97年3月のようす


 

 パナマ桜は散り果て、我が家のベランダに咲いている蘭の花もそろそろ終わりに近づきました。

 時は加速度を増して過ぎ、パナマ生活の2年目が終わってしまいました。海外に暮らすということは『浦島太郎』になることだとひしひしと感じます。主人は、「日本の職場に帰っても知っている先生や子供達がいないととても寂しい。」とこぼしています。

 そして、もう一つ『浦島太郎』と感じるのは、年を取る早さです。パナマに来てから頭の中も、体のあちこちもすごく老けた気分です。パナマ在住の日本人の間で「パナマでは1年間に3歳老ける。」という合言葉がありますが、陽に当たり過ぎるせいか、運動不足のせいか、食べ物のせいなのか・・・(イライラが多いからかな)。とにかく、私たちは3年間で9歳老けてしまい、日本へ帰るときには白髪としわがたくさんの『浦島太郎と花子』になっているはずです。

 

 あてなのダンス発表会

 

 先月号にも書きましたが、3月6日に幼稚園でダンスの発表会がありました。

1月から3月までのサマースクール(パナマはこの季節が夏なのだ)に通っている間に習っていたもので、民族衣装のポジェーラを着て踊るので親も楽しみにしています。

 

 なにしろ、このポジェーラという民族衣装は本物はスカートに細かい手縫いの刺繍がしてあって、一着$5000(約60万円)以上する高価なものです。値段もさることながら模様の中の糸を一本一本抜きながら刺繍していくという高度な技術は一見の価値があります。今では手の込んだ刺繍ができる人も減り、印刷された布でポジェーラを作る人も増えましたが、母から送られて大事に着ている娘さんも多いそうです。

 それに比べて男性は、パナマ帽をかぶって襟なしYシャツ(ガジャベラ)に黒いズボンをはき、素足にサンダルという何とも情けない衣装。肩から幼稚園の帳面入れみたいな手編みのずた袋を下げているところは、おっとっと!です。

 ですから女の子のいるお宅は「どんな衣装にしようかしら。」「どんな髪飾りにしようかしら。」と力が入ります。今年は$1000以上かけて刺繍のポジェーラを作った方もいて注目を集めていました。

 我が家でも「あてなが女の子で良かったねー。」などと言いながら、赤いポジェーラと髪につけるテンブレッケ、アクセサリーなどを用意しました。(一方、男の子の家ではパナマ帽とサンダルだけの寂しい衣装で何の楽しみも無い。)

 

 さて、当日。幼稚園に行ってみると、ダンスの先生の紹介がありました。その先生は『ティナハス』というパナマ料理のレストランで本格的なポジェーラのダンスを踊っている男性だったので、「これは素晴らしい踊りが見られるに違いない!!」とわくわくです。

 あてなの番になり、『カマロネス(エビ)』という曲に合わせて踊り始めると会場から歓声と笑い声が・・どう見ても「踊り」というより「揺れているだけ」と言った方がぴったりで先生が何やら声をかけるとチョコンとしゃがんで草むしりのまね(エビをとっ

ている仕草らしい)をして終わりました。

 一番チビクラスの発表会は、立っているだけの子あり、泣いているだけの子ありで、「先生!ご苦労様でした。」と思わずにはいられませんでした。

 

 おじいちゃんとおばあちゃんが来た

            

 この春休み、私の父母(古ムーンペアという)が再びパナマに来ました。去年は主人の母、姉、姪と5人で来たのですが、今回は2人きりなので私たち家族がロサンゼルスまで迎えに行き、ラスベガスに寄ってからパナマに入りました。

 ロサンゼルスでは、リトルトーキョーの中のホテルに泊まりました。そのホテルは日本風なのが売りで温泉(スパ)があったり、畳の部屋があったりするのですが、お客は日本から来た団体ばかりで、「わざわざアメリカに来てまで日本風のホテルに泊まるのはなぜ?」と思いました。そんでもってみんなナイキの運動靴を買っているのが変でした。

 ラスベガスは、最近新しい趣向をこらしたホテルがたくさん建っているというので、お金も無いのに行ってみることにしました。

 『トレジャーアイランド』の海賊ショーやピラミッド型ホテル『ルクソール』のIMAX3Dシアター、『ミラージ』の火山爆発、『MGMグランド』のアドベンチャーパーク、『ストラトスフィア』の地上350mの人間発射などいろいろ回って来ましたが、最も入り浸っていたのは『MGMグランド』の和食屋でした。

 特に古ムーンペアは「JALに乗って来たのに和食が出なかったぞ。」(日本行きのJALは和食が出る)と文句を言いながら「やっぱりご飯がいいね〜。」と、おいしそうにカレーを食べたのでありました。

 

 さて、いよいよパナマに着いてみると、「去年来たからどこも行かなくていいわ。」と、

のんびりを決め込んだ古ムーンペアです。

 去年来たときは、35日間の滞在で30日を越えてしまったためイミグレーション(出入国管理事務所)に滞在延長の手続きに行かねばなりませんでした。そのイライラを二度と経験したくないばかりに28日間に設定したのでした。

 

 眼の手術

 

 我が家は主人も私も強度の近視。心理と侑理も小学2年生からメガネの近視一家です。

 5年ほど前、主人の友人が近視の矯正手術を受けたのを聞いて、ずっと「メガネをかけなくても物が見えたらいいな〜」と思っていました。パナマへ来ることが決まってすぐ、いろいろな病院に問い合わせてみましたが、眼科で近視の手術を行っている病院は無く、広告を出していたのは美容整形の医師で両目で80万円ということでした。

 パナマではレーザーによる近視の手術が眼科医によって行われ、値段は$1800(約21万円)だそうです。日本人でも一年ほど前に手術を受けた方がいて、かなり視力が上がりその後も順調だということです。失明の危険もあるという話も聞きますが、100%安全になるのを待っていたのではいつになるか分かりません。私など、「もう老眼が始まったのか?」と思うくらい見えないので、なおのこと手術への期待が高まります。二人で手術すると割引があるという噂もあって、とりあえず春休みに入ってすぐ、主人と私で検査を受けに行ってみることにしました。

 すると、主人はOKでしたが、私は問題有り。両目とも『網膜裂孔』といって網膜が切れて穴が空いているのが見つかりました。「よく見えない。」と感じた理由はこれだっ

たのです。放っておくと『網膜剥離』するのですぐに治療した方が良かろうということになり、4月に入ってすぐレーザーで凝固することに決まりました。

 しかし、レーザーで凝固って一体どんなことをするのか???です。

 大使館の奥様でスペイン語の上手な方に付き添ってもらって治療を受けると、1時間半も(主人はたった30分だったと言うが)眼に顕微鏡の接眼レンズみたいなものを入れられてまばたきできないようにし、レーザー光線を目の奥にバシバシ当てられて心身ともに疲れ果てました。 また3カ月後に左目も治療しなければならないと思うと今からうんざりです。 

 原因は近視が強度だと網膜が薄くなり、切れやすい(普通の人の30倍)と本に書いてありました。この治療費が一回$1000以上かかります。

 皆さん、目を大切にしましょう。

 

 スペイン語は上達したか?

 

 時々、友人からの手紙で、「スペイン語上達した?」とか「英語ぺらぺらになった?」

と聞かれています。この種の質問に関しては一切沈黙を守って来た私たちですが、日本に帰れば ばればれ なので、現状をお知らせします。

 パナマの公用語はスペイン語なので、家族それぞれがスペイン語を習ってはいるのですが、さっぱり頭に入りません。それどころか、主人や私はスペイン語を習ったことによって、中学、高校、大学と何年間もかけていくらか身につけた英語さえすっかり混乱してしまって「え〜っと、なんだっけ?」ばかりです。

 

・  主人は「スペイン語の方が頭に浮かんで英語が出て来ない。」と言っていますが、それはスペイン語がうまいという意味ではありません。はっきり言って『英語は忘れた。スペイン語は覚えられない。』です。

 主人は週一回モンテネグロ先生のお宅に通って習っていますが、ついつい忙しいと「今日は休みます。」の電話で済ませてしまいます。モンテネグロ先生はたくさんの日本人や韓国人を教えていて、彼女に習った生徒は良くしゃべれる、という評判の高い先生です。しかし、それは生徒にもよります。

 

・  私はバスケス先生の家庭教師を受けていました。彼女は御主人が広島に留学していた時に家族で日本に住んでいたため日本語も話せます。 

 ところが、バスケス先生が去年の暮れから大統領夫人の『子供のための教育施設のプロジェクト』に参加することになり、忙しくて家庭教師をしてもらえなくなりました。さあ、週に二回のスペイン語が無くなった私はどうしたか・・・宿題も無い、予習してない言い訳も考えなくて良い、自由になった時間は昼寝でもしようか・・・・と解放感に酔いしれたのでありました。

しかし、忘れるのはあっと言う間で、自分でも「まずいぞ〜。」と思い始め、3カ月後に見つけた新しい先生は、コスタリカ人のローシー先生でした。彼女も御主人が医学関係で仙台の大学に留学していたため、日本語が話せます。(何とスペイン語、ポルトガル語、フランス語、日本語、英語が話せます。うらやまし〜)

 だから私はちっともスペイン語を話さないで日本語ばかり使ってます。

 

 心理と侑理は日本人学校で週2時間、家庭教師で1時間のスペイン語の授業を受けています。勉強時間は親の3倍もあるのに、スペイン語を覚えようという気が無いのか、ボケ〜ッと時間を過ごしています。まあ、友達も日本人ばかりでスペイン語を話す機会が無いので仕方のないことなのかもしれません。

 買い物などでは急に元気良くなって「Cu蚣to cuesta?)いくら?」などと聞いてはいるのですが・・・。

 日本に帰ると『帰国子女』になるので、きっと「英語しゃべってみろ。」とか「スペイン語で〇〇を何て言うんだ?」と聞かれるんだろうな〜。

 

・  あてなは我が家では日本語を話し、幼稚園とメイドのマルタにはスペイン語で話しています。

「あてちゃん、すき、アイスクリームが。」

「まくら、でっかいのほしいって、あてちゃんが。」

と何だか変な日本語を話していますが、音楽が鳴り始めると踊りだしたり、怒ったり笑ったりの表情がオーバーな所はパナマ育ちという感じがします。 

 おじいちゃんとおばあちゃんは「あてなの言うことはスペイン語と日本語とあてな語が混じっていて、さっぱり分からん。」と言っています。

 「はい」と「いいえ」がスペイン風で、「もう食べないの?」と聞いて「うん」とうなずけばまだ食べるという意味になるのでいつも迷ってしまいます。

 

 

 NOTICIAS

 

3月1日(土)

  PTA主催の送別会がありました。経費節減のため今回は着席フルコースから立席ビュッフェになりました。でも、その方が気の合った人と話せると人気でした。主人は「もうすぐ自分の送られる番が来るなあ。」とドキドキしたそうです。

 

3月8日(土)

  朝から『サッカー最終日の送別会』『図書当番最終日』『大使主催の送別会』『日本人学校の送別会』がありました。

 

3月9日(日)

  主人がゴルフ大会に参加しましたが、このところ、ぶっつけ本番ばかりのせいか「どうだった?」「うーん・・」という返事しか返って来ません。賞品も持って来ない所を見るとブービー賞の一つ上らしいです。

 

3月14日(金) 

 卒業式でした。卒業生は男子4名、女子1名の計5名です。中学部は卒業生はいませんでした。

 

3月15日(土)

  修了式と離任式でした。2名の先生と7名の児童生徒が帰国するお別れ会がありました。日本人学校の春休みは4月10日までで、日本の学校に比べて2週間ほど長いです。

 

3月16日(日)

  日本人学校 VS JICA(日本協力事業団)の送別ソフトボール大会がありました。前日まで年度末の忙しさで何の練習もしていない日本人学校は、女性ピッチャー率いるJICAチームに「他のチームとやる前に体をほぐしておきたかったんだ。」と言われて情けないったらありゃしない、でした。20対14で負けました。

 

3月18日(水)

  主人が職員研修でスミソニアンの海洋研究所に見学に行きました。アマドールのゴルフ場のちょっと先にあるちっちゃな水族館でした。        

 

3月20日(木)

  3年目の先生を見送りに空港まで行きました。主人は「帰る先生の顔が喜びに輝いている!」と思ったそうです。

  私は「奥様の方は不安な顔をしている。」と思いました。教員を休職して来ていた奥様が、「仕事したくない。」と漏らしていたからです。主人と私はそれぞれ複雑な思いで見送りました。

 

4月3日(木)

  私の目の治療第一回が終わりました。経過は順調のようです。ご心配かけました。

 

 今年度は新しい先生が3名来ることになっていますが、4月9日にパナマに到着するそうで、翌日から入学式準備など一日勤務です。旅の疲れと時差ぼけで大変だろうな〜と、同情しています。

 そういえば去年、大使館などにあいさつ回りに行こうという時に着替えに行ったまま行方不明になった先生がいて大騒ぎになり、みんなで探したら時差ぼけのためにアパートで死んだように眠っていたところを発見されたという事件?がありました。

 その先生は今年の心理と侑理の担任になりそうなので今から楽しみです。