97年5,6月のようす


 

毎日が慌ただしく過ぎて行き、手紙を怠けているうちに、あっと言う間に夏になってしまいました。
と言ってもパナマは今は冬。雨季に入り、メロンやスイカに代わってパパイヤがおいしい季節になりました。
ゴルフ場に行くたびにキャディーがマンゴーをお土産に持たせてくれる上に、メイドのマルタも通勤途中でマンゴーを採って来てくれるので、毎日毎日マンゴーです。ところがマンゴーを食べるのは私だけ。主人や子供達に「日本に帰ったら食べられないよ。」とうるさく言うのですが、「いらない。」の一言でさっぱりパナマの恩恵を生かしていません。

パナマで泥棒に入られたら

企業のパナマ支店長の奥様で、和菓子を教えてくださっている先生のお宅に泥棒が入りました。
アメリカ・カナダへ旅行中のこと。泥棒は、先ず正面のドアの鉄格子の鍵を壊して開け、鉄製のドアも壊そうとしましたが、エレベーターのすぐ前では見つかり易いということでエレベーターから見えない位置のメイド用の勝手口のドアをこじ開けて侵入。その後は家中くまなく捜し、高価な貴金属でポケットに入るくらいの小さな物だけを盗んで行ったということです。旅行中ということを知っていたような念入りな探しぶりで、 先生いわく、
「あれだけ家中隅から隅まで捜されたら、どんなに隠しても見つけられてしまうわ。」
「高い物だけしっかり選んで安い物は全部置いてったわ。」
ちなみに、先生が3年かかって集めた大切なモラ刺繍のコレクションは、全く見向きもされず残っていたそうです。

翌日、ドアが壊されているのを発見したのはビルの管理人(ムチャチョ)だったのですが、連絡を受けた会社側は「警察には絶対通報しない。」と決めました。それは、『警察に連絡すると次々と泥棒が来る。』という中南米の治安事情によるものです。警察から「あの家は今ドアの鍵が壊れていて盗めるぞ。」と言う情報が流れたり、警官自身が調査を装って盗みに来たりして、かえって被害が大きくなるのだそうです。盗まれた物は返って来ないのが当たり前なので、『泥棒が入ったのが、誰もいない時で良かった。
』(命までもってかれたら大変)と考えるのが正しいでしょう。
というのはそれから何日かして、やはり日本企業の支店長のお宅に空き巣が入り、外出から帰った奥様が泥棒と鉢合わせになり、頭をスパナのようなもので殴られるという事件があったのです。ケガは大事には至りませんでしたが、一度泥棒に入られた家はまた狙われることが多いので即、引っ越しをなさったそうです。
新聞によれば、パナマの刑務所はどこも定員オーバーのため、罪の比較的軽い者から釈放することになり、100人以上の服役者が町に戻って来ました。主人いわく、「泥棒もちゃんと下調べしてれば、
俺たちみたいな貧乏人は狙わないと思うけど、勉強不足の泥棒が間違って来るかもしれないから気を付けなければ・・」

パナマ見学会で

5月6日(火)にパナマ見学会がありました。今回はラ テン音楽の『サルサ』と『メレンゲ』のステップをパナマ 人ダンサーに教わるという企画でした。
『サルサ』も『メレンゲ』もどこが違うのか良く分かり ませんでしたが、3拍子のステップと2拍子のステップで なんとなくゆっくりなのと元気の良いのが聞き分けるこつ かな?という感じです。しかし、パナマ人の先生の腰の動きは日本人にはまねができません。先ず、お尻の形が日本人と違ってスイカみたいです。そのボンッとしたお尻をぶりぶりと振って踊るのは、平らなお尻の日本人には無理です。
その後、新しくオープンした『インターコンチネンタルホテル』のビュッフェを食べに行きましたが、そこで一人の方のバッグが盗まれてしまいました。30人あまりの参加者がいたにもかかわらず、だ〜れも目撃者無し。日本人がたくさんいるからと安心してバッグを置きっ放しにしておいた所を狙われてしまったわけです。
ウエイターは、「コーヒーを飲んでいた男が、外を見る振りをしながら一番端の席のバッグを盗ってジャケットに隠して去ったのではないか。外では女が車を止めて待っていて、男が素早く乗り込んで走り去った。」と話していました。盗まれた物はあきらめるしかありませんが、被害に遭われた方はクレジットカードに身分証明書、運転免許証など、現金より取られたくないものばかりでがっかりしていました。
『一流ホテル』、『グループで食事』、『ビュッフェ』はプロが狙っているので気を付けましょう。

自衛艦を見学した

5月の末にパナマに日本の自衛艦『かしま』と『せとゆき』の2艘がバルボア港に寄港しました。28日の夜のレセプションには、日本人学校の教員夫婦も招待されて自衛艦の中に入ることができました。
訓練生たちは北アメリカのボストンまで行き、折り返してまたパナマ運河を通って南アメリカに行ってから日本へ戻るそうです。自衛官の中でもエリートと言われる人達ですが、防衛大学を卒業した22〜25歳くらいの方が多いそうです。
話は変わりますが、パナマ人の船員の事をちらっとお知らせします。
<ラ・プレンサより>
パナマ船籍数は世界一だが、労働法によれば登録されている1万3千あまりの船舶はその乗組員の10%をパナマ人にしなければならないことになっている。しかし、この規定は守られたことは無い。そのわけは、「パナマ人の船員は、何の説明も無く突然やめる。」「12カ月働くと1カ月分の給料を余分に払えと訴える。」「数週間でやめる船員が多く、その帰国の費用を払ってやらなければならない。」などで、船主や海運会社のパナマ人の船員に対する感情はあまり良いものとは言えない。
この記事を読んですご〜く納得してしまった私たちでした。

モラを習い始めた

3月頃からモラ刺繍を習い始めました。もともとモラは好きだったのですが、クナ族が作ったものを買うばかりで自分で作ろうとは思いませんでした。と言うのは私は『チクチク』(針仕事)が苦手で、雑巾だってお手玉だってミシンでガ〜ッと縫うのが性に合っているからです。
しかし、見れば見るほど「これはどうやって縫うのかしら?」と興味がわいて来ます。
日本でもNHKの趣味の何とか・・で紹介されたりして結構ポピュラーになるかもしれません。「せっかくパナマに来たんだし・・」というわけで、ようやく3年目でやって見ようと思い立ったのです。
先生はクナ族のマルタさんと助手の二人で、2時間あまり教えてもらって5$位です。
生徒(奥様方)が5〜6人いるので結構稼ぎになって日本人は良いお客さんになっているようです。
やって見ると、縫い方は単純な『縦まつり縫い』なのですが、どんどん上に布をのせて切り目を入れて模様を描いて行くので「どんな模様ができるのかしら?」と先が分からないところはおもしろいものです。
他の生徒さんは、パッチワークにクロスステッチ、キルトに洋裁と、『チクチク』歴10年以上の方がほとんどでクナ族よりうまい方もいますが、私の場合は時間がかかり、マルタ先生から「ま〜だできないのか?セニョーラ ワタナーベ。」と笑われています。
手の込んだモラが$25〜$30で買えるのならやっぱり買った方が早いな〜。膨大な時間と授業料と材料費をかけて、下手くそで高価なモラが出来上がるのはいつのことでしょう・・?




ゴルフは上達したか?その2

パナマではゴルフはとても安くて気軽にできるスポーツです。けれども、ちゃんとしたコーチに教えてもらうわけでもなく、サークルに入って腕を競うこともなく、友人と運動不足の解消のためにやっているゴルフはさっぱり上達しません。忙しい主人は月1回のゴルフ大会も休みがちで私と同じようなスコアです。
ある日、夫婦でゴルフに行くことにしました。
友人とは「ナイス〜。」とか「今のショット良かったね〜。」とかほめ合いながらやっ
ているのですが、夫婦だとお世辞もありません。
「あっやっぱり。左過ぎると思ったんだ。」
「その振りじゃだめだよ。」
「強すぎる、ほ〜らやっぱりね。」
「良くそんなんで飛ぶな。」
などと、あーだのこーだのお互いの欠点を言い合いするので全然楽しくありません。お互いに心の中で「自分だって下手なくせに。」と思っているのでアドバイスを素直に聞くことができずさっぱり上達しないわけです。結局、「もう一緒に行くもんか。」と思いながら帰って来るのでした。
その後、主人は自分の腕が上がらないのをクラブのせいにして、キャラウェイのドライバーをこっそり買っていましたが・・・

日本人学校に携帯電話が入ったわけは

5月9日(金)に日本人学校の全校遠足がありました。
行く先はジャングルの中にあるサミット公園です。オリエンテーリング、スイカ割りなどを予定通り行い、帰る途中のことです。
スコールが降り始め、道路が大渋滞になって下校時間が遅れそうだと思っていたとき、
高学年の乗ったバスに4駆車が衝突して来ました。幸いバスの前面がへこんだだけで子供達にケガはありませんでしたが、警察が処理するまでバスはその場を動けません。大雨は降っているし、大きな交差点の真ん中なので子供達を外に降ろすことができません。
これでは下校時間の変更を緊急連絡することになりそうですが、学校までは3キロ近くあるし、土砂降りスコールだし、「どうする??」ということになり、結局、主人が連絡のため学校まで走った走った・・久し振りにマラソンした主人は翌日から、風邪気味だった体調が一気に悪化して『保健室で寝てるよ状態』に。
ところが、この件を知った大使館の領事が「それはそれは、いざというとき困りますね。」と同情してくれたのか、危機管理を問題視したのか、学校に2台の携帯電話を置いてくれることを決定しました。主人は「俺のお陰で携帯が入った。」と心の中で思っているようです。

あてなの誕生日

6月17日であてなは満3歳になり ました。この頃は服装にも自分の好 みを主張して「バービーちゃんのパ ンツがいい。」とか、頭に毛留めを 付けろと言っては「ナンシーにして。
」とか「ミクにして。」などとリク エストがうるさくなりました。
午後は家の中でビデオを見ている ことが多いので、ビデオやテレビの 操作はお手の物。コマーシャルは早 送りで、見たい場面は巻き戻しです。
『あんぱんマン』のロールパンナちゃんに凝っていた時期や、『名探偵コナン』のせりふ「犯人はお前だ!!」を誰にでも言っていた時期もありました。今は『エヴァンゲリオン』というロボットマンガに夢中で親も知らない難しいせりふが飛び出すこともあります。
翌日の18日にお友達を呼んであてなの誕生会を開きました。今回の目玉は『ピニャータ』です。
『ピニャータ』と言うのは紙で作った人形で、天井からぶら下げて置き、子供達が順番に棒で叩いて壊すのです。そして中に入っていたキャンディーやおもちゃがこぼれ落ちたところをみんなで拾うという、日本の『くす玉』と『たてまえ』を合わせたような物です。
あてなのリクエストは『ピニャータ』と『ケーキのふ〜っ』だったので大きなケーキを二つとピニャータを用意しました。初めて自分がふ〜っとろうそくを消せたので大満足の一日だったようです。
お友達からのプレゼントはお化粧セットやお嫁さん変身グッズ、など。あてなは早くもお化粧に夢中です。

ストライキの季節?

このところあちこちでストライキやデモが起こっています。
セメント会社の労働者による賃金値上げのスト。学校を郊外に移すことに反対する学生のデモ。船長や航海士の賠償金を求めるデモ。児童生徒が休暇中の補習を受けることを拒否するデモ。(休暇中に勉強するなんていや!と言うことらしい。)そして、教員のストです。
教員のストというのは、『特別年金の廃止。』と『授業日数を増やす。』という政府の決定に反対しての事です。教員の給料はもともと少なく、教員は日払いのアルバイト的職業としか位置づけられていない上に、授業日数が増やされるのに給料はそのままという事態に100人以上の教員がストライキ。それに対して、政府は「ストに参加した教員は全員クビ。」と決定。さらにそれに対してほかの教員がストを起こすなどし、かれこれ3カ月もゴタゴタしています。この間、授業のない生徒達が道で車を止めたり、パナマ大学の学生が教職員を支援して道路を封鎖したり、父兄も教員を応援して集会を開くなどして大騒ぎでした。
結局、公立学校は2週間以上も休みになり、何のために授業日数を増やしたのか分からないのでした。新聞によるとこのストによる経済的影響は1200万$(約14億円)だそうですが、そんなことならちょっと給料をあげてやったら?と思いました。

また、パナマ運河がアメリカからパナマに返還されるのもあと2年半ですが、『パナマ運河に努める職員にはスト権を認めない。』という政府の決定に反対する声も上がっており、この分ではストライキ大好きなパナマ人の手にパナマ運河が返った途端、ストのためパナマ運河は通行できません。ということになりそうな気配です。

NOTICIAS

5月1日(木) Aディアデルトラバッホ(労働の日=メーデー)でお休みでした。 パナマにはゴールデンウィークが無くて残念です。

5月3日(土) 今年度の日本人会のサッカー練習が始まりました。
領事の家で飲み会がありました。5家族でカラオケを歌いまくりま した。領事の家には自分で作ったカラオケのタイトルリストがありま す。

5月4日(日) 朝から夜までかかって主人と他の先生方で7月の移動教室で行く予 定の「エルバジェ」へ下見に行きました。片道4時間かかります。
5月11日(日) ゴルフ(3J会)は風邪のため棄権。

5月12日(月)〜16日(金) 家庭訪問週間でした。家庭訪問から帰って来た主人が言 うには「家はなんでこんなに居間に物が置いてあるんだ?」そういえば、わが家の居間にはあてなのおもちゃ、文具のキャビネッ ト、ビデオテープなどが所狭しと溢れているのでした。

5月28日(水) 自衛艦を見に行きました。

5月29日(木) パナマ日本人学校の生徒が自衛艦隊の見学に行きました。カレーラ イスを御馳走になって音楽の演奏を聴き、帽子のお土産をもらって帰って来ました。

5月30日(金) パナマ日本人学校写生会でした。3年生以上はミラフローレス運河 に行きました。出来上がった絵は3年生から6年生まで同じでした。 (主人は残念ながら図工は担当していません。)

5月31日(土) サッカーの試合でインターナショナルスクールへ行きました。
8時集合なので日本人チームは7時に集合して7時半から練習してい ましたが、相手チームは9時になっても現れません。結局試合が始まっ
たのは2時間遅れの10時過ぎ。5対3で負けてしまいましたが、待ち くたびれちゃったのだと思います。

6月1日(日) PTA主催の新任の先生の歓迎会でした。今年はビュッフェになり ましたが、次の日にひどい下痢や吐き気を訴えた方が続出しました。 食中毒だったのか、流感だったのかと、しばらく話題になりました。

6月14日(土)、15日(日) 職員の家族親睦旅行でした。行く先はいつものコロナ
ドです。今年は心理と侑理がゴルフカートを運転して、家族みんなで ゴルフ場で遊ぶことができました。

6月19日(木) 大統領官邸を見学に行きました。以前スペイン語を習っていたバス ケス先生が申し込んでくださったのでした。持っていたカメラまでチェ
ックされ、一人ずつ名前を呼ばれて中に入ると、噴水の回りにシラサ ギが放し飼いにされているので『シラサギの館』と言われているそう です。日本大使公邸にはアヒルが放し飼いになっているので『アヒル の館』なのでしょうか?

6月23日(月) 水泳記録会でした。心理と侑理は3年生になって随分たくさん泳げ るようになりましたが、1級からは決められたタイムをクリアしなけ ればならないので2級のままです。
主人は体育は担当していないのですが、途中のゲームの『水中おん ぶ相撲』に参加しました。子供チーム対先生チームで対戦したのです が、お母さん方からは「なんか先生同士でおんぶしてる姿が不気味。」
と言う声もあったそうです。