電話が鳴っている。
 僕は眠い目をこすりながら、多分4コール目で受話器を掴んだ。

「はい、・・・もしもし。」
「あっ、・・・あの・・・。」
「?」

 ・・・なんとなく聞き覚えのある声なのだが、今にも消え入りそうな程の小声なので、僕はその声の持ち主が誰なのかすぐには分からなかった。

「先輩ですね? 私です、和泉です。」

 和泉・・・ああ。僕が高校の頃に所属していた天文部(実際は高三になった時にほぼ幽霊部員扱いとなってしまったが・・・)の、後輩の「和泉沙姫」(いずみ さき)ちゃんだ。普段は手紙でのつき合いなので、生の声を電話で聞くなんて久しぶりのことだった。

「沙姫ちゃんかぁ。電話では久しぶりだね、元気だった?」

 彼女は、高三になってからめっきりアルバイトと旅行三昧になってしまった僕のことを心配してくれ、気にかけていてくれた女の子だ。・・・そう言えば、卒業式には制服の第二ボタンもあげたんだっけか・・・。
 余計なことまで思い出しそうになった僕の耳に、沙姫ちゃんの声が響く。

「先輩、・・・実は・・・。」
「ん? どうしたの?」
「私、・・・こんなこと頼めるの先輩しかいなくって・・・。」
「?」

 そう言うと、沙姫ちゃんは思い詰めたような声でこう言った。

「先輩お願いです。今から私のアパートに来てください、お願いします!!」

 ガチャッ。ツーツーツー・・・。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 相手との交信が切れた状態の受話器を握りしめながら、僕は布団に俯せになったまましばし呆然としていた・・・。




その日僕がいなかった訳



 

 『今から来てくれ』って言われても・・・。まぁそりゃあ可愛い女の子からのお誘いなら「年中無休で受け付けOK、電話一本即参上!!」なのだが・・・。

 いや、待て待て、一人で思考を暴走させてる場合じゃない。

 寝ぼけていた僕の頭が急速に回転を始める。

 一人暮らしの女性のアパートに、男性を呼びつける理由。
 今では手紙でのやりとりだけが絆とも言える僕に、わざわざ電話をかけてくる必然性。
 学校の女友達にも相談できず、まして男である僕じゃないとどうにもならないような事情とは・・・。

 ましてや時刻は深夜の1時。どう考えてもまともじゃない。




 なにかただ事ではないカンジがする。僕は急いで状差しから彼女の手紙を探し出すと住所を確認した。






 沙姫ちゃんは今年大学の一年生、僕は二年生だ。
 僕が都内の大学に進学が決まった時には、月に1〜2通、そして一年がたち沙姫ちゃんが茨城だか栃木だかの大学に進路が決まってからは、毎週必ず1通のペースで今も文通が続いているのだった。
 「このご時世に文通?」と言われそうだが、それが彼女のペースなのだから仕方ない。・・・もっとも、この手紙は全て隠してあるのだが・・・。

 え、誰から隠しているのかって? ・・・それだけは聞かないで欲しい・・・。

「とにかく、これは人助けなんだ。何も疚しいところなんかあるハズが無いっ!!」

 時期は春もとっくに過ぎた頃だが、この時間の東北方面だ。一応防寒着を用意しなくては。
 僕は急いでウールのアンダーウェアに皮パンをはき、その上にはミリタリー物のシャツとタートルネックのセーター、そしてスイスアーミーのレプリカの皮ジャンを羽織った。この皮ジャンには大きな前身頃があり、そこにはB5版の地図なら楽に収納できるポケットがついている。その機能性重視のデザインが気に入り、僕はバイクでの旅には可能な限りこの皮ジャンで出かけることにしているのだった。
 そこに先ほどの手紙と携行タイプの地図だけを放り込むと、あとはメンテの道具と簡単な着替えだけをくくりつけ、僕は家の前に置いてあるSRカスタムのカバーを取り去った。

 マフラーをノーマルのものからコンチに交換しているため、深夜、それも住宅街のド真ん中でエンジンに火を入れるのは躊躇われた。

 近くの公園まで押し歩いた僕は一息ついた。そして徐にチョークレバーを引き、デコンプのバーを何度か動かす。
 タンカース仕様と間違われるほどにヘビデューティーなブーツでキックレバーを蹴り飛ばすと、SRは意外に呆気ないほど簡単に目覚めた。

「取り敢えずは東北道だな。」

 僕は"SIMPSON Super-Bandit"のメットをかぶりツーリンググラブを嵌めると、SRのヘッドライトを首都高入口へと向けたのだった。


 宇都宮の駅前に到着したのは午前6時。コンコースに妙に人影が無いなと思っていたら、・・・今日は日曜日じゃないか。慌てていたのと深夜の出立だったので日付が一日ズレていたのだ。

 近くにあったコンビニで市内の詳しい地図を買う。沙姫ちゃんのアパートは、・・・地番が整理されていない区画(つまりは新興住宅地)らしく、確認できなかった。多分ここからだと10分ぐらいなのだろうが・・・。
 焦っても仕方ない。僕はついでにサンドイッチと缶コーヒーで簡単に朝食を済ませ、改めて一息ついた。コンビニのバイトのあんちゃんや地元の人たちに尋ね、最後に飛び込んだタバコ屋のばーさんにゴマをすりながらお伺いしてみた。
 沙姫ちゃんのアパートにたどり着いたのは、コンビニを出て1時間後のことだった・・・。





「あっ、あのっ。・・・ありがとうございます。」
 沙姫ちゃんは涙目になって僕を迎えてくれた。取り敢えずちょっと休ませてと言う僕に、彼女はわざわざビールを買ってきてくれた。重い皮ジャンを脱ぎ、顔や手を洗ってからごちそうになることにする。
 僕が落ち着いたのを見計らってから、彼女はおずおずと話し始めた。

「本当に来てもらえるなんて思いませんでした。・・・すみません、ありがとうございます。」
「うーん、まぁあんな時間にせっぱ詰まった声の電話が来れば、僕じゃなくたってそうすると思うよ?」
「はぁ、・・・すみません・・・。」

「で、何があったの?」僕は世間話もそこそこに用件を聞くことにした。できればこういうことは早いほうがいい。

「はい。・・・実は私、このアパートに越してきて二週間になるんですけれども、最近誰かに、・・・多分このアパートの住人じゃないかと思うんですけれども、その、・・・覗かれているらしいんです。」
「うん?」僕はビールを一杯あおってから沙姫ちゃんの次の言葉を待った。

「と言うか、このアパートを紹介してくれた不動産屋さんも何だかちょっと一癖ありそうなんですよ。『女性の方も多く住んでますよ』みたいなことを言っていたのに、実際の女性の入居者は私一人で。」
「ふーん・・・。で、覗かれているって感じたのはどうして?」僕はやんわりと聞いた。

「玄関のドアを見てください。」

 そう言われて僕は今しがた自分が入ってきた玄関を見つめる。

 ん? どことなく違和感が・・・。いや待てよ、

 そう、アレだ。アレが着いていない。

「沙姫ちゃん、これって・・・。」
「そう、郵便受けの部分に覆い、と言うかカバーが着いてないんです。」

 確かに。これなら外から郵便受けのフタを押し上げてしまえば中は丸見えになってしまう。しかも本来カバーの取り付けてあるべき場所には、以前は取り付けられていたらしい枠線がうっすらと見えて取れ、なおかつ外したねじ穴を隠すかのように巧妙な飾りが取り付けてある。

「意図的に仕掛けたものならこれは犯罪、だね。」
「犯罪なんです!!」

 突然沙姫ちゃんが悲鳴のような声を上げた。ビックリして振り返ると、彼女の目から大粒の涙がぼろぼろと零れている。

「昨日、私がお風呂から上がったとき、・・・素っ裸でうろうろしていた私も悪いんですけど、視線を感じて玄関を振り返ったら、フタがゆっくり下がっていくのが見えたんです。私が『誰っ?!』って叫んでも返事はなくて、・・・急いで部屋に入って着替えてから外の気配をうかがったんですけど、もうその時には誰もいなくって・・・。」

 よっぽと悔しかったのだろう。沙姫ちゃんは唇をギュッと噛みしめ、全身を怒りで震わせていた。
 僕は立ち上がると彼女をそっと抱きしめ、こう言った。

「判った。取り敢えずこのアパートは引き払うとしても、・・・そうだな。大学には女子寮はあるかい?」
「はい。そこに住んでいる友達もいます。」

 相変わらず飲み込みの早い女の子だなぁ。僕の腕の中で顔をくしゃくしゃにしながらも、彼女は懸命に返事をしている。こんないい子に、・・・許さんっ。

「じゃ、早速今晩お邪魔することを電話しておかなくちゃね。僕はその間にちょっとしたワナを張るからさ。」
「先輩、ワナって。・・・危険じゃないんですか?」
「まぁ見てなよ。」

 僕に一つの妙案が浮かんだ。


 その日の夜。

 僕はバイクの工具入れの中からいくつかの道具を探し出し、トラップを仕掛けた。後は仕上げをご覧じろ、・・・って古いな、僕も・・・。

 さて、いよいよ作戦開始だ。内容はいたって簡単。僕が沙姫ちゃんの部屋のお風呂を借りて一通り体を洗い、その後にゆっくりと部屋へ戻る。これだけだ。
 部屋の照明はあらかじめ暗めにしておいた。これで外からはぼんやりとした人影しか見えなくなる訳だ。

 熱めのシャワーを浴び、夕べから走り通しだった僕は疲れをすっかり癒した。部屋へ戻るよりも前に僕は服を着、・・・そしてゆうゆうと玄関の扉の前へと歩を進めた。すると。

「ブシューッ!!」
「うわあっ?!」

 かかった!! 僕は扉を蹴飛ばすように開けると、・・・そこには顔を覆ったままのたうち回っている学生風の男がいた。しかも、僕が蹴り開けた扉に激突したせいか、オデコから出血しているではないか。
 それには構わず僕は男の腹に一発ケリを入れ、完全に動けなくなったのを確認してから手足をふんじばった。

 たまたま騒ぎを聞きつけた近所の連中が窓から顔を覗かせている。僕は、

「どなたでも結構です、110番通報をお願いします!!」とだけ叫んだ。





 その5分後。

 僕の仕掛けた罠・・・ワイヤーとクギとナイフの簡単な仕掛けで作動するチェーンルーブ(バイクのチェーンに差すオイル。粘度が高く洗ってもなかなか取れない)発射装置・・・をまともに喰らったバカな男は、駆けつけた警官によって改めて手錠を嵌められパトカーで護送されていった。
 僕も事情聴取の関係から別のパトカーに乗せてもらい、その日は彼女のアパートを後にした。


 次の日。

 連絡を受けてやってきた沙姫ちゃんと共に再度別々に調書を取られ、僕達が警察署を出たのはもうお昼を回っていた時刻だった。

 途中で立ち寄ったコンビニで、僕たちは地元の新聞に自分たちの記事が掲載されているのを見て大笑いしていた。そこには

『お手柄センパイ、後輩の危機を救う!!』

「なんで『センパイ』だけがカタカナなんでしょうかねぇ?」沙姫ちゃんが笑う。
「きっとなにかのゲームのしすぎなんだろうね。」僕も苦笑いで返す。

 ・・・○×新報か、いかがわしい記事みたく書きやがって。

「やっぱり先輩って、頼りになりますね。・・・私、大学に受かってサークルにも入ったんですけど、まだちゃんとした意味で『友達』って呼べる人がいなくって・・・。それであんな時間に・・・。」
「ああ、いいよいいよ。まっ、結果オーライだったけどね。沙姫ちゃんに何事も無くって、今回はほっとしたよ。」
「はい。」ニコニコと微笑む沙姫ちゃん。
「それから、これは老爺心から忠告。これからすぐに大学の生徒課かどこかに言って、無理にでも寮とか別のアパートを探してもらいなね。世の中にはこういった記事を見てバカなことを考える輩もいるか・・・」

 突然前に回ってきた沙姫ちゃんが僕を抱きしめる。そして不意打ち気味の、まだ不慣れなキスが彼女の背伸びと共に僕に届く。




 そっと離れた沙姫ちゃんの目に、涙が光っている。・・・何か言わなくちゃ。なんか気まずい。
 しかし、口を開いたのは彼女の方が早かった。

「セ・ン・パ・イ。」
「・・・。」
「何度か頂いたお手紙で、センパイが彼女さん達と今もおつきあいがあることは知ってます。そしてその彼女さん達に巡り会うために、センパイが高校の時にどんなに苦労したのかも・・・。」

 僕は何も言えなかった。いや、その時の僕に一体何が言えただろう?

「全く持って不躾な、勝手なお願いなんですけど、・・・私を13人目に加えてください。私、頑張ってセンパイの心に残る女の子になってみせますから!!」

 そして、またぽろぽろと大粒の涙が彼女の頬を伝う。

「今日は本当にありがとうございました。またお手紙書きますね!!」

 そして駆け出すと、・・・くるっと翻ってこう付け加えた。

「私、絶対に負けませんからっ!!」


 SRのエンジンに火を入れ、今度はR6をぶらぶらと南下する。・・・きっと家の留守電には、僕が携帯を持たないせいもあってパンク寸前の量のメッセージが入っていることだろう。

 何故なら、僕はあれから1年以上経った今でも、結局だれ一人として選べていなかったからだ。最近では、女の子同志で誰が先に自分に振り向いてもらうかなんて計画を立てている子もいるそうだ。週末ごとにデートの誘いが山のように来る。これは『運命』なんだろうか・・・。





 家の近くのコンビニで、今回の「人助け」の証拠となる「○×新報」を探したが見つからなかった。沙姫ちゃんは送ってなんかくれないだろうしなぁ・・・。

 僕は、家に帰り着く前に胃薬を買うことを堅く心に誓ったのである。

Fin.


(あとがきのようなもの)

・・・言い訳はしません。「ダメダメです!!」(きっぱり)

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“sentimental graffiti”はNECインターチャネル/マーカス/サイベル/コミックスの著作物です。