96年11月のようす


 

 11月も毎日雨の日が続きます。でも、日本の梅雨のように一日中降り続くわけではなく、一時間ほどドカーンと降って終わりなのでけっこう過ごしやすいものです。

 しかし、その時に降る雨の量は、傘どころか車のワイパーも役に立たないほど大量で、

各地で水害が起きています。

 

 恐怖の雨

 

 友人とアメリカ領まで出かけた時のことです。海の向こうのビルがかすんできたなと思ったら、真っ黒な雨雲がすごい速さでこちらにやって来るのが見えました。駐車場まで必死で走りましたが途中で追いつかれ、あっと言う間にびしょ濡れ。何とか車に乗り込んで、さあ帰ろうと思いましたが、先が見えないほどのすごい雨。対向車も見えないのでこわごわと進んで行くと、動けなくなった車やぶつかった車が道のあちこちに止まっ

ていて大渋滞。

 やっとのことで渋滞を抜けると、突然4車線から1車線になり、小さい車や背の低い車はUターンしています。いやな予感がする・・・と思っていたら案の定、道路の低い部分に水が流れ込んで川のようになっていて、車が浮かんでいたのでした。周りでは、車を押してお金をもらおうという男の人やプール代わりに泳いでいる子供達が大騒ぎをしています。

 川の深さにUターンしたくなりましたが、他の帰り道はありません。とうとう私の車が川を渡る番が来て、「どうか止まりませんように。」と祈りながらのろのろと進み始めました。エンジンが止まったら腰まで川に浸かって車を押さなくてはならないのでは・

・・その後どうやって家に帰るの?・・・もし車が修理不能になったら・・・と考えただけでクラクラです。

 そろり、そろりと前進し、何とか一番深い所を過ぎ、川を渡り切ったときには思わず拍手。「三菱さんありがとう。」と日本車の優秀性に感謝しました。

 この数分間で白髪が5本くらい増えた感じがします。この日、この地区ではほとんどのアパートが床上浸水。車が何台も浮かんでいました。

 

 

 私(真也)がスキューバダイビングの免許を取った

 

 パナマは太平洋とカリブ海に挟まれた国です。太平洋側の海は汚くてとても入れませんが、カリブ海側の美しさは格別で、世界のダイビングスポットはカリブ海とオーストラリアの周りの海に集中しています。

 パナマでスキューバの免許が簡単に取れると聞いても「人間は水の中では生きられない。」とあまり気が進まなかったのですが、妻が「スキューバの免許取りに行っていい?」と言うので、「負けてたまるか。」という気になりました。

 ある日の学校帰りに『スキューバ・パナマ』というダイビングスクールがどんなところか見に行くことにしました。そして、男の人に「免許を取りたいんだけど、いつ講習会があるの?」と尋ねると、奥に連れて行かれて「今、授業が始まったところだから」と、突然その日から生徒にされてしまいました。え、そんなつもりじゃ。と思いましたが「やめます。」と言えないままに講義を受けてしまいました。

 その後に実技もあったのですが、私はスーツにネクタイ。水着など持って来ていません。先生に「何しに来たんだ?」と言われてしまいました。

 それから4日間、夕方6時から10時過ぎまで講習と実技がありました。初めに軽く300m泳ぎ、すぐに16分間仰向けにプカプカ浮かびます。それだけで体力を使い果たしてしまいます。(初日に水着を忘れた私は1日得をしましたが)

 一番辛かったのは、深さ3mのプールの底で身につけている道具を全部脱ぎ、水面まで浮かび上がって息を2回してから底まで潜って再び道具を身につけるという練習です。

 とにかく一番初めにレギュレーターを口にくわえて息をしなければなりません。次にマスクを付けてマスククリアをしなければなりません。これは、マスクを押さえて上を向き、鼻から空気を出してマスクの中の水を追い出します。続いて、タンク&ジャケット、足ヒレを身につけて終わりです。

 私は視力が悪い上に夜の暗さのため、プールの中を死に物狂いで手探りで探してもレギュレーターを見つけられず、息ができなくて死にそうになりました。やっと見つかって思い切り息を吸ったらレギュレーターの中の水を飲んでしまい溺れそうになりました。やっぱり「人間は水の中では生きられない。」

です。

 実技が終わると講義が始まります。本来はスペイン語ですが、あとの2人の生徒が英語も理解できたので、先生は主に英語で教えてくれました。

 

4日間の練習が終わり、土日にいよいよ1泊2日の海洋実習です。海洋実習はパナマ市から1時間半ぐらい離れたカリブ海のポルトベーロという所で行います。

 筆記試験では、先生に 「通訳は来ないのか?」と聞かれました。今まで受けた日本人は筆記試験のために<スペイン語ー日本語>の通訳を連れて来ていたということでした。私は英語で筆記試験を受けようと思っていたので、一人で大丈夫と考えていましたが、当日になってスペイン語の試験は一般用50問、英語はアメリカ海軍用で専門的な問題が100問の試験だという事を知り、英語を選択したことが失敗だったと分かりました。

 他の二人はスペイン語のテストを1時間足らずで終わらせて海に潜りに行きましたが、辞書を引いても専門用語が載っていなくて四苦八苦の私は3時間半もかかってしまいました。まあ、苦労のかいあって、けっこう高得点で合格することができた上、先生のいない間にこっそりと問題をノートに写し取ったりして有意義なテストになりましたが。

 初めて海へ潜るとき、ボートで10分ぐらい沖のポイントへ行きました。カリブ海はどこまでも青く広々としていました。プールとは明らかに違い、緊張と恐ろしさが先に立ち、先生に「やっぱりやめます。」と何度も言いそうになりました。タンクを背おって後ろ向きに海に入った時は、「死ぬかもしれないな」とはっきり感じました。だいたい習い始めるときからしてあんまり気が進まなかったんだよなー、と後悔しました。 そのポイントは海底まで35フィート、たった10mくらいです。ロープをつたいながらゆっくり降りていくと、すぐに耳が痛くなります。その時は「耳ぬき」をして鼓膜を外側に押し出すと痛さは全くなくなります。ところが、小さいころから耳鼻科通いが絶えなかっ

た私は、1m潜るたびに耳ぬきをしなくてはなりません。他の人の耳は鈍感なのか、それとも人種の違いか、などと考えながらやっとのことで海底につきました。自分がちゃんと息をしてるかどうかばかりが気になって、まだ周りを見る余裕はありません。しかし、海底で『身につけてる物全部脱いで、また着る。』をやってしまうと、もう何も怖くないぞという気になり、それからはとても素晴らしい時間でした。足ヒレをゆっくり動かしてサンゴ礁の1mぐらい上を泳ぐと、色とりどりの魚たちがたくさんいます。固まって泳いでいる小さな魚たちやサンゴの陰にじっと隠れている大きな顔をした魚。どの魚も平気で顔の前を横切って行きます。自分自身が1匹の魚になっているような不思議な感覚を経験しました。

 海洋実習は全部で4回潜り、とても楽しい時間でした。アメリカ人、ドイツ人、メキシコ人、パナマ人などたくさんの人達と一緒に潜りました。60歳ぐらいと思われるアメリカ人の老夫婦とも潜りました。お腹にオッパイがついているのでは、というぐらい太っ

たおばちゃんにもぴったりのウエットスーツがあるのはびっくりしました。

  かくして私はダイバーになることができました。パナマにいる間にできる限り経験を積みたいと思っています。                         

                                   (真也)

 かかった費用

 ・講義・実技・海洋実習・宿泊費・タンクなどのレンタル代・免許申請費など

  全部込みで$135

 ・自分用に買った物(度付きマスク140$、スノーケル16$、足ヒレ50$、ウエット  ブーツ30$、メッシュバッグ36$など)

 

 授業日数が増える

 

 経済政策企画大臣が「1997年度より年間の授業日数が、現行の180日より210日に増やされる。」と発表しました。パナマ日本人学校の授業日数は207日ですので大体同じになります。 

 何でもお隣のコスタリカに比べるとずいぶん教育水準が低いという調査結果が出たそうで、「これじゃあいかん!」と単純に授業日数を増やすことになったようです。

 このために教育費がいくら必要となるのかも全然考えていないようですが、大臣は「これは一番大事な費用だから、資金はない所からも見つけだす。」と語ったそうです。大臣の言葉とは思えない言葉ですが、日本の政治家もない所からお金を見つけだすのは得意のようなので黙っておきます。

 急に『教育水準』にこだわり始めた原因は、ある国際会社がコンピュータの部品を作る工場をパナマに作ろうかとを検討していたのに、教育水準を考えた結果コスタリカに行ってしまった。という事件?にあったのでした。

 大臣は、「授業日数を増やすのは、学生にもっと勉強させ、韓国や台湾人、ひいてはそれ以外の国々と競合できる条件を身につけさせるため。」と説明しました。どうして韓国人と台湾人に負けるなという理由なのかよく分からないのですが、じゃあ日本人やインド人はどうなのかと考えるとますます分からなくなります。まあ、頑張ってお釣りを間違えないくらいになってほしいと私も応援しています。

 

靴を8足買った日

 

 11月23日(土)のことです。心理のサッカーシューズが小さくなったので買いに行きました。心理は侑理より足が小さいので侑理のお下がりを履くことになり、新しい靴を買ったのは侑理です。主人もピン無しのゴルフシューズ$35を買いました。

 午後から、日本に送るナイキの運動靴を探しに行きました。10月号でパナマではナイキの運動靴が安く買えると書きましたが、優しい真也おじさんがまた双子の甥に「そんなに流行っているんならもう一足送ってやるか。」と約束していたからです。ぼくにも送ってほしいという親戚の子の分を合わせて4足のナイキを探して歩きました。

 しかし前にも書いた通り、パナマ市内の靴屋さんは日本人が買いあさって行き、甥の希望のモデルは売り切れ。コスタリカとの国境近くにたくさん売ってるという日本人学校の中学生の情報ですがそんなところまで買いに行く時間はありません。

 とりあえずパナマ市内のスポーツ店に行くと、今はクリスマスのセールで60%引〜。でも、日本人の感覚では「あまり安くなってると品物が良くないのかな?」とか、「売れ残りなのかな?」とか考えてしまい、自分の物でないこともあってなかなか決められません。

 

 最後には、「え〜い!とにかく店で一番高いのを買っておけば間違いないだろう。」と『エア ズーム フライト96』という靴を買って送ることにしました。

 値段は$110。「まけてよ!」と言ったのに値引きは無しで5%のタックスと送料が$25ほどかかるので合計$140ほどになります。

 やっと決まって日本に電話をかけると、「それは定価27000円だ。」と聞いてびっくり。日本では定価より高く売っているそうで「そんなひどいこと許していいの?」と言いたくなります。

 人の買い物が終わると、勢いで主人の革靴と私のパンプスまで買って大貧民になってしまいました。

 みんなで靴を買って帰った後、「今年のクリスマスプレゼントは何がいい?」という話題になった時、心理は「僕も新しい靴がほしい・・」と言っていました。

 

 プレゼント

 

 パナマの年末は日本のお歳暮の季節とちょっと似ています。12月1日は『ディア・デル・マエストロ(先生の日)』、12月8日は『ディア・デラ・マドレ(母の日)』で感謝を込めてプレゼントを送ります。そして、12月25日が『クリスマス』なので、この一カ月間はプレゼントに始まりプレゼントに終わる月になります。そんなわけで11月に入ると誰も彼もがプレゼントのために一年間働いて来たのかと思えるほどの買い物を始めます。

 我が家の場合は、『先生の日』に7人の先生に10$〜20$のプレゼントを渡し、『母の日』には私のために靴やバッグを買い(ハハハ)、『クリスマス』にはメイド、ガードマン、管理人のおじさんたち6人に5$〜20$のお金をあげます。それだけで結構な手間ひまとお金がかかり、年末はとても貧乏になります。

 日本は年末になるとどこもかしこもバーゲンセールが始まって、「何とか売上を伸ばそう。」と頑張るものですが、パナマは「高くたって買う時期なのに、何で安売りしなきゃいけないの?」という態度です。

 しかし、近年、安売りをする店が増えて来てお客がどっとそちらに流れ始めたため、お高くトマっていたデパートはガラ〜ンとし、反対に全品30%引などという広告を出している店は朝から晩までレジに長蛇の列ができています。

 そんな時に、信じられないおばさん(もちろん白人の女性)が出現します。

 

 <ペルミッソおばさん>

 長蛇の列の最後から「ペルミッソ〜(ちょっとごめんね)」と言いながら一番前に並んでいた主人の前に割り込む。

 

 <ケパソおばさん>

 道路が衝突事故で片側交互通行になり大渋滞。その時、駐車場が混んでいるからと、片側通行の道路の真ん中に車を止めてプレゼントを買いに行く。

 周り中が怒ってクラクションを鳴らすと、「ケパソ〜?(どうしたの)」と言って肩をすくめる。

 

 パナマの飛行機は危ない

 

 パナマの国民はストライキが大好きで、しょっちゅうどこかで何かの団体がストやデモを起こしています。

 11月19日にはトクメン国際空港航空管制官が「給料を上げろ!」と無期限ストライキを起こしました。このため国際便の飛行機200本が飛ばなくなりました。その日、出張で日本に出発するはずだった大使館の方によれば、「飛行機が遅れるとか飛ばないとかじゃなくて、空港に入ることさえできなかった。」ということでした。

 ストに対して大臣は「お金がないからだーめ。」と返事をしたため、大騒ぎになりました。すると監督長が「そんなに文句を言うならおまえたちはクビ!、管制官なんかいなくたって、勝手に飛行機を飛ばせちゃうから。」と、管制なしでも離着陸を許可してしまい、とんでもないことになりました。飛行機事故が起こるのでは?と心配しましたが、飛んだのはCOPAというパナマの飛行機会社1社だけでした。

 「普通だったら飛ばないよね〜、やっぱりパナマだ。」と言っていると、『飛行場には何百人もの人々が我先に飛行機に乗ろうとしてパニック状態になった。』と新聞に載っ

ていました。管制官の指示もない飛行機によく乗れるな〜と思ってしまいます。

 3日目には政府が「ストを起こした管制官をクビにした代わりに外国人を雇う。」と言い出して猛反対を受け、何がなんだか分からない状態になってきました。3日間で航空貨物50トンが届かなくなり、5000人の旅客が飛行機に乗れなくなりました。 

 11月末でも50人ほどの管制官がクビになったままで飛行場は再開されています。それを考えると、恐ろしくなりますが今のところ何とか事故なく飛んでいるようです。私たち家族も12月にマイアミに行く予定があるので、「どうか飛行機が落ちませんように。」

と祈っています。

 

 

 

 

 

  N O T I C I A S

 

11月3日(日)

Aコロンビアからの独立の日  1903年に独立しました。

11月4日(月)

Aディア デラ バンデーラ。 パナマの国旗が制定された日です。

11月10日(日)

A独立雄叫びの日 1821年ロスサントスの谷で「独立を勝ち取ろう」と叫んだ日です。

11月11日(月)

A『振替休日』

         <パナマの公立学校は2日〜11日までずっと休みです。>

 

11月13日(水)

  1日公開授業でした。先生方は大変そうですが、お母さん方は「授業参観なんて1時間で十分なのにねー。」と無情なことを言っていました。

 

11月20日(水) 〜22日(金)

 小学部6年生が5人がチリキへ修学旅行に行きました。先生3人、ガードマン3人、運転手2人の8人がついて行きました。

 この3日間は心理、侑理のバス時間が30分も早くなり、お弁当作りも時間との戦いでした。

 

11月23日(土) 

 PTA行事でパナマ大学の教授らによるミニコンサートがありましたが、曲が途切れてばかりいてみんなが飽きてしまい、終わるのが待ち遠しかったです。

 その後、パナマビエホの遺跡の前で年賀状用の写真を撮りました。去年は年賀状が12月30日に着いてしまったそうなので、今年は『年賀』の文字を忘れないようにします。

 

11月27日(水)

  主人が研究授業で1年生の国語『ずうっと、ずっと、だいすきだよ』 をしました。

 

11月28日(木)

Aスペインからの独立の日  1821年に独立しました。