96年7,8月のようす

 

 今年の夏、日本は『O−157』で大変だったというお手紙をたくさんいただきました。

夏休みに日本に一時帰国する方たちが「日本に帰るの止めようかしら。」と悩んでいるのを見ると、パナマの方が安全なんじゃないの?と思えるくらいです。そういえば、去年のパナマの夏はやたらとデモがあり、外出禁止になったり、催涙弾の煙を浴びたりしていたのでした。それに比べて今年の夏は平和です・・・。

 

 アトランタ・オリンピック

 

 4年に一度のオリンピック。しかもパナマからすぐ近くのアトランタで開催されるというので、「よしっ!オリンピックを生で見るぞ!」と主人は去年から競技を観戦するためのチケットを手に入れようとあれこれ聞いて回っていたのでした。けれど、チケットは4年前からほとんど企業やオリンピック関係者に押さえられていて、個人で手に入れるのは無理。たくさん偽物が出回っているうえ、値段もとんでもなく高くなっていると聞かされて「ま、テレビで見るのが一番良く見えるもんね。」と負け惜しみを言いながらあきらめたのでした。

 実際チケットの値段には驚いたのですが、女性セブン誌に載っていた記事では、近畿日本ツーリストなどの旅行社が扱っているチケットでも、あまり人気のない種目2つ、3つ見るだけで一枚8万円位と書いてありました。

 パナマはアメリカのケーブルテレビが見られるのですから、やっぱりテレビで見ているほうが良さそうです。私たちはテレビで17日間、毎日オリンピック三昧しようと決めました。ところが、開会式はしっかり生放送で見ることができましたが、翌日からは普通どおりの番組編成。スポーツチャンネルで時々『水球』や『ビーチバレー』『飛び込み』をやっているくらい。しかもアメリカの選手か中南米の選手しか映らないので、とうとう日本の選手は誰が何に出ているのかさえ分からずにオリンピックは幕を閉じたのでした。

 さて、今回の日本の成績は、金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル5個と思わしくなかったそうですが、週刊ポスト誌によれば4年間にオリンピック選手を育てるために使われたお金(強化事業費)が約60億9000万円だそうで、「どうした日本!」と声を掛けたくなります。

 では、パナマの成績はどうでしょうか。国の広さは北海道くらい、人口は新潟県くらいのパナマからは9人の選手がアトランタに行きました。もちろん、メダルは一個ももたらされませんでした。ついでに言えば、ここ100年間で取ったメダルは銅2個だけ。でも日本のように60億円あまりのお金をオリンピックのために使える国ではないし、国民がスポーツを楽しむほど余裕の無い国なのですから仕方がないと思います。

 

 VACACIONES 夏休み

 

 7月30日〜8月11日まで、主人の希望だったワシントン、ニューヨークと私の希望のメキシコへ家族旅行に行って来ました。

 

  《メキシコ》

 メキシコでの、一番の目的は二つのピラミッドに登ることです。そのために日本語のできるガイドを頼むと$195。(大人$65、子供半額)日本語というだけで値段が倍になります。私たちはタクシーの運転手を一日雇い、ピラミッドまでの往復はもちろん、スペイン語で遺跡についての解説までしてもらい、さらに、お土産屋、レストラン、市場まで案内してもらって$50。すごーく得した気分でしたが、日本食レストランで、お寿司を食べればパーです。

 ピラミッドは『月のピラミッド』と『太陽のピラミッド』があり、高地で空気が薄いため、登ると異常に息が切れます。頂上から見たティオティワカンの街は映画のセットのようでした。

 

 人類学博物館、テンプロ・マヨールの遺跡なども見に行きましたが、アステカ文明は死人とお墓の文明だったのかと思えるほどたくさんの骸骨を見て来ました。

 残念ながら代表的なメキシコ料理の『タコス』や『エンティラーダ』が口に合わず、日本食レストランとマクドナルドの毎日でしたが、一番おいしかったのは、メキシコ製の『ヤクルト』でした。

 

 《ワシントン》

 ワシントンはメキシコと比べて段違いに街も空気もきれいです。ここでの一番の目的は博物館巡りです。

 毎日2、3つ博物館や美術館を回りましたが、それぞれが一日では見きれないほど充実していて、スケールの大きさには驚くばかり。しかも全て入場無料。新潟市の美術館だったらピカソの絵一枚で1500円の入場料を取ることでしょう。さすがアメリカの首都ワシントンは太っ腹です。4日間芸術にどっぷり浸かって幸せだったのですが。ただ一つ問題が・・・、それはあてなです。ルノアールやピカソの絵に触ったら一大事だし、広い廊下を走り回ろうとするあてなを押さえるのは大変だし、昼寝をすれば重たいし、ゆっくり見ている暇がありません。

 

しかし、『ケネディーセンター』でミュージカル『美女と野獣』を観たときには、セリフが英語なのに心理、侑理、あてなまで真剣に見ていたのは、さすがブロードウェイと感心してしまいました。侑理がものすごいファンになってしまい、「ニューヨークでもう一回見たいよ〜。」と言い続けていました。

 他にも、乗り降り自由のツアーバスに乗って主人の思い出の『リンカーン・メモリアル』『キャピトル』『ホワイトハウス』も見て回りましたが、まだまだ行きたい所がたくさんあって、ニューヨークに行くのを止めてもっとワシントンにいようかと相談したくらいでした。

 

 《ニューヨーク》

 ここでの一番の目的は『自由の女神』を見ることです。像の中に、エレベーターと階段があって冠のところまで登れるのですが、3時間もかかるのであてなを連れて登るのは無理だと聞いて、『世界貿易センタービル』の108階の屋上から『自由の女神』を見て満足しました。浮いた時間は『メトロポリタン美術館』に行き、絵画や彫刻の素晴らしさにため息を100回位ついて帰って来ました。私は源氏物語の屏風をのぞき込み過ぎて、チリチリ・・と非常ベルを鳴らしてしまいました。 主人はゴッホの自画像の本物を見て「すごいな〜。ほら、心理、侑理、この絵は高いんだぞ〜。よく見ておけよ〜。」

などと夢の無いことを言っていました。

 

 せっかくニューヨークに来たのだから5番街で高級ブランド品でも買おうかと思いましたが、同じものがワシントンやパナマのほうが安かったのであまり買う気になれません。それで毎日の楽しみは『紀伊国屋』に行って本を買うことでした。また、隣のジョージア州の『ヤオハン』という日本のスーパーマーケットまで日本食の買い出しに行きました。今回の日本食にかかったお金は4万円ほどで、去年のマイアミ・オーランドで買った7万円に比べれば随分少なくなったものです。そのかわりパナマでは生ラーメンが食べられないので、毎日のようにあちこちのラーメン屋に通いました。

 今回の旅行で学んだこと。

@子連れの旅行は十日以内。

A気候の違うところは選ぶな。

B旅行社を通さず自分で予約。

C自分の考えははっきり言おう。

 

小林厚司先生、民世さんご夫妻がパナマに来ました。

 

 赴任地がパナマと決まった時の事、「あっそう、パナマ。パナマってどこ?」「近くだったら遊びに行くのに、パナマじゃね〜。」「3年間会えないけど頑張ってね。」などのハゲましの言葉の中で、「や〜僕は絶対パナマに行きますよ〜。」とお酒の力で?つい口が滑った友人が一人だけいたのでした。それをしっかり聞いていた主人は一年間、「まだ来ないのか。」と手紙に書き続け、とうとう厚司先生ご夫妻が来てくださることになっ

たのでした。

 こちらから成田・パナマ・オーランドの往復航空チケット(二人分で$5,314)を送り、お盆休みの一番混雑しているときに成田を発つことになりました。

 しかし、厚司先生ご夫婦は成田空港に着いてびっくり。渡辺家、犬井家のおじいちゃん、おばあちゃんがパナマに届けてくれるよう頼んだ品物が、トランクよりでかい段ボール箱2個分になってご夫婦を待っていたのでした。何と言ってもかさばったのは『ミニ4駆のサーキット』です。渡辺家のおばあちゃんの愛情あふれるプレゼントは誰もが予想外でした。段ボール箱以外にも、主人のコンピュータや和菓子があり、ご夫婦の荷物を上回るお届け物を前にして「何これ?」「ウソだろ?」と言っている厚司先生たちの様子を想像するに難くありません。厚司先生はマイアミで一泊するのに荷物を空港に預けられずホテルまで重たい目をして運んだそうで、「何でこんな目に?」と思ったに違いありません。

 とにかく、8月14日には飛行機が1時間ほど遅れたものの無事パナマに着き、ご夫婦と久しぶりに会うことができました。ご迷惑を掛けましたが、子供達も大喜びでした。

 

 厚司先生たちは大荷物に長旅の疲れも見せず、着いた途端に市内観光に出かけたり、早く目が覚めた日は一人で遠くまで散歩に出かけたり、パナマビエホの夏祭りに出かけたり、ポジェーラの踊りを見たり、セラミカの絵付けをしたり、夜中まで話し込んだりして、たった3日とは思えないほど盛りだくさんの日程をこなして8月17日にオーランドへと旅立ちました。

 帰り際に「や〜もう一度パナマに来たいな〜。」と口を滑らせたことは主人も私もしっ

かり聞いていました。これからまた主人が「2回目はいつ来るのか?」と手紙を書きそうです。

 また、同僚の方からビデオレターをいただき、主人は懐かしさより緊張で、しっかり正座してテレビに見入っていました。厚司先生が後日同僚の方たちにビデオレターの返事を見せたところ、主人が「7キロ痩せました。」とパナマでの苦労を強調しているのに、「全然痩せてないぞ!」と大爆笑になったそうで、それを聞いた主人は「変だな〜」と鏡を見ています。 

 

 

 パナマ運河は返って来ない?

 

 厚司先生ご夫妻とも見に行ったパナマ運河は、1999年12月31日を以てアメリカからパナマに返還されることになっています。

 

 <ラ・プレンサ紙により> 米軍は現在、運河地帯にある10カ所の基地に約7500人の兵士がいるが、これらの兵士は1977年に調印された『トリホス/カーター条約』に基づき、1999年12月31日正午をもって、全員撤退しなければならないことになっている。1997年10月には5000人を切ることになり、1万人の兵士がいた1994年度から現在までに30%減少している。この撤退に伴い、パナマは年間1億9500万ドルから3億7000万

 米軍の撤退で、国の収入が減るだけでなく、基地で働いていた労働者が職を失ったり、アメリカ軍がいたからこそ保たれていた『安心感』が無くなるからとマイアミ辺りに引き上げてしまう企業などもあるそうで、パナマ国内でも過半数の人が「米軍にいて欲しい。」と思っているそうです。こんな他力本願な考えでうまくパナマ運河を経営できるのかしら?と思うのは当然のことらしく、パナマの将来が心配です。

 

 NOTICIAS

 

7月9日(火)

   心理・侑理の8歳の誕生日でした。友達をたくさん呼んでパーティをしました。去年よりはケーキ作りもうまくなったと思います。

   この頃は自宅で誕生会を開かないで、『マクドナルド』『バーガーキング』『デイリークイーン』などのファーストフードのお店を借り切る方が増えています。

   さらに、ピエロを呼んで、ゲームをしてもらったり、手品を見せてもらったりすることもできます。その方がお金はかかっても楽なのですが、心理と侑理が、まずいケーキは嫌だと言うので、今年も大忙しの手作り料理になりました。

7月13日(土)

   PTA主催の土曜参観日がありました。主人の担任する一年生は『かさくらべ』  の授業です。この日のために何十本もジュースやらお酒やらを飲んで、空き瓶を確  保しました。パナマ日本人学校では教材を集めるにも一苦労です。2年生の心理・  侑理のクラスはわけの解らん授業でした。その後、親子清掃があり、学校の草取り  をしました。でも雑草は1週間でもとどおり。用務員のサンフルさんが草刈り機で  毎月刈っています。ちなみにこの日は、主人の誕生日でした。(忘れてました。ごめんなさい)

7月26日(金)

   1学期の終業式でした。

  夕方にはヤマハのリコーダーコンサートがありました。パナマで音楽鑑賞できる機会はめったに無いので、侑理、心理を連れて行きましたが、初めての人に指導するときに聴かせてくれるようなものでした。

7月28日(日)

   家族で『ツイスター』という映画を見に行きました。パナマは映画館がたくさんあり、アメリカとだいたい同時に上映されます。 大人$3、子供$1.50なのでたくさんの人が見に来ています。

   字幕がスペイン語なので今一つストーリーを理解できないのでイライラするのですが・・

8月4日(日)

  買い物でよく行くエルドラード地区で、こんな事件がありました。

 

<ラ・プレンサ紙より> リカルド通りを走行中、後ろから来たペレスさん運転の自動車に追突されたカリーヨ医師が口論の末10発以上の銃弾を撃ち込み、ペレスさんの3歳の娘を殺したほか、道を歩いていた2人が流れ弾で負傷した。

   パナマで車をぶつけたらどんなに渋滞を引き起こしても絶対に車を動かさず、警察の来るのを待つのが普通です。たぶん昔のことだとは思いますが、車に轢かれても運転手が貧乏だと一文も払ってもらえないし、反対に誰かを轢いても100$で何とかなるという噂も耳にします。運転マナーの悪いパナマですから、こちらが気を付けていてもいつ事故に遭うか分かりません。それでも車に銃を置いている人が多いので、口論にならないようにしようと思います。(口論するほどスペイン語はできないけどね)

8月9日(金)

 

<ラ・プレンサ紙より> 167個の包みに入ったコカインがビア・アルヘンティーナ通りのアパートで押収され、警察官1人を含む4人のパナマ人が逮捕された。

 

   どんどん麻薬が身近になっていく気がします。道端でホットドッグ屋が麻薬シールを売っていることがあります。

 

8月19日(月)

   2学期始業式。日本の半分しか無い短い夏休みが終わりました。

8月25日(日)

   夜、ディズニー映画『ノートルダムの鐘』を見に行きました。スペイン語吹き替  えでしたので、そのうち日本でビデオが出たらパナマに送ってください。