ありませんでした。るりか様」
「うむ、素直でよろしい」
「なんだよ、すぐに調子にのって」
「何よー、あっ、あそこ、入ろ。あそこのセットメニュー、けっこー良いのよ」

 私達は手を繋ぎ心持ち体を近づけると、人混みの中を泳ぐ様に歩き、目に付いたファーストフードに入った。店内は結構込み合っていたが、私達は何とか二階の窓際の席を確保した。窓の下を行き交う人や車の頭越しに食べるハンバーガー。ついでにホットコーヒーとフライドポテトもいかかですか。そんなお店だ。

「それにしても、僕も随分と名古屋に詳しくなったよ」
「へへへ、私に感謝しなさいよ」
「はいはい。名古屋って、金シャチぐらいしかないと思ってたよ」
「あー、そういう偏見持ってたんだ」
「だって、船まで金シャチにするのは調子に乗りすぎだよ」
「うっ、あれは…名古屋の恥部なの!」
「ははは。そーなんだ」
「春からはそっち行くんだから、東京、案内してよね」
「正直言うと、そんなに詳しくないけど、いいかな」
「いーの。と・に・か・く、案内するの。はい、決定」
「はーい」

 そのために東京の短大に決めたんだし…。ほんとは、別に名古屋だろうと東京だろうと一緒にいれるならどこでも良いんだけどね。って、なーにハズい事考えてんだろ、私。

 

 

 

 


 結局私達は栄から動かなかった。
 まずはゲーセンで私の華麗なステップを披露して(あいつははっきり言って下手だった)、ついでに格ゲーでさんざんにいたぶってやった。あはは、本気モード入っちゃたのよね。ちょっと悪かったかなと思ったけど、やっぱり何事も本気じゃないとね。
 あいつは何度か引きつった笑みを浮かべながら、それでも全部につき合ってくれた。

 地下街や裏通りにある服屋(名古屋でもインディーズブランドを扱っているショップをやっと見つけたので、一度行ってみたかったのだ)やCDショップに行った後、デパートの化粧品売場でリップを見る。この時期は乾燥してるから、リップはかなり大事だもんね。

 二人でカウンターに座り、私が販売員のおねーさんと相談しながらリップを選んでいる横で、あいつはぼけーっとした顔で私を見ていた。へへへ、見とれてるよ。

「やっぱり、春を先取りしたこのカラーがお客様にお似合いですよ」
「うーん、そうかなー」
「ええ、お客様はまだ若いしそのままでも可愛いですから、これぐらい控えめな方が」
「やだなあ、お上手ですね〜」
「そんな事ないですよ。ねえ、彼氏さんもそう思いませんか?」

 ぼーっと私を見ていたあいつは、脱力する様な事を言いやがった。

うう。服が想像できませなんだ(T_T)。

「るりかって……化粧するんだ」
「……はあ?」

 ちょっと、今だってリップしてるのに、気付いてなかったの!
 これ選ぶのに結構悩んだのにーーー!!


 私はあいつの足の脛を思い切り蹴ってやった。

「ぐぅっ!」


「似合ってるよね、これ」

 

地雷を踏んだことにようやく気付いたあいつが、痛いのを我慢して涙目でカクカクと頷く。おねーさんは懸命に笑いを堪えてるし、あーあ、しばらくここに買い物に来れないじゃない。

 

 

 

 

 遊び回っているうちに冬の早い日はあっけなく落ちて、あたりはもうすっかり暗くなっていた。まだまだ一緒に居たかった私は、情報誌でみつけたタイレストランに誘った。栄の中心部から少し東に外れた所にあるそのレストランまで、私達は木枯らしの中をのんびりと歩いた。名古屋高速が上を走る交差点のすぐ近くのビルの一階にそのレストランはあった。
 こぢんまりとしたお洒落なレストランの中で、日本人は私達だけだった。スタッフもお客さんも他はすべてタイの人みたいで、日本語ではない言葉が飛び交っていた。

「すごいね。日本じゃないみたい」
「でしょ〜」

 スタッフの人にあれこれと聞いて、結局無難なセットメニューを頼む。シンハビールで乾杯して、どんどんと出てくる料理とお喋りを楽しみながら、私達は心地良い一時を過ごした。
 こんな楽しい時間がずっと続けば…。あいつのちょっと赤い顔を見つめながら、私はある決心をした。


 それにしてもあいつはお酒が弱かった。ビール一杯で真っ赤な顔になってしまい、それからは口にしようとはしなかった。まあ、これならお酒で身を崩す事がないから安心か。

「あ、ごめん、ちょっとお手洗いに行って来る」
「大丈夫?」
「あははは、大丈夫だって…おっと」
「もうー、ほんとに弱いんだから〜」

 あいつが席を離れた隙に、持っていた携帯電話の時間を10分遅らせる。最後の“確認”のボタンを押すとき、ちょっとだけ手が震えた。でも、いいわ。後悔したくないし…。

 

 

 あいつが時間を気にし始めた。そろそろレストランを出て名古屋駅に行かないと、最終の新幹線を逃してしまいそうな時間だからだ。仕方ないわね…。
 代金をワリカンで払ってから私達は外に出た。外は一層寒くなっていたが、お酒が入っているせいか、そんなに寒くは感じなかった。
 栄まで歩いて地下鉄に乗る。ライトアップされて青白い光の中に浮かぶTV塔の方が、私達よりよっぽど寒そうだ。

 

「ちょっとぎりぎりかもしれないね。大丈夫かな…」
「そーかな? 大丈夫じゃない」

 地下鉄の中で焦り始めたあいつに、私は携帯を見せた。

「ほら、まだ大丈夫だって」
「あ、ほんとだ。これなら大丈夫かな」

 10分遅れた携帯電話。アンテナは3本とも消えている。
 名古屋駅についてから、私はわざと地下街を遠回りして、ゆっくりと歩いた。

 

 

 

 やたらと工事中の箇所が多いコンコースを通って、窓口ではなく自動販売機で切符を買うあいつ。こっちの方が早いのだそうだ。私は携帯をちらっと見る。この時計ではまだ大丈夫だけど、本当は東京行き最終の新幹線が名古屋駅をそろそろ出るはずだ。

 新幹線改札口からは沢山の人が次々と流れ出していた。

「るりか。今日は楽しかったよ。また電話するね」
「うん。じゃあ、また」

 あいつが通ろうとすると、改札係の人が止めた。

「お客さん、申し訳ないですが東京行き最終はもう行っちゃいました」
「えーーー、そうなんですか。困ったな…」

 あいつは照れたように頭を掻きながら振り向き、私の所に戻ってきた。

「ちょっとだけ遅かったみたい。明日、午前中からバイト入れてるのに、困っちゃったよ」
「うん、残念だったね」
「夜行列車は疲れるから、あんまり使いたくないんだよね」
「え……まだ…電車があるの?」
「うん。『ながら』っていうのが確かあるんだ。乗車券はそのまま使えるから、まあ、そっちでのんびりと帰るよ」
「そう……なんだ」

 あいつはダッフルコートのポケットに手を突っ込む。私に手を差し出してはくれなかった。それだけで、私はあいつが次に何を言うか分かってしまった。

「夜行が来るのはだいぶ後なんだ。ねえ、もう遅いから、るりかは帰った方が良いよ」

 やっぱり……。

「僕はそこら辺の喫茶店で時間を潰してるから。確か、るりかが乗る電車って、こっちだったよね」


「いやだ」
「……は?」
「……帰りたくない」
「何言ってるの、るりか?」

 

「…今日は……帰りたくない」

 言っちゃった…。

 

「あの、それって…」

 あいつの顔が、さっと変わった。
 緊張してる。

 それは私も……か。

「こ、これ以上、わ、私に言わせないでよ」
「う、うん」
「に、鈍いんだから」
「う、うん」

 ほんと、鈍いんだから。

「じゃ、じゃあ、行こうか」

 あいつがダッフルコートのポケットから手を出して、私の方にそっと差し出す。少し震えているあいつの右手はとても暖かかった。ぎこちなく握り返して、私達は視線を合わせず、黙ったまま歩き始めた。

 

 

 ロータリーを抜けて大手予備校が乱立している一画まで、私達は黙って手を繋いだまま歩いた。緊張して耳が熱い。握りしめたあいつの手も、いつもとは比べものにならないぐらい熱かった。

 地味な感じのホテルの前で、あいつが立ち止まった。

「あ、あの、ここで…いいかな」
「う、うん」
「じゃあ、そ、そういう事で」
「そ、そうね」

 緊張して俯いたままホテルに入った私は、立ち止まっていたあいつにぶつかった。

「何だ……これ?」

 顔を上げると、あいつは部屋の写真が並んでいるパネルの前で困惑した顔をしていた。私は雑誌で読んだ事があるので、これで部屋を選ぶって知っていたけど、あいつは全然知らなかったみたいだ。

 そっか…あいつも初めてなんだ。
 私の心は急に温かくて柔らかいものに満たされ始めた。初めて同士なんだから、緊張するのは当たり前よね。緊張しない方がおかしいわよ、実際。

 あいつはしばらく眺めていて、やっとこれで部屋を選ぶのだという事に気付いたみたいだ。何度かパネルを見回してから、一つの部屋の写真を指さしながら私を見た。
 他の部屋はどれも派手な感じだったけど、あいつが選んだのは白を基調にしたシンプルな内装の部屋だった。

「ね、ねえ、こ、この部屋…でいいかな?」
「そうね。良い感じね」

 あいつはまだガチガチに緊張しているみたいだけど、いつの間にか私の緊張は解けていた。こういう時って、やっぱり女の方が開き直りが早いのかな。

「じゃ、じゃあ」
「もう〜、しっかりしなさいよ」
「う、うん、そうだね」
「はいはい、しゃきっと歩く」

 いつの間にか私は軽く笑っていたみたい。あいつは私の顔を見ると、一息ついて微苦笑してから私の手を握った。

 あいつの手の震えも止まっていた。

 


 部屋はシンプルな感じだった。
 真ん中に巨大なツインベッドが置かれていて、室内を照らすのは落ち着いた黄色の間接照明。白っぽい壁には美術の教科書で見たポップアートのフェイク。

 ガウンを着てバスルームから出てきた私をあいつが抱きしめて、私達はわざとらしくベッドに倒れ込んだ。

 

 行きずりの場所。フェイクのポップアート。会えない時間。東京と名古屋にある物理的な距離。
 私達の周りにあるものは、不確かなモノばかりだ。

 

 でも、私の体をぎこちなく愛撫するあいつ。
 それだけは確かなモノだ。

 

 そう信じたかった。

 


 激痛の中、これが絆になればと、私は心から祈った。

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと私の頭を撫でながら、気怠い声であいつが聞く。

「もう寝ちゃった?」
「ううん、起きてる」
「あのさ、携帯って目覚ましに使える」
「うん」
「だったら、明日の朝5時に鳴らしてくれないかな?」
「そんなに早くに?」
「うん。6時の新幹線に乗れば、バイトには間に合うから」
「…わかった」
「じゃあ、おねがい。おやすみ、るりか」
「うん…おやすみ」

 

 

 


 携帯は10分遅れて鳴った。

 あいつは、僕は低血圧だからと前に言っていた通り、もの凄く寝起きが悪かった。
 とりあえず先にシャワーを浴びたけど、バスルームから出ても、まだあいつは漠然とした顔でベッドに腰掛けていた。手を取ってバスルームに放り込む。
 ほんと、手の掛かる子供みたい。

 ホテルを出ると、朝の空気はとても寒くて、どことなく背筋を伸ばして歩かなくちゃいけないような緊張感があった。日曜日なのにね。

 新幹線改札口の前まで来ると、あいつは繋いでいた手を離した。仕方がないことだけど、ちょっと寂しかった。でも、ここからいつもとは違った行動に出た。


 あいつは私を抱きしめてキスをした。


 昨日の夜、あんな事までしてるのに、このキスの方がとても恥ずかしくて新鮮だった。
 頬が熱い私と、照れた顔のあいつ。

「ちょっと、調子に乗っちゃったかな?」
「まあ…許してあげる」
「じゃあ、また今度」

「……いってらっしゃい」

 あいつは、はっとした顔を一瞬してから、優しい顔になった。

「……いってきます」

 改札を通ったあいつは、振り返ることなくホームへと続く階段を昇っていった。

 

 

 

 

 

 

 実は私も、今日は午前中からバイトのシフトを入れていたので、そのままバイト先のコンビニに行った。で、バイトに入る前に家に電話して、兄貴には友達の家に泊まっていた事にした。もともと両親は泊まりがけで出かけているので、そっちの方は大丈夫だ。
 兄貴は感づいた雰囲気だったが、結局何も言わなかった。いろいろと恩を売ってやっているのだ。一度ぐらいは見逃してくれるはずだ。

 バイトが終わったのは3時過ぎだった。
 なんだか疲れていたので、私は真っ直ぐ家に帰った。


「ただいま〜」

 家のドアを開けると、両親が何か言いたそうな顔で出てきた。
 私は、外泊した事を兄貴が両親にチクりやがったのかと思ってブルーな気分になった。

 あーあ、嘘はダメか…。

 まず何を言われるのかなと思って黙っていたら、お父さんが妙に遠慮がちにあいつの名前を口にした。

 うわー、バレバレか…。

 私の気はますます重くなった。

「いいか、るりか。お父さんの言う事を良く聞いて欲しい」
「んー、なに〜?」

 とりあえず私は明るく振る舞う事にした。
 全部ばれていたら無意味なんだけどさ、ちょっとでもごまかせないかなー、なんてせこいコトを考えた。

 お父さんの顔が一層歪んだ。後ろではお母さんが心配そうな顔をしている。

 ひょっとして、逆効果だったとか……うわー、失敗かあ。 やべーーーー。


「あははは……ごめんなさい。すみませんでした」

 私はいきなり真顔で頭を下げた。

 ちょっと経ってから、恐る恐る顔を上げると、お父さんがとても優しい顔で私を見ていた。お母さんはもういなかった。

「るりか、彼と…何があったかは聞かないよ」
「あのー、ごめんなさい」
「彼の事……愛しているか?」
「……へ?……え、やだ、お父さん、な、な、何言ってんのよ〜」
「頼む、答えてくれ」
「え、まあ、その………………うん

「……………………そうか」




 お父さんは、溜息を一つついた後、私の想像を超えた一言を口にした。





「彼がな……事故で……つい先程………亡くなったそうだ」

 

 

 







 うそ……でしょ?

 

 

 

 

 

 世界が暗転した。










 私は意識を失い、倒れてしまったらしい。

 

 



 目覚めると、もう明け方だった。
 ベッドの脇にはメモがあった。
 お父さんの字で、あいつのお通夜と告別式の日取り、そして場所。それと『私達は親子なんだから、何か辛い事があったら遠慮なく相談してほしい』。続いてお母さんの字で『辛いだろうけど、お別れには行ってあげなさい』と書いてあり、東京までの新幹線の切符が置いてあった。


 なんだか悪い夢を見ているようで、何の感慨も湧かなかった。


 だって、あいつ、昨日の夜に、私と愛し合ったのに…。
 悲しいとか、辛いとかそんな事以前に、あいつがもう生きていないという事実を上手く想像出来なかったのだ。

 

 

 

 ベッドに横たわり、薄暗い闇の中でぼんやりと天井の木目を眺めていた。

 

 

 


 携帯が鳴った。

 10分遅れの、目覚まし代わりの携帯電話。

 

 

 そっか、もうあいつ、この着メロで目覚める事はないんだ……。

 

 


 突然、あいつがもういないという実感が湧いてきた。

 

 


 ベッドから手を出して、携帯電話を掴む。携帯は私の手の中で激しく振動して一分あまり自己主張してから、ふっと止まった。

 

 怖いぐらいの静寂。

 


 激しい嗚咽が、その静寂を破った。



<終れ>


【後書きにかえて】
続編では、少女達の心を癒す物語が語られる事を願うのみです。
何というか、すまん…るりか(苦笑)。

この話は、以前に私のサイトで公開したのですが、その際に化け猫さんから大変参考になるご意見を頂き、その意見を元に改訂させて頂きました。
改めて化け猫さんに感謝致します。ありがとうございました。

■サイトヲ・カヅキ
■改訂部原案:化け猫さん
■禁無断転載
■ご意見、ご感想等はこちらまで

“sentimental graffiti”はNECインターチャネル/マーカス/サイベル/コミックスの著作物です。


●化け猫からの感想文 :
 いやー、何度読んでもおしゃれなストーリーですよねぇ・・・。
私もこういった具合にさりげなく状況描写ができるようになりたいものです。参考にさせていただいてます。

★なお、ご本人様の広いお心により私の拙いイラストなんぞを挿し絵代わりにおいてみました。
全体の雰囲気を壊していなければよいのですが・・・??