Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第715夜

裁判と方言



 今回もニュース。
 前々回の、外国語訛りの英語では内容の信憑性が低く感じられる、という実験に関する文章を書いたときに、検索の網に引っかかったもので、裁判と方言について。
 多分、前から問題になることは多かったんだと思うんだが、例の「裁判員裁判」の制度で話題になることが多いようである。

 一つは、方言に絡んだ誤解。
 栃木で起こった強盗事件。被害者が「ぶっ殺す」と言われた、と証言したのだが、加害者である被告の方は「『ぶっくらす (ぶん殴る)』と言ったのだ」と証言している。
 音としては些細な違いかもしれないが、この一言で殺意があったかどうかが違ってくるので、量刑には大きな影響が出るだろうというのは想像に難くない。
 結局、この主張は退けられたらしい。そう言ったのは、殴った後のことで不自然だ、という裁判員の意見があったそうである。
 別の裁判員が「方言を論点に使われるのは、バカにされている気がして不愉快だった」と言っているにはちょっと注目。文脈がよくわからないのであれなのだが、被告が方言を隠れ蓑に逃げようとしている、と感じた、ということだろうか。

 ちょっと毛色は違うが、伊佐千尋という人が書いたノンフィクションで『逆転』というのがあるそうだ。1964 年の沖縄で、米兵二人が死傷する事件があったが、当時の沖縄は復帰前、若者 4 人を被告とする陪審員裁判が行われた。
 そこで、被告達が「くるせ」と言ったという目撃者証言があったのだが、これが「殺せ」とされて“kill”と訳された。しかしこれは、子どもも使うような日常語で、「こらしめる」という程度の意味しかない、ということを伊佐氏が主張した、という話。
 今でも、刑事事件ではこの辺りが問題になったりするらしい。

 もう一つは、「音声認識システム」。
 これは、法廷での証言をその場で文字化して映像とリンクさせ、裁判員が内容を素早く確認できるようにするもの。これがどうやら方言にうまく対応できていないらしい。さもありなん、って気はするけどな。
 で、面白いのは各新聞の書き方。
 神戸新聞は、最高裁の、裁判は普通、標準語で進められるので問題はない、という意見を紹介した後、ただし関西では被告や原告、証人は勿論、裁判官、検察官、弁護士も関西弁を使うことが多いので、よく使われる表現を辞書に登録する対応を進めている、としている。なおこれは、2008 年 4 月の記事。
 
共同通信は、それから一年経った 2009 年 5 月の記事で、青森地裁に導入されたシステムが「じぇんこ (金)」を認識できなかった、という例を報じているが、この「じぇんこ」について「津軽弁の難解な方言」と断言している。システムにとっては「難解」かもしれないが、日常語だぞ。
 ガジェットともなると、「『すす(煤)』『筒』『父』は、秋田弁の場合は非常によく似た発音になる」と、先週、取り上げたスポーツ報知の「あぎだ弁」とにたりよったりのことを書いている。

 裁判員制度では、その「他所の人」が問題になる。誰が裁判員になるかわからないわけだから、こないだ転勤してきたばっかり人ってこともあるかもしれない。当地の方言なんか解らない、ってことがあるかもしれないのだ。そうすると、上の方で書いた沖縄の「くるせ」みたいなことが起こりかねない。
 一方、MSN の産経では、2009 年 1 月に、その前年にやった模擬裁判で、裁判員同士が方言で話をしたところ議論が活発になった、というようなことを書いている。まぁ、両刃の剣ってことね。
 四国新聞のコラムは同じような意見らしく、方言をまじえることで「場の空気を和らげ議論を深めるのを助ける方言は、この制度で大いに役立つ」している。
 当然、転勤者 (裁判官も含む) への配慮も必要になる。このコラムのユニークなところは、「幸い讃岐弁は、沖縄や青森ほど難解ではない」と明言していること。何を根拠に?

 今回の文章をまとめてみて、音声認識システムは最近のテクノロジーだからおくとしても、人間同士の揉め事も方言や言語の違いによるトラブルも大昔からあったことなのに、それを解決する方法を未だに見つけられていないってことに暗澹とした気分になってしまった。




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