97年1,2月のようす
年度末が近づいて来ました。『1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。』と言うように、毎日があっと言う間に過ぎて行きます。
新年を迎えてからというもの、サッカーの幹事の仕事はどっと来るわ、学年委員の仕事はどっと来るわで分刻みのスケジュールの毎日です。暇になったら手紙を書こうと思っ
ていたら1月と2月が逃げて行ってしまいました。すでに3月も「うそでしょ?」と言いたいくらいの速さで過ぎつつあります。
主人はもう少しで一番の古株になります。来年度は中南米の校長会がパナマで開かれる上に文部省の研究指定を受けることになったので、ますます忙しくなりそうです。最後の一年間はパナマ理解に努めたいと思っているようですが、きっとパナマの街にどんなものがあるかも知らないまま、学校と家の往復で終わってしまうのだろう・・と私は予想しているのですが・・。
あてなのサマースクール
日本の学校、幼稚園は3月が卒業シーズンですが、パナマでは12月が学年の終わりです。あてなの通う幼稚園でも12月に卒業式が行われ、あてなは赤ちゃんクラスを終えました。
2回目の通知表は主人がもらいに行き、「う〜ん、個人懇談してもらう側になるのは良い勉強になる。」としきりに感心していました。『親をがっかりさせない言い方』を習って来たようです。
さて、パナマの学校は何と1月から3月までの3カ月間はお休みです。あてなも3カ月間お休みかと思っていたら、サマースクールがありました。サマースクールは人数も少なく、遊び中心のため水遊びやお散歩を楽しんでいます。また、週一回午後のクラスにも行くことにしましたが、まだお昼寝の習慣があるので眠ったまま迎えのバスに乗せられて行きます。
時々「行かない〜。」と登園拒否していたあてなもサマースクールになってからは喜んで通っています。3月にはパナマの民族衣装ポジェーラを着て、踊りの発表会をするそうなので今から楽しみです。
運動会
2月1日(土)に運動会がありました。今回の運動会で一番楽しかったのが『紅白玉入れ』です。
今年は玉入れの玉が足りないというので、各家庭で8個の玉を作るよう依頼がありました。ていねいな図入りの作り方解説とともに紅白の布と豆が配られたのですが、海外に住むお母様方の中にはお手玉を作ったことがない方がたくさんいらっしゃったようです。
かくして学校に届いた紅白玉は千差万別。しかも運動会の当日は子供が玉を投げるたびにあっちでパ〜ッ、こっちでパ〜ッと、玉から豆が飛び出して青空に舞い散るのでした。 お母様方の興味は、玉が「何個入ったか」よりも「何個壊れたか」の方に集中して大笑い。誰の作った玉が壊れたのか分からないのが良いところなのでした。
2、3日経つと、たまたま降った雨のおかげでグラウンドに豆の芽が生えそろい、きれいな丸ができたそうです。
主人は「あの豆を畑に移して育てようかな〜。」と言っていましたが、ある日体育の時間にサッカーをした学年があって跡形もなくなっていました。
ペルーの事件は?
ペルーの日本大使館の事件はずいぶん長引いているようですが、日本では松田聖子の離婚や重油流出のニュースでのせいで、もう忘れかけているのではないでしょうか?
私たちもパナマにいると情報量が少なく、事件のことを忘れそうになるのですが、パナマの大使館の方は今でも何か起きたらすぐ協力できるようにと3週間交代でペルーに滞在しているそうです。日本人学校の父兄が「しばらくペルーに行ってきます。」とあいさつに来た話を聞くと、事件はまだまだ続いているんだなーと実感します。
ところで、この事件で『テロリストを受け入れます』と一番に名乗りを上げた国は、何とパナマでした。パナマはお金さえもらえればどんな亡命者も受け入れるそうで過去にはフィリピンのマルコス氏もパナマに亡命したそうです。もし、パナマにテロリストが来たら、ますます日本企業はパナマから離れて行くだろうな〜と思うのですが。
悪い日本人?
今(2月現在)パナマで注目している事は、80人を越える『T教会』の信者がパナマに入国して来たことです。スペイン語は少ししか話せないそうなのですが、アパートを一軒一軒回って布教している姿があちこちで見られました。
建築関係の筋から得た情報では、パナマに新しいホテルを建てる会社の一つが統一教会だそうで、パナマ支部ができそうな気配です。
熱心な布教のせいか、あるメイドの話では、田舎のほうで「悪い日本人が来て子供をさらっていく。」という根も葉も無い噂が立ったということです。
☆後でわかったのですが、『神の子供』というオカルト集団が児童虐待容疑で逮捕された、というニュースと混同されたものと思われます。それにしても「日本人が子供をさらう」とは、ひどい噂です。
冒険家たち
日本のテレビ番組『進め!電波少年』の、『猿岩石』という二人組みの『ユーラシア大陸ヒッチハイクの旅』(実は飛行機に乗っていた事がばれたそうですが)や、ドロンズの『南米大陸縦断ヒッチハイクの旅』が話題を呼んで、日本の外務省に自分も同じ旅をしたいという問い合わせが殺到しているそうです。
もっとも、真剣に南米を一人旅している人は結構いるようで、パナマにも1月現在、メキシコからパナマまで路線バスで一人旅して来た24歳の女性が知人の家に滞在中とのことです。また、2月現在、日本から8人の学生がスペイン語を勉強するためにホームステイに来ているそうで、スペイン語を教えてくれるバスケス先生や現地の家庭で10カ月を過ごすことになっています。
また、スーパーの前で、オートバイで旅をしている男性に「コロンビアに抜ける道が分からないので地図を売っているお店を教えてもらえないか。」と聞かれて、「道が無いから飛行機に乗らなければならない。」と教えてあげた方や、男女二人組みに「夜は治安が悪いからお宅の駐車場で野宿させてください。」と頼まれた方もいます。
先日、『グレート・ジャーニー3 パナマ~アラスカ12000km』というビデオを見てみたら、ちょうど一年前パナマに探検家が来たときのものでした。カヤックという手こぎのボートと自転車でアメリカを縦断するのですが、感心しながらも、
「パナマはジャングルしかうつってないな〜。」
「高層ビルがうつったらまずいんじゃないの。」
「本当はホームセンターで買い物してたよね・・」
「わざわざ野外炊飯しなくてもマクドナルドがあるのに。」
「日本食レストランに行ったかな?」
「病気になったらすぐ日本に帰ってしまうなんていいな。」
「パナマにだって病院はあるよね〜。」
などと言いながら見ていました。
どんな冒険もテレビ局がついたら絶対安全保障マーク付きのお芝居になってしまうような気がします。
ガス爆発事件
パナマの家庭ではお料理やシャワーにプロパンガスを使っています。
ボンベが空になるとガス会社のトラックがガスを詰めにやって来るのですが、ガス会社のトラックが来ると、あたり一面ガスの匂いが立ち込めるので7階にいてもすぐ分かります。「こんなにガスもれしていていいのかな。」と思っていたら、やっぱり『ガス爆発事件』が起こりました。
事件の原因はガスもれだけではなくて、ガスの中に間違ってある薬品が混じって爆発しやすくなっていたということでした。あちこちでボンボン爆発して3人の死傷者が出ました。すぐにボンベが回収されたそうですが、ガス会社の周りは付近の住民が避難するほどのガスの匂いが一週間も続いたそうです。
主人の話によると、学校でも前から家庭科室からガスの匂いがすると思っていたところ、調べに行った教頭先生の目の前で2mくらいの火柱が上がり、即、ボンベを取り替えたそうです。家庭科の実習中などに爆発しなくて本当に良かったと思います。(原因は単なるガスもれでした。)
我が家でガスを使うものと言えば台所のガスレンジですが、この頃ラーメンなどをゆでているといつの間にか火が消えていることがあって油断できません。その上、火力が弱すぎてお湯が沸騰するのに時間がかかって麺がうまくゆでられません。天ぷらもカラッ
と揚げるのは至難の業です。
私の一番の苦手な料理は『ゆで卵』。単純なのに火力不足で時間がかかるために、ゆでていることを忘れてしまうのです。我が家ではもう3回も『ゆで卵爆発事件』が起きています。
古ムーンペア(私の父&母)がまた来る
去年の3月にパナマに来て35日間滞在した私の父母が、再びパナマに来ることになりました。
今回は二人だけではるばる新潟からパナマまでやってくるので、私たち家族がロサンゼルスまで迎えに出て、一緒にパナマに入ります。
空港券をこちらから送ろうと(と言っても私たちのお金で招待するほど金持ちではない)旅行社に問い合わせて見ると、<成田⇔ロサンゼルス>の往復チケットが約10万円と聞いてびっくりしました。JALのチケットも安くなったものです。帰りの日がゴールデンウィークにかかっていなかったらもっと安かったかも知れません。そんなに安いなら私たち家族が日本に帰れば?と思われるかも知れませんが、二年を過ぎると一週間くらい帰って何になる?と、思うようになります。
パナマは不健康地なので2年目に日本に帰っても良いそうですが、5人分の旅費は自分持ちなので我が家には無理な話です。
まあ、主人をパナマに残して私と子供だけ帰るということもできませんので、皆さんもぜひパナマに遊びに来てください。
心理と侑理はおじいちゃんたちに会えるのを楽しみにしています。不思議なのは今回「おみやげはいらない。」と言うので「一体どうしたの?」と聞いてみると、
侑理「いつも本やビーダマンを送ってもらってるからいいんだ。」
心理「え〜っぼく、ほしいほしい!!『どらえもん3』と『カービーデラックス』がほ しい!」と言う答えが返ってきました。
これでも心理の方が一応お兄さんです。
NOTICIAS
1月8日(水)
始業式でした。私はひどく咳の出る風邪を引いてなかなか治らず苦しんでいましたが、これは日本でも大流行した『A香港型』という風邪らしく、パナマでもじわじわと流行っています。なぜか大人ばかりうつるらしく、「今度は〇〇さんのご主人がダウンしたそうよ。」と、もうすぐ日本人の間で一巡しそうです。
1月18日(土)
PTA主催の餅つき大会がありました。この日のために役員の方がうすときねを作らせようとした所、熱帯性気候の材木は柔らかくて真ん中に空洞があることが多く、なかなかよい材木が見つからなくて困ったそうです。方々捜してやっとできたのは、かわいい小さなうす二つでした。
餅つき当日は日本国大使館のK大使はじめ、たくさんの日本人が集まり、楽しい一時を過ごしました。ちょっと残念だったのは、中国のもち米だったために腰のないだらだらした餅だったことですが、米にうるさい新潟県人以外の人達は十分満足していたようです。
1月30日(木)
日本から医療団が来ました。年に2回日本から来た医師の診察を受けることができますが、レントゲンもなし、血液検査もなし、超音波ももちろんなしで、尿検査と血圧検査だけでは不安もあります。それで「ガンになってたら日本に帰ってから発見されても手遅れだよ。」と主人を責めまくって今年から禁煙させました。
2月1日(土)
運動会でした。
2月8日(土)~11日(火)
カーニバルの四連休でした。カーニバルは庶民のお祭りなのでお金持ちはこの連休を利用して旅行に出掛けます。我が家はしっかり庶民なのでどこへも行けずに家でゴロゴロしていました。
2月15日(土)
PTA臨時総会が開かれました。PTA会費が一年間$15から$45に値上げになりました。日本の学校ってどれくらいでしたっけ?
2月17日(月)
3年目の二人の先生のお宅で帰国荷物を送り出すお手伝いに行きました。と言っても運送業者が荷物を盗んだり、壊したりしないように見ているだけなのですが。しかし、二家族とも荷物が少なくてびっくりしました。来たときから荷物を増やさないよう心掛けていたのでしょうが、段ボール箱50個くらいで済むなんて、夫婦してがらくた集めの好きな我が家にはあり得ないことです。
今から整理整頓を心掛けておかないと一年後にはひどい目に遭いそうです。
2月22日(土)
校長先生のお宅で送別会がありました。(この後、3月の土、日曜日は4つの送別会が予定されているらしい。)