ラベルに見える"VOTKA"の文字。
 何某かの植物の茎らしき物が入っているせいでズブロッカにも見えるそのボトルの裏には、"Made in Russian"、品名 : 「ストリチナヤ」、「度数・87度」と表記されている別のラベルが見えている。

 あまりに危険なその酒を、僕は冷凍庫にそっとしまった・・・。


お気に召しませ


 美由紀と揃ってこの春から大学生になった僕は、いよいよ、・・・その、なんだ、・・・「一歩進んだ関係」にならなくてはと考え始めた。お互いの気持ちは十分に分かっているつもりだし、そんなに焦る必要も無いのだけれど・・・。



 ケジメ。




 そう。
 これは誰が言い出したとかそういうことではなく、今まで受験受験で時間的にも決して満足な意志疎通が図れていなかった美由紀への、僕なりの「関係の再確認作業」でもあるのだ。

 誘えば、デートにはなんなく"O.K"は出る。しかし、問題はその後だ。
 このデートはいつものような「絵に描いたような正しい青少年の健全なデート」なんてシロモノでは全然ない。早い話が、いかに「ソチラの方向へ雰囲気を持っていくか」のお膳立てであって、遊びに行く場所なんかはこの際どうでもいいもの・・・じゃないよなぁ。
 やっぱり「記念すべき日」なんだからそれなりの、・・・TDLとかじゃあなんだかいけないような気もするし、かと言っていつものように美術館とかじゃあ気分が高尚になりすぎてしまって、・・・うー、なんだか緊張するなぁ・・・。

 ただ、問題はいよいよそうした「ちゃんとした告白」という段になってからである。

 そう言う告白なら、やはりちゃんとしたムードのあるお店とかに行って気分を盛り上げつつ、ほどよい頃合いでドラマチックにプレゼントなんか渡しちゃって、で感動の嵐の中余韻に浸りつつ行き先はネオン輝く摩天楼・渋谷は道玄坂界隈・・・、って、はっ?! なに妄想炸裂させているんだ僕は?!
 そうだよ、最終奥義の「両親不在の僕の部屋」ってテもあるじゃないか。

 まぁ、それはそれとして、そうと決まればハナシは早い。あとは・・・。
 映画好きな美由紀のことだし、できればキザなセリフの一つでも借用して、お酒でも飲んで・・・。





 お酒。




 そうだ。ムードある会話を演出するためにも、やはりここはお酒の力もちょっと拝借してしまおう。

 浮き立つ気分の僕は、・・・そう言えばもらったお酒が何本かあったのを思い出し、その日の夜から一つ一つを吟味し始めた。どれどれ。なにがあったかなぁ。

 それにしても、・・・なんでこんなに偏ったお酒しか無いんだ・・・。
 挙げ句にウオッカだってぇ? 強すぎるだろうなぁ。・・・まぁ飲んでみた限りでは、度数が高いのを除けば口当たりはいいし美味しいけど・・・。

「明日、学校の友達にでも聞いてみるか。」

 そうひとりごちて、その日は寝ることにした。大量のアルコールを試飲したせいもあって、その日の寝付きが異常に良かったのは言うまでもない・・・。


「決め手に欠けるよね。」
 悪友ナンバーワンの吉田が言う。
 悔しいが、コイツの「女の子をその気にさせるテク」は仲間内でも評判だ。恥を忍んでちょっとだけ相談を持ちかけてみたのだが、開口一番、コイツはそう言い切りやがったのだ。

「決め手って・・・つまりどういうことさ。」
「お酒でムードを演出するのはいいんだよ、いいセン行ってると思う。でもそれって『既製品』で煽るだけになっちゃうだろ?」
「?」
 ・・・意味不明の文章で、ヤツはまくし立てる。

 僕が首を傾げていると、吉田は更にこう言った。
「だからさー。ここは一つ『カクテル』に挑戦してみたら、と言ってるんだよ。お分かり?」

 カクテル?

「そーだよ、カクテル。女の子ってさー、『自分のために何かしてくれている、頑張ってくれている』って感じると、すんごく感激する生き物なんだよ。それだけお酒があるんなら、そのカノジョ向けに『君のために僕が創ったんだ』って言って、自信を持って飲んでもらえるお酒を君がこしらえるんだよ。で、盛り上がったトコロを一気にわさび醤油かなんかでガバーッと、さ。」

「あのな。・・・別に刺身を食う訳じゃないんだから。」
 でも、・・・ふむ。割とそういうものなのかも。

「じゃあな。頑張れよ。」
 考え込む僕を後目に、ニヤリと不敵な笑みを残して吉田はいなくなってしまった。

「・・・よし、じゃまあ取り敢えず挑戦してみますか。」

 僕はその日の帰りにブックセンターに寄り、カクテル関連の本をいくつか見て回った。こんなに真面目に本を読んだのは、受験勉強以来じゃないだろうか?
 そんな自分に少しだけ苦笑しつつ、・・・しかし僕は一冊の本を手にレジへと向かった。


「やはり甘口でありながら、度数の強いものとなるんだよなぁ。」

 カクテル作りの本のページをめくりながら、僕はそこに紹介されている種類のいずれもが、僕の想像していたよりも遙かに高いアルコール度数だと知って目を丸くした。

 「甘口」と言うことで、ハニーワインを主原料にすることは割と早く決まった。あとはこれに何を混ぜてみるかなのだが・・・。
 数種類試してみて、失敗が続いた。そんな日がもう二日になろうとしている。うーん・・・。
 僕は完全に煮詰まっていた。だからそんなことを思いついたのだろう。僕はついに、あまりに危険な度数だったのでお蔵入りしているウオッカを冷凍庫から引っ張り出した。
 度数を稼ぐにはもってこいなのだが、果たして合うのかなぁ・・・。

 取り敢えずワイングラスにハニーワインと半々に割り、一口飲んでみることにする。今の今まで冷凍庫に入っていたその液体のせいで、注いだグラスの周りが一気に白くなる。

 ごくっ。

「・・・ぶへーっ、こんこんっ!!」

 強烈だ。涙が出た。
 しかし、意外なことに不味くはない。「甘くて強い」という条件はクリアできたが、・・・しかしこのままでは「喉ごしの良さ」という究極の目標が達成できない。もう少し爽やかなもので度数を下げればいいのかも知れない。
 どこかのグルメ漫画のように、僕はカクテル作りにのめり込んでいた。なんとかしてみせよう。そして美由紀に「美味しい」と言ってもらおう!!

 当初の目的などどこへやら。僕はそれからしばらく、この作業に没頭していった。
 そしてそのカクテルが遂に完成の日の目を見たのは、実にその三日後のことであった・・・。


 自信作の完成。
 僕はそのカクテルを早速吉田に試飲させてみた。

「・・・。」
「どう?」

 吉田は目をぱちくりとさせてからこう言った。

「美味いよ、うん、いけるよこれ。」
「そうかー!!」

 最初に飲んだのがコイツというのがちょっとシャクだが、吉田がこういう風に褒めるのは滅多にあるものではない。かなり気に入ったらしく、吉田はそれからしつこく、「どうやって作ったんだ、何を混ぜたんだ」と訊ねてきた。

「企業秘密だからねー、高いよ?」
「最初にカクテルの案を出したのはオレだろー?」

 ぶつくさ言いながらも、吉田は感心していた。そして、

「な、このカクテルに名前をつけろよ。」
「名前?」
「うん。どう考えてもこれってお前のオリジナルだよな。」
「まぁ、確かにあんなものを混ぜようだなんて考えるのは僕ぐらいなものだろうけどさ。」
「度数はいくつぐらいなんだ?」
「んー、詳しく量った訳じゃないから分からないんだけど、・・・多分40度は切ってないと思うよ。」

 もともと20度近いワインに87度のウオッカだ。それにいくらか他の物を加えてもそれだけは間違いない。

「これだけ口当たりがいい40度の酒なんてなかなか無いぜ。・・・よし。」
「いい名前だろうな。」

 数秒の沈黙。・・・そしてやつはおもむろに口を開いた。

「命名。『Lady Fast』ってのはどうよ。」
「ファスト(素早く)? "first"の間違いじゃないのか?」
「『女性の方からお早くどうぞ』って意味なんだがな。」
「どーせ『お早く潰れてください』の意味だろ、ったく・・・。」

 潰れられたら計画が台無しだ。それに僕は、正体を無くした美由紀とナニかしようなどとは決して思わないぞ。

「しかし、・・・これで君もようやく卒業だなっ。」
「何を訳の分からないコトを言ってるんだよ!!」
「おお、コワイコワイ。」
 吉田は睨んだ僕の視線を外すが早いか、慌てて靴を履いて外に飛び出していった。しかし、空きっ腹に高い度数の酒を急に入れたからなのか、ヤツは僕の家の玄関のフェンスに猛然と激突したらしい。
「ガッシャン!!」というハデな音が響いたかと思うと、すぐに隣の家の犬が吠え立てた。いい気味だ。

 僕はもう一口だけその"Lady Fast"と命名されたカクテルを楽しむと、当日僕の部屋へ来てくれるという美由紀のために、いそいそとおつまみなんかを買いに外へ出た。


 ・・・その日のデートで一応ラブロマンスものの映画なんかを観てきた僕と美由紀は、言葉少なになりがちなまま駅から僕の家までの道をゆっくりと歩いていた。

 どうやら美由紀も、「僕の部屋へ来る」ということの意味を理解しているらしく、・・・大丈夫かな。さりげなく話題を逸らされた挙げ句そのまま気まずくなって音信不通になり、僕と美由紀は永遠に・・・なんてことになったりはしないだろーか・・・。

「ゴッ!!」

「大丈夫?!」 後ろを歩いていた美由紀が、慌てて僕の顔をのぞき込む。どうやら妄想が出かかっていた僕は、電柱と熱い抱擁をしてしまったらしい。一瞬、目の裏に火花が散った。

「うっ、うん。あははははっ、なっ、なんだかねー。」おでこをさすりながら、僕は笑ってみせた。自分でもひどく滑稽だった。
「うっ、うん、そうね。・・なんか、ね。」美由紀も、なんだか今日はしおらしい。
 今日だけは妙に長く感じる道のりが恨めしい。・・・間が持たないぞー・・・。





 ・・・そんなこんなでようやっと家に着いた頃には、時計の針は十時をとっくに回っていた。

 今日は両親はいない。なんでも京都の方の古墳から新しい装飾品が出土したとかで、ヘタをすると4〜5日は帰ってこないだろう。・・・なんの仕事をしてるんだっけ、ウチの親どもは?

「まぁ、取り敢えず座ってよ。なにも無いトコロなんで申し訳ないんだけどさ。」

 やけに眩しい部屋のライト。二人だとこんなに狭くなるんだと今更ながらに感じたりもする。
 美由紀は緊張しているらしく、僕のベッドの上できっちりと合わせた両膝の上に、これまたギュッと握った両の手を置いておとなしく座っている。

 僕はそんな美由紀を見て少しだけ安心した。そうだよ。誰だって初めてなんだし、こういったことって教習所なんかで教わる類のものではないんだから・・・。

 ちょっとだけ余裕が出てきた僕は、ダイニングからおつまみなんかを運んできた。例のカクテルは、ウオッカを冷凍庫から出した直後に作らないといけないので、取り敢えずはそれだけ。あとは、・・・一応お風呂も沸かしておこう。これは吉田の入れ知恵だ。

 部屋に戻ると、美由紀が嘆願するように僕に言った。

「ねぇ、少し飲まない?」
「えっ?」 
僕は少々面食らってしまった。いきなりこういう展開なのか? まだプレゼントもしていないのに・・・。

「・・・お酒。あるんでしょ?」
「えーと、まぁね・・・。でも、なんで急に・・・。」
「う、うん。なんかね、そういう気分なの・・・。」
努めて明るく答える美由紀を見て、僕はもうそれ以上なにも言い返す気にならなかった。

「・・・分かった。今用意するけど、なにがいいかな。」
「えーとね、甘口のがいいな。」
「じゃ、とっておきのヤツをごちそうするよ。」
「え、何?」 
美由紀が、意外な僕の返事にキョトンとする。

「美由紀のために僕が創ったカクテルだよ。」

 僕はダイニングにとって返し、早速用意にとりかかった。氷と、・・・ワインにウオッカ。これに・・・。

 できた。・・・しかし、なんかこの"Lady Fast"ってネーミング、実際に飲んでもらった時に訊ねられるとちょっとイヤだなぁ。恨むぜ、吉田。

 一応二人で飲むんだし、グラスは二つ。
 そしてプレゼントにと三ヶ月分のバイト代をはたいて買った、美由紀の誕生石のついた指輪を胸ポケットに無造作にしまう。あんまり高価そうな化粧箱になんか入れてたら、美由紀は絶対に受け取らないということを僕は知っている。変に気を遣わせて、それが今夜の伏線だなんて勘ぐられるのもイヤだ。
 これはあくまでも純粋に、僕の今の正直な気持ちだ。

 部屋に戻って、早速乾杯する。

「・・・美味しい・・・。」美由紀が驚いたような目で僕を見る。
「そう? 作って良かったぁ。最高の褒め言葉だよ。」僕は単純に喜んだ。

 タイミングは追々考えるとして、・・・僕らは今日観た映画の話や、最近のファッションについて色々と討論のような真似事もした。

「ふぅ。それにしても、本当にこのカクテル美味しい。今度作り方をちゃんと教えてね。」
 もうこれで何杯目かのグラスを傾けて美由紀は言った。彼女の頬が赤く染まっていることに気づき、僕は今更ながらちょっとドキマギした。

「・・・あ。」

 いけない。お風呂の火を止めてこなくては。

「ちょっと待っててね、美由紀。」
「うん。・・・ねぇ、お手洗い借りていい?」
「どうぞ。案内するよ。」

 僕と美由紀は階段を下りきった所で左右に分かれた。お風呂の火を止めてふと気づくと、もう11時をとうに回っている。

 いよいよ、だな。

 僕は自分の部屋に戻り、・・・あれ?

「ありがとう。」美由紀が部屋に入ってくる。あれれれ?

「ね、大丈夫?」僕の様子がおかしいことに気がついたのか、美由紀は突然心配そうな表情で僕の隣に座る。

 ・・・しまった。飲み過ぎたのは僕の方だ!!

「ねえ、眠いの?」

 そうじゃない、そうじゃないんだ、美由紀!! 僕は今夜君に大事な話をして、これから君と一緒に・・・。ほら、指輪だって買ったんだ。見せてあげるよ。きっと似合うよ? これを選ぶのに、店員のお姉さんと30分も話し込んじゃったんだからね・・・・・・。




 僕の意識はそこまでしか保たなかった。





 朝。

 何事もなかったかのような・・・ではなく、本当に何事も無かった朝が来てしまった。
 自分の部屋のベッドの上で、僕は頭痛のする頭を抱えて最悪の気分で目を覚ました。
 部屋に美由紀の姿は無かった。美由紀はちゃんと後かたづけをしていったらしく、低いテーブルの上にはメモが一枚乗っている。

『昨日は疲れてたのにゴメンナサイ。私、無理にデートなんかに誘っちゃって・・・。』

 違うよ。そうじゃないんだよ美由紀、僕が莫迦だったんだよ。よりによって酒の力を借りようだなんてふざけた考えを持ったから、天罰が下ったんだよ・・・。

 メモには続きがあった。

『夜も遅かったし電車も無くて・・・。一応アナタの服は脱がせました。寝るのに窮屈そうだったし。』

 お気遣い、痛み入ります・・・。

『ちょうどいい具合に湧いていたお風呂を借りました。で、本当はそのまま帰ろうかとも思ったの。でも、』

 ん?

『アナタのことが心配なので、このまま泊まっちゃうことにしました。』

 え?

『アナタがもし私より先に起きたら、ベッドの上の私を起こしてね。』

 僕は今の今まで自分が寝ていたベッドの方にがばっと振り向き、・・・その一瞬後にやって来た頭痛にのたうち回りながらも、ようやっとメモの内容が正しかったことを確認した。




 いた。




 そこには僕のパジャマを着てかすかな寝息を立てている、もうこれで何回目かになる素顔の美由紀の姿があった。

 僕はひとつ大きなため息をついた。
 良かった・・・・・・。




 階下に降りて熱いシャワーをゆっくりと浴び、ダイニングでよく冷えたトマトジュースを飲む。それだけで体内のアルコールのほとんどが流出してしまったような気分になる。同時に、昨夜の自分の爛れた下心までもがどこかに流されていったような気がした。

 しばらく冷蔵庫を見ながらぼーっとしていたが、・・・さてと、美由紀を起こさなくっちゃいけないな。・・・どうやって昨夜のことを謝ろうかな・・・。
 美由紀だって、昨日はかなり気合いを入れて来てくれたハズだよなぁ。・・・もし僕のこの思考が間違っていなかったとしたら、女の子に思いっきり恥をかかせたカタチになっちゃう訳だし・・・。

 僕は部屋にそっと戻り、脱がせてもらった服のポケットをまさぐる。
 そして指輪を探し当てると包装を取り去り、まだ深い眠りの中にある美由紀の左手の薬指にそれをそっと嵌めてみた。

 僕はしばらく彼女の寝顔を見つめ、・・・そして美由紀にそっとキスすると、そのまま静かに部屋を出た。



 今度吉田のヤツに会ったらどんな言い訳をしてやろうかなどと考えながら、僕は美由紀のために簡単な朝食を用意することにした。
 食材を探そうとして冷蔵庫を開けたとき、僕の目にワインとウオッカの瓶が飛び込んできた。

(お前ら、次からは料理酒として自分の余生を全うしろよ。・・・でも、お前らって一体何のレシピに合うんだ?)





「・・・取り敢えず、今日は美由紀とブックセンターのレシピコーナーでデートだな。」




 静かな日曜日の朝、一人苦笑いをしながら、僕はトーストとハムエッグを作るためにフライパンを火にかけた・・・。

Fin.


(あとがきのようなもの)

・・・おっかしいなー。これ、最初ギャグ路線で書いていたのに(笑)。

★この"Lady Fast"というカクテルは、昔私が実際に作ったことがあります。
「飲んでみたい。」「使わせてくれ!!」という方がいらっしゃれば作り方をお教えいたします。
ただ、もしこれと同じカクテルが実在していたらちょっとアレでソレなんですけれども・・・(^^;A.


“sentimental graffiti”はNECインターチャネル/マーカス/サイベル/コミックスの著作物です。