96年4月のようす
パナマで迎える二回目の4月です。去年の4月のことを思い浮かべると、あてなはまだ生後9カ月。パナマに着いてすぐに心理とあてなが高熱を出して病院通い。一週間も経たないうちに心理、侑理の入学式。バタバタの4月でした。
その時にお世話になった先生、奥様方は帰国し、私たちが新しい派遣教員の世話をする側になりました。一年前の私たちを思い出しながら、三分の二年目のスタートです。
雨季が来た
パナマには、12月~3月の乾季は『夏』で、4月~11月の雨季は『冬』という二つの季節があります。
4月26日(金)のこと。1時頃ににわかに空が暗くなり、「鍰ドカーン!グワラグワラ」と雷が鳴り、ものすごい雨になりました。これが、パナマの『雪起こし』ならぬ『雨起こし』。この日からパナマは雨季に入ったのでした。
たいてい昼の2時か3時になると、「これでもか~!」とどしゃどしゃ降り出す雨に「涼しいな~。」と感じますが、止んだとたんにサウナのような蒸し暑さ。これからカビとの戦いが始まります。
雨季になると道端でオレンジ色に熟したマンゴーを売り始めます。新潟のジャスコでマンゴーを1個298円で売っていたそうですがパナマでは、一袋に8~9個入って$1。そこらへんの木にもたくさんなっているのでわざわざ買わなくともいいのですが。
探検家が来た
日本から頂いたお手紙の中にパナマとコロンビアの国境を踏破した探検家のニュースがありました。実は、この方たち、私たちがおじいちゃん、おばあちゃんと釣竿を買いにホームセンターに行った時に「ハンモックはどこに売っているか知りませんか?」と聞いてきた方で「これからダリエンに行くんですよ。」と言っていたのでした。「あんな怖いところに麻薬でも取材に行くのかしらね。」と心配しつつ見送った人達でしたので記事を見て良かった良かったと思いました。
古ムーンペアのその後
3月17日(日)からパナマに来ていた古ムーンペア(私の父母)は、4月21日(日)までの35日間を病気一つせず元気に過ごしたのでありました。
この間、どんどんパナマの食べ物を食べ、パナマの名所を巡り、魚釣りに精を出しました。
「パナマの物は何を食べても美味しいわ。」と言っていましたが、私の思うには朝から晩まであちこち出掛けたり、プールに入ったり、孫の世話をしたりで、お腹ペコペコだったために美味しく感じたのではないのでしょうか。
評判の良かった食べ物は何と言っても新鮮なフルーツ。
「ひと夏分のスイカを食べて行こう。」「特にメロンは日本で買うと高いから。」などと言いつつ毎日のように様々なフルーツを食べていました。
メイドのマルタが「よっしゃ~!パナマの料理を食べさせたげるわよ。」と腕によりをかけて作ってくれた料理もたくさんありましたが、「アロス コン ピーニャ」(パイナップルご飯のジュース)は恐ろしくてなかなか飲めません。
ひとこと: お腹が空けば何でも美味しい。
大物は釣れたか?
私の父がパナマに来た目的の一つは『大物を釣る』ことでした。魚釣りに行った回数は10回近くに及び、釣竿や餌に投資した金額もかなりの額になりました。
さて、その結果は・・・・真っ黒になりました。とにかくいかにも「パナマに行って来たぞ。」と自慢できる黒さになりました。
釣れた魚は全部で13匹。きれいな縞模様のフエフキ鯛やハリセンボンやカワハギなどで、大きさは20cm位の物が多かったようです。それにしても日本では『釣の師匠』だった父もパナマの魚にはあなどられてしまい「パナマの魚の方が頭がいいのか?」とショックを隠せないようでした。でも、考えて見たらピクニック気分で真っ昼間に釣り糸を垂れたって、釣れないだろうな~。
ひとこと: 魚を釣るなら早起きすべし。
これがパナマだ
滞在日数が30日を越えたため、ビザを延長するために、父母はイミグレーション(移民局)に行かねばならなくなりました。私も含めて3人で初めてのパナマのお役所仕事を経験することになったのでした。
朝8時半に家を出た私たちは、旅行社のスタッフ2人に連れられてセントロ地区の役場へ行くと、「ここじゃない。」と言われて正反対のエルドラド地区までドライブです。
エルドラド地区で書類をもらって、「やっと終わった。」と思ったら、またセントロ地区に逆戻り。移民局の中はものすごい人人人…。
書類を提出するのに何時間も待ったのに、いざ私たちの番になったら「写真がないとだめ。」と言われてしまいました。近くの写真館に行って見るとお店の人が来ておらず「今家にいるから電話で呼ぶわ。」といつになるか分からないようなことを言うので、クラクラです。結局遠くの写真館まで撮りに行き、写真を持って移民局に戻った時にはもうお昼。事務員がランチタイムのため1時間経っても2時間経っても呼ばれません。 ダラダラ、ノロノロが許せない100%日本人の父母はイライラ、ウロウロしていますがこれがパナマです。
とうとう、スタッフが裏で偉そうな人に何やらごちゃごちゃ言ってやっとパスポートにハンコを一つ押してもらって終わりました。家に着いたのは午後3時。ハンコ一つに6時間半かかりました。
後で聞いた話では、「賄賂を使えばすぐ終わるのに。」ということでした。これがパナマです。
ひとこと:旅行するなら30日以内にすべし。
家族の様子
主人
主人は教師生活14年目にして初めての1年生担任をすることになりました。初心に返って『教育技術』という、新採用教員の愛読書を日本から取り寄せて研究に余念がありません。1年生は女子1人、男子4人のたった5人のクラスですが、毎日が実に刺激的のようです。
「一年生ってあいうえおが読めないのが普通だっけ?」
「パナマの幼稚園って何語で話してるんだ?」
「ビデオのお話しを見てるのになんで5分と持たないんだろう?」
と幼稚園でひらがなカタカナまで教えている日本の常識を覆されているようです。
けれども去年、日本の幼稚園を経験していた心理、侑理が良い子にしていたのは入学したてのほんの最初だけだったので、
「一年生は手がかかるものなの!」
と、胸を張って?断言している私です。
心理と侑理
心理と侑理は2年生。男の子5人、女の子3人の合計8人のスタートです。みんなで遊ばないとゲームにならないらしく、男女仲良く遊んでいます。担任の先生は神奈川県出身の44歳の女性の先生です。
パナマには学習塾が無いので「毎日宿題を出してほしいわ。」という親が多いのですが、新しい先生が宿題を出した時には2年生中でパニックが起きました。1年生の時、宿題は毎日プリント一枚と決まっていたので、それ以外の宿題のやり方を子供も親も知らなかったのです。
我が家では、
「今日の宿題は?」(一応チェックする母。)
「もう終わった。」(実は何もやっていない二人。)
「あ、そう。」 (まあ、忘れたら怒られればいいんだと思う母。)
で終わったのですが、他のお宅では、
「今日の宿題は一体何なのかしら?連絡帳を見ても漢字が書いてあるだけだし・・・」という不安と疑問で一杯になり、それぞれがあちこちの家に電話を掛けまくる状態になりました。子供全員の話をまとめてようやく宿題の内容が分かりパニックは収まったのですが、我が家に連絡が来たのは心理、侑理が寝る時刻。
「もう寝ていいわ。」と無責任な母が宿題を放棄したところ、翌日にテストがあって結果は無残でした。
あてな
あてなは、4月で1歳10カ月。一日中家にいることが多いので、友達作りのために幼稚園に通わせることにしました。
歩いて5分ほどの幼稚園ですが一応バスで通います。朝8時半にバスが迎えに来てドアが開いたとたん、すごく太ったバスの先生が「アテ~ナ~。」と言いながらわしっ!とあてなを掴んであっと言う間にバスに乗せて連れて行ってしまいます。
11時半には帰って来ますが、幼稚園に通っている子の中で一番小さいので随分疲れるらしく、帰って来るとシャワーを浴びてジュースを飲んでぐっすりお昼寝です。
「一体どんな事して遊んでるのかな?」とあてなが寝坊をした日に幼稚園まで送るついでに見学して来ようと思いましたが、入り口の所であの太った先生が「アテ~ナ~。」
と言って、わしっ!とあてなを掴むなり、「じゃ!」とドアを閉めてしまいました。 この頃あてなが幼稚園で覚えて来たことを披露するたび「どんな事してるのか見てみた~い。」と思うのであります。
ちなみに、料金は入学金が120$、毎月の授業料が80$とバス代15$です。
富美子
一年間運動らしいことを何もせずに過ごした私は友達に誘われてスポーツクラブのヨガ教室に行ってみました。インストラクタ-は去年主人が担任したお子さんのお母様です。
柔軟体操をすると「錆び付いてるわね~。」とぐいぐい押されたり引っ張られたりします。「痛い~っ!」と思っても日本人はじっと我慢するのに対し、パナマ人は「ウォ~ッ
!」とか「グエ~ッ」とか思い切り声を出すのでつい笑ってしまいます。おまけにからだの硬さは驚くほどで「若いのにまあ。」と思ってしまいます。
ヨガのポーズの中で、『カベッサ』といって頭を着いた逆立ちがあるのですが、男の人でも逆立ちできる人が一人もいないのも驚きです。聞いてみると、鉄棒の逆上がりができるパナマ人、泳げるパナマ人もあまりいないそうで、日本の体育のようにいろいろな技術を学校で教えないからでしょう。パナマでは学校から帰ってから個人でバレエ教室や体操教室に習いに行くのが普通のようです。
新しい先生たち
4月に着任した先生方6人はどんな方たちでしょう。学校便りから抜粋して紹介します。
(略)
NOTICIAS
4月1日(月)~4日(木)
2年目の先生のアメリカに旅行中、主人は毎日日直で出勤です。一人で平成8年度 の教育計画を印刷・製本をしたり、学校の大掃除をしたり。家でもそのくらい働いてほしいと思う妻でした。
4月5日(金)
セマナサンタの三連休だったので、おじいちゃんが楽しみにしていたタボガ島に魚釣りに行こうとしましたが、すごい混雑で船に乗れませんでした。仕方なくアマドールへ行ってサイクリングを楽しみました。その後、流れるプールやウォータースライダーのあるプールに行って泳ぎました。陽気なパナマ人でもおじいちゃん、おばあちゃんのように60歳を過ぎてサイクリングしたり、ウォータースライダーに挑戦している人はいないと思います。
4月7日(日)
教頭先生を除く新派遣者5人が到着しました。
4月8日(月)
今週は3人の新派遣者の「お世話係」です。朝から生活用品の買い出しに行きました。買った物は、枕、ベッドカバー、電子レンジ、コーヒーメーカー、オーブントースター、ほうき、モップ、食器、食料品・・・一年前の私たちを思い出します。気前よくあれこれ買って、すぐに貧乏になってしまったのでした。
4月12日(金)
着任式・転入生を迎える会・始業式・入学式でした。日本より二週間長い春休みが 終わりました。
4月14日(日)
やっとタボガ島に行くことができました。海はとてもきれいで泳いだり、日光浴したりで真っ黒になった後、釣りを始めました。全部で11匹釣れ、おじいちゃんもちょっと満足したようです。
4月15日(月)
心理・侑理は今日から普通授業です。
おじいちゃん・おばあちゃんとビザ延長のためイミグレーションに行きました。
4月20日(土)
PTA総会がありました。前年度の報告の後にPTA役員選挙がありました。
あまりに人数が減ってしまったために、私は地滑り式に二年生の学年委員になってしまいました。
4月21日(日)
夕方の飛行機でおじいちゃん・おばあちゃんが帰国しました。心理、侑理は寂しがって手紙を書いています。読んでみると「ミニ4駆送って。」と書いてありました。あてなはが次の日、「じーたん いない。」「ばーたん いない。」と家中を探していました。
4月22日(月)
大使館からの情報で、中東情勢の影響を受け、パナマのユダヤ人大使館・ユダヤ人学校に爆破予告があったと連絡が入りました。ユダヤ人のスーパーなどにも近寄らないようにしなければなりません。また、コロンビアの麻薬密輸組織『カリカルテル』のボスがパナマの空港で逮捕されたことに対してパナマ政府に報復すると連絡があったそうです。おじいちゃん・おばあちゃんは昨日帰れて良かったです。
スペイン語
友人からの手紙に、「スペイン語は上達しましたか?」と書かれていて、ギクッとしてしまいました。この三年、スペイン語を頑張るぞ!と意気込んでパナマに来ましたが、
なかなか上達しないものです。というのは、付き合う人が日本人ばかりで、パナマ人と話す機会が非常に少ないということです。また日本人は皆そう言うのですが、文法の間違いが気なって話せないということも一つの理由です。
スペイン語には男性名詞、女性名詞があって、形容詞には4つの活用があります。
動詞はなんと37通りの活用がありそれを覚えるのはとても無理とさじをなげてしまっている私です。
主人はモンテネグロ先生に習っています。
モンテネグロ先生は日本語を話さないので英語でスペイン語を教えます。
宿題とテストを繰り返すので、前の日は予習で忙しく、予習のできなかった日は、頭がいたくなったり言い訳を考えたりしているのではないでしょうか。