Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第488夜

寝る唄



 前にも書いたような気がするが、あんまり寝つきのいいほうではない。
 疲れてたり、前日にあんまり眠れなくて (夜更かししてた、というの、も含め) 眠くなってしかるべき状態でも、いつまでも眠れずにいることがある。そういうときに限って、やっと眠ったと思ったら二時間おきに目が覚めて、時計を見てがっくりきたりする。
 というわけで、寝かせる話。

 いつまでも寝ないでいると化け物が来るぞ、というのはどうやら全国に広がる話らしい。
 で、これを調べては見たのだが、なかなかヒットせず。
 かろうじて「ごんごち」が見つかる。中国とか九州とか。正体不明。まぁ、化け物だから正体が判明しているはずは無いのだがな。
 秋田あたりでは「もんこ」が来たりするのだが、「もんこ」が何か、というのも不明。

もんこ」で連想されるわけのわからないもの、というと、「ももんがぁ」がある。
 モモンガという動物がいるのは知っている。だが、それがなぜ化け物なのかは、これまた不明。大辞林によれば、
(2)着物を頭から被りひじを張ってモモンガのまねをし、子供などをおどかす言葉。ももんじい。
(3)化け物。特に毛の生えた化け物。
(4)人をののしっていう語。畜生。
 (2) はわかるし、そこから派生したんであろう (3) もわかる。だが、(4) への移行がよくわからん。もうちょっと進めて、
【ももんじい屋】
獣肉、主としてイノシシ・シカの肉を売った人。また、その店。
 となると、もっとわけのわからんことになる。
 ただ、モモンガについては、夜行性という記述があって、そこが化け物と結びついたのかな、という気もしないことはない。
 でも、モモンガってそんなに身近な動物だったんだろうか。
 それに、それと肉食が結びつく背景もまだつながってない。

 子供を寝かしつけたい、という話を検索すると、「もんこ」よりも「サンタ」の方が数多くヒットする。これはよーくわかる。

 しょうがないので子守唄に移ろう。
言語』誌が今年から、「子守唄の風土記」という記事を連載している。
 我々が「子守唄」と読んでしまう歌は、実は三種類に分類される。「寝させ唄」「遊ばせ唄」「守り子唄」である。
 最後の奴は、子守をしている人 (多くの場合に少女) が自分自身のために歌う唄である。「おどま盆ぎり」の「五木の子守唄」が該当する (赤坂 憲雄の『子守り唄の誕生』)。
『言語』での連載は 4 回まで進んだが、「与一」という名前が何度か出てくる。どうやら、那須与一のことらしい。弓の名手は、子育てにおけるある種の理想だったんだろうか。大阪の子守唄では、「天満の市」というフレーズが出てくるが、ちょっと地域がずれると、これも「与一」になる。
 印象的だったのは、第 3 回の原荘介氏の文章。
 中国地方の「ねんねこしゃっしゃりまーせ」は「寝た子の可愛いさ」に続いて、寝ない子が憎たらしいと続く。寝ないと化け物が来るぞ、という脅しと考え合わせると、この世界、なかなかに可愛いだけでは済まないところがあるのだが、原氏が紹介する沼津の子守唄は、空の星、海岸の砂粒、千本松原の松葉の数よりもっと可愛い、と褒めまくっている。
 ここまでで気づいたのは、一応、全国各地の歌を集めてはいるのだが、はっきりと方言色の感じられる唄があんまりない、ということ。唄だからか?

 ご幼少のみぎり、「浪曲子守唄」を歌ったことがある、という記憶がある。「ことがある」というレベルではなく、好んで歌っていたような気がする。友達の前で、という程度のものだが、おそらく冒頭の「にーげぇたぁ」の部分の、一節太郎のダミ声が印象に残っていたのだろう。
 ちょっとググったら、歌詞を載せたページが見つかったのだが、これ、二番以降はちょっと放送しにくそうだなぁ。

 童謡の「赤とんぼ」で、「十五で姉やは嫁に行き」という歌詞がある。
 この「姉や」は、実姉ではなく、女中もしくは子守である。それが結婚していったわけだ。だから「お里の便りも絶え果て」るのである。家族なら、いくらなんでもそこまで疎遠になるはずは無い――と信じていたのだが、そういう記述がウェブに見つからない。ウェブを盲信する気はないのだが、ちょっと弱気になった。
 だが、姉のことを「ねえや」とは言わないはずである。
 なので、その前提でエンディングになだれ込むが、子守唄はどうも怖い。
 化け物が来るぞ、というのは、寝ない子に対する苛立ちであると同時に教育でもあろうが、子守唄の歌詞を解読していくと、時として人身売買やら間引きやらにつながったりするのだ。今回の文章がちょっと及び腰なのは、それもある。興味のある人は調べて見てください。

 最後に、とってつけたような方言の話。
「赤とんぼ」の歌が、「カトンボ」というメロディになってて、今の「カトンボ」というアクセントと合わないが、当時の東京地方では「カトンボ」だったのである。




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