引き続き、方言が県境を越えるのはどういうときか、ということを考えてみようと思う。
ここでいう「県境越え」は、年に 1km という自然な伝播を含まない。
また、文字通りの「県境」ではない。本来、使われていなかった地域に広まっていく、ということを指す。
急に話が変わるけど、「県境」だよな。「都境」「府境」とは言わない。「道境」は海だからそういう単語がない、というのもわかるけど。でも、境界線そのものはあるはずだ。
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まぁ、「都境」は同時に「県境」でもあるわけだが、大阪府と京都府が接してる部分はまぎれもなく「府境」だと思う。あるいは、「都道府」は「県」の下位概念か。
さらにそれると、「都道府県」が「都道府県」という並びになったのはどういう経緯なんだろう。
いや、ちょっと「士農工商」っぽい空気を感じちゃったもんで。
まずは、数年前の「かわいい方言」ブーム。
各地の方言、混ざりまくりで、県境も道境も府境も一気に取り払った感じ。
これは、意味の上澄みを取って、ニュアンスは落とした使い方。
フックになったのは、エキゾチシズムというよりは、当人達にとっての新しさと、「かわいさ」、こっちはおそらく「音」であろう。『
ちかっぱめんこい方言練習帳』という本の「
ちかっぱ」がまさにそれ。「
なまら」「
めんこい」あたりもそれで好まれたのに違いない。
俗語表現や方言では、ネガティブな意味を持つ語が豊富だ、ということを何度が書いたが、「
うだで」とかはどうだったんだろうね。音が可愛くないし、意味が「うざい」と大分、かぶってるから微妙なところか。
可愛い音、というのも定義の難しい表現だ。「美しい日本語」と同じくらい難しい。
「萌え」系アニメの登場人物なんかの名前、若いアイドルの芸名なんかを見てると、母音のみのア行を別にすれば、五十音の後半の音、ナ行からワ行が好まれるようである。「ゆいな」とか「まゆら」とか。特撮オタクの感想としては「ラ」で終わる名前は怪獣のものなのだが、そういう名前の人がいたらごめん。
濁音は、大雑把には汚い音ということになるだろうが、「ピグモン」あたりはそう汚くは聞こえないと思う。「グ」が鼻濁音になってるからだと思うがどうか。
カ行は破裂音だが、「けいこ」のニックネームで「けこ」あたりを想像してみると、決して汚くも威勢良くも聞こえないと思う。サ行+濁音+カ行という構成の「しずか」とかどう?
まぁ、主観的なものを定義しようと思うのが間違ってるわけよね。
音と印象については色々と研究されているが、いつか紹介しかけた『
怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』はどうやらトンデモ本だったらしい。買わなくてよかった。
それにしても彼女達は (女の子と決めてかかっているが) その方言語彙をどうやって集めたんだろうね。やっぱりググったのかしらん。図書館で『
言語』とか『
日本語学』のバックナンバーをあさったとも思えないし。
「踊る大走査線」のシリーズで柳葉敏郎がポロっとこぼす秋田弁は格好のネタだったと聞くが。そういや、「なまり亭」とかいうのもあったね。
次の伝播のきっかけが、ある体系における欠落を埋めたとき。
「うざい」なんかがまさにそうかな。接触したくないような不快感を表現するにはピッタリの単語だったわけだ。
ちょっと違うが、「
みるい」なんてのもこれに分類していいのではないだろうか。
茶の産地で使われていた言葉が、茶が工業製品として成立するさい、その用語の中に入り込んだ、ということだと思うんだが。
「欠落」というのとはちょっと違うか。
モノと一緒に伝わることも多い。
ちょっと
前に「あきたを入れる」というのを紹介したが、この場合は、モノじゃなくて人か。
この辺まで来ると、1km/年という今までのものと同じごく自然な伝播で、ただそれがたまたま昔よりはものすごく速い、というだけのことなのかもしれない。
ただし、伝播に伴って意味の変化を伴うことも多い。
「
まったり」という好例がある。
自分で使わないせいだと思うんだが、俺にとってはまだ「
まったり」は料理の評価の言葉である。何もしないでいる、という無為な状態を指す単語としては落ちてきていない。言われればわかるけれども。
「
ほっこり」はどうだろう。全国に広まるのと、「疲れが取れる」という意味になったのとどっちが先だったんだろうか。
「腕 (かいな) だるい」から変化した「
かったるい」は、「疲れた」と「億劫」を同時に意味する言葉として借用された、という経緯が本当であれば、そもそもの基点が「変化」だった、ということになる。
というようなわけで、方言の他地域への旅立ちは、なかなかに厳しいもののようである。
実生活と地域特性、気候などなどとしっかり結びついたものをはがすのに近いわけだから、やむをえないところなのではないだろうか。
やはり、方言の復興は地固めにある、ということになるんじゃないかな。