96年3月のようす   


 

 3月も「暑い!。」としか言いようがありません。しかし、日本で「桜三月」と言うように、パナマでも桜に似た美しい花があちこちで咲き始めます。日本人は勝手に「パナマ桜」と呼んでいますが、散りどきは大きな花がボトボト落ちるので、桜の花びらがはらはらと舞う散り方を愛する日本人の感覚からちょっとずれてしまう気がします。

 他にも黄色い藤の花、ねむの木なども満開です。この時期は蘭も花どきで、去年の4月に買った蘭がベランダで花を咲かせています。

 

  はるばる来たぞ、5人組

 

 3月17日(日)、パナマに到着したのは、主人の母、姉、姪の三世代トリオと、私の父母の古(フル)ムーンペアの5人です。全員の年を合わせると、なんと258 才というドキドキの5人組なのでした。

 何がドキドキかというと、成田空港からロサンゼルスで1泊、翌日パナマ行きの飛行機に乗り継ぐことになっているのですが、「わたしら、海外旅行なんて慣れっこだもんね。」という5人も添乗員や現地ガイドがつかない海外旅行は初めて。空港での搭乗手続きも初めて。パナマの空港に着けばスペイン語も初めて。パナマから送った航空券だけを握りしめて旅立ったのでありました。いや、航空券だけというとチョット語弊がありまして、あれこれ頼んだおみやげだけでも段ボール箱に5箱分のすごい荷物。

 おみやげのほとんどが日本食なので空港の税関で没収されるか、ワイロを要求されるかとドキドキでしたが、合計258 才の5人組が麻薬を隠してるはずもなく、全く怪しまれずに通過。

 足の悪い主人の母も長旅に耐えられるかとドキドキでしたが、車椅子に乗ってゆうゆうと飛行機に最優先で乗せてもらったということです。

 ロサンゼルスの空港でホテルに行くまでに迷子にならないかとドキドキでしたが、親切なアメリカ人が、バス乗り場まで案内してくれたそうです。

 

 

  チップ

 

 ロサンゼルスに着いた日はタクシーで半日観光するなど、「ロスもなかなかいいじゃん。」などと余裕を見せた5人でしたが、すっかり忘れていたのが『チップ』。特にアメリカはチップの高い国で、荷物を持ってもらえば荷物1個に付き1$。ホテルに泊まればベッド1つに付き1〜2$、タクシーに乗った時は20%程度のチップが必要です。例えばタクシーのメーターが30$の時は、35$くらい払わなくてはなりません。

 タクシー料金をメーターきっかりに払った5人の日本人に、運転手さんはニコニコしながらもチョッピリ さみしく思っていたかも知れません。

 ホテルでも、古ムーンペアはチップのことなどすっかり忘れてチェックアウト。「わたしらちゃんとチップを置いてきたもんね。」という三世代トリオはベッドサイドに25¢玉を3個だけ置いてきたのでした。ベッドメイキングのおばさんが「何これ?」と言っている姿が目に浮かびます。すっかり忘れるのと、超安いチップの時のどちらがイライラだったでしょう。

 色々とドキドキがあって「ほんとにパナマに来れるのかな〜?」と心配しましたが、みんな元気一杯でパナマのトクメン空港へ降り立ったのでした。

 主人と運転手のアレックスさんがトクメン空港まで迎えに行っている間、心理と侑理は、家で今か今かと待っておりました。

 そして、飛行機が1時間遅れて夜7時に我が家に到着。1年ぶりに見る5人の顔はみんな真っ白! 私たち家族の顔はみんな真っ黒! 「白いわねー。」「黒いわねー。」と言い合ったのでした。

 

 パナマと日本は地球の反対側。時差が14時間もあります。日本の方が東にありますので、日本が朝7時に「おはよう。」と言っている時、パナマでは、まだ前の日の夕方5時で「こんばんは。」と言っているわけです。

 5人は、成田を発った日から『時差ボケ』との戦いが始まったのでした。「飛行機のなかでいっぱい寝たから時差ボケなんてしないわよ。」と平気だったのは一日目だけ。午後になるとグーグー。朝は暗いうちから目が覚めてしまうのでした。

 三世代トリオはたった6日の滞在でしたので、時差ボケが直らないうちに帰ってしまっ

たのではないでしょうか。

 

 

 滞在した6日のほとんどはおみやげを買うために費やされてしまいましたが、パナマ運河を大きなタンカーが通過する様子を見ることもできましたし、ジャングルの公園でトンボを捕ったり、木の実を拾ったりしてのんびり過ごした日もありました。

 買い物では、化粧品が安いそうで、「エスティーローダー のナントカと言う化粧品が半額以下だわ!」とか、「このクリームは日本ではまだ発売されていないわ!」などと言いつつあれこれ買っていたようです。

 また、パナマのおみやげと言えば『モラ』『パナマ帽』『セラミカ』などの民芸品ですが、果して日本の人達が貰って喜ぶのか?と心配です。他にはTシャツくらいでパナマにはおみやげになる物がなかなか見つかりません。

 ただ、中南米の香港と言われるパナマですから、いろいろな国のものが手に入ります。

パナマ製にこだわらず「ハワイで買い物よ。」という感覚であれば、おみやげも買いやすいようです。 

 あれこれ買い物をしたり、観光をしたりして、22日(金)に三世代トリオは慌ただしく帰国しました。

 パナマに来るのはきっと最初で最後でしょうが、地球の裏側まで来てくださった勇気と忍耐力に感謝!です。ぜひ、機会があれば、もう一度遊びに来てほしいと思っているのですが。

 

 三世代トリオが日本に帰ったあと、パナマに残った古ムーンペアはどうしているでしょ

うか。「私らパナマに1ヵ月以上いるんだもん、慌てるこたーないね。」とのんびり毎日を過ごしています。

 パナマを発つのは4月21日(日)ですから35日間の滞在です。といっても主人は春休みは仕事が山ほどあり、なかなか遠出はできません。土日を利用して魚釣りに行ったり、

プールへ行ったりの小旅行を楽しんでいます。

 

 

  八百屋さん  

 今回、パナマに持って来てもらった物の中に、『こんにゃく粉』がありました。これは手作りこんにゃくの素で、校長夫人に「持ってきてもらうといいわヨ。」と言われたのでした。それで皆さんにもあげようと「そんじゃ、10箱頼むわ。」と気軽に言ったところ1箱1000円!。「こんにゃくが10箱で1万円とは!」と、あまりに高いのでショックを受けましたが、さらにショックだったのは、中国人の八百屋にちゃんと売っていたことです。校長夫人いわく「売ってるんだったら、こんにゃくはもう作らなくていいわね〜。」の一言。1万円のこんにゃくは、全て我が家で作って大事に食べるしかありません。

 

 私たちがパナマに来たばかりの頃は日本からあれこれと送ってもらったり、あちこち探し回ったりしましたが、今ではずいぶん物が豊富になりました。

 納豆、ごぼう、しその葉、うなぎの蒲焼、銀だら、さばの味噌漬け、竹輪やかまぼこいか、鯛の刺し身、たらのこ、明太子、いくらなど、今まで手に入らなかった物が買えるようになりました。値段は日本の3倍くらいで高めですが、けっこうよく売れているようです。八百屋のご主人は商売上手で、日本人の希望を聞きながら品物を入れてくれるらしく、どんどん日本と変わらない生活ができるようになってきました。

 主人は「チョコポッキーを仕入れてくれ。」などとお願いしていますが、まだ聞き入れてもらえません。

 

 

  パン焼き機

 

 3月2日(土)にパン焼き機を買いました。いつも食べていたおいしいパン屋さんがつぶれてしまったからです。そのパン屋さんは日本人には人気があったのですが、菓子パン1個1$とパナマにしてはべらぼうに高かったのがつぶれた原因かもしれません。パナマでは5人分はある大きなフランスパンでさえ35¢しかしないからです。

 さてパン焼き機を買った日のこと。早速試しに焼いてみることにしました。材料を入れてスイッチを押すと、「グイ〜ン、グイ〜ン」と機械が動き始めます。「おっ!動いたぞ。」とのぞいてみると、粉をこねています。「ボンッ!」という音がしたのでのぞいてみるとイースト菌を混ぜたところでした。「なんだ、なんだ。」「どうした、どうした。」と4時間に渡って主人と私はパン焼き機の仕事をふたを開けてはのぞいていたのでした。そしていよいよブザーが鳴り、期待に胸をふくらませて見てみると、パンは半分もふくらんでいないのでした。    

 「あれ〜、どうしてふくらまないの〜?」と説明書を見てみると、『ふくらまない原因』の所に『途中でふたを開けた。』と書いてありました。

 

 

  電気を止められた

 

 3月25日(月)のこと。買い物から帰ると、アパートの管理人が私を呼ぶので行ってみると、電気のメーターに黄色い鍵がかかっていました。

 「何これ?」と言うと、管理人は「早くお金を払ったほうがいい。」と言うのです。そういえば思い当たることが...。あれは確か1ヵ月ほど前のこと。電気料の請求書に2月の電気料と払ったはずの1月の電気料の2ヵ月分が請求されていたので、変だと思って支払いしないでいたのでした。パナマは電話も電気もつくまでに何ヵ月もかかるのに、止めるときは予告も無しに突然だと聞いていたのを実証してしまいました。

 しかし、この暑いのに電気を止められたら冷蔵庫、洗濯機、クーラー無しではやっていけません。主人は慌てて電気会社に支払いに行きました。パナマ人の事だから2〜3日は待つかも...と青くなりましたが、その日の夕方には復旧しました。

 電気料金や、電話料金の請求間違いはパナマでは当たり前。以前、我が家の電話料金が他の人と入れ替わったらしく、180 $ほど得をしたこともありました。

 

 

    NOTICIAS  

 

3月1日(金)

  シーザーパークホテルで帰国する先生方6人の送別会を開きました。家族も全員出 席です。帰国する先生方は日本語とスペイン語で挨拶をしました。長〜い挨拶だけで 1時間を大幅に越えてしまい、心理・侑理はぐっすり寝込んでしまいました。

3月3日(日)

  またシーザーパークホテルでP TA主催の送別会がありました。 今回は挨拶も短めで助かりました。

 帰ってから、ひな祭りだったこと を思い出して、ひな人形を出して 記念写真だけは撮りました。

3月9日(土)

   今年度最後の日本人会対現地 のチームの試合がありました。2 対1で勝ちましたが決勝点は相手 の自殺点でした。未だに自力で勝っ

 たことがありません。 

3月15日(金)

  日本人学校の卒業式でした。中学部3年生はいないので、小学部6年生3人だけの 卒業式でした。なお、卒業した3人は新学期から同じ学校の中学部の部屋に変わるだ けです。

3月16日(土)

  修了式、転出児童生徒を送る会、離任式がありました。日本より1週間早い春休み になります。

3月17日(日) 

  日本から主人の母、姉、姪、私の両親の5人がパナマに来ました。

3月18日(月)

  主人の姉、姪と私と3年次の大滝先生と一緒にコロンのフリーゾーンに買い物に行 きました。コロンは税金が掛からないため品物を安く買えるのですが、口紅は1ダース以上とか、300 $以上買わなくてはだめとか、面倒くさいのでした。

 

3月19日(火)

  TINAJASというパナマ料理のレストランに夕食を食べに行きました。パナマ の民族舞踊『ポジェーラ』を見ました。

3月20日(水)

  3年次先生方が帰国しました。

3月21日(木)

  レンタカーを借りて、パナマの名所巡り をしました。

3月22日(金)

  午前中、パナマから50km離れたところにあるつり堀に行きました。

  夜7時の飛行機で主人の母、姉、姪の3人は帰国しました

3月24日(日)

  イスラ.グランデというカリブ海側の島へ行きました。私とあてなは留守番です。 1時間10$で釣り舟を雇って魚釣りをしましたが、釣れたのは小さな熱帯魚が2匹だ け。大きなウニをいくつも採りましたが、殻を割ってみると中身が無くてがっかり。  それでも白い砂に透明なカリブ海、珊瑚礁と熱帯魚を見て満足した1日だったよう です。帰ってから、真っ赤な日焼けでピリピリ、ヒリヒリに苦しんでいました。

3月29日(金)〜30日(土)

  コロナドのリゾートホテルに行きました。 部屋は一階に2部屋、螺旋階段を上ってもう 1部屋の3部屋もあり、トイレとお風呂が2 か所と広いベランダもありました。大きいベッドが5台もあって悠々7人泊まれます。

   ホテルに着くと、子供たちを母に預けて、

  主人と父と私はゴルフのコースに出ました。

  私は初めてゴルフコースです。他にコースに出ている人がいなかったので落ちついて  プレイできましたが、普通1〜9ホールを2時間ほどでまわるところを、5時間以上  もかかってしまいました。

   結果は主人(いいたくない)、3年ぶりの父(62)、私(86)でした。主人いわく、「初めてにしちゃあ、まあまあだな。」だそうです。

 

 それにしても1人10$でゴルフができるのはいいことです。スコアがひどくても、がっかりしません。

   一方、テニス、プール、ジャグジーバス、プライベートビーチなどで心理、侑理、

  あてなはますます真っ黒になりました。子守りをしていた母も真っ黒になり「パナ  マ人になってきたわ。」と言っています。帰るまでにまだまだ黒くなりそうです。

3月31日(日)

  新しい教頭先生が赴任しました。

 いよいよ私たちも2年次です。