Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第362夜

地震



 今年は地震が話題になっている。宮城沖で何度か起こっているが、これが秋田に来ると、横にゆ〜らゆ〜らと揺れて、しかもちと長めである。割と気持ち悪い。
 実は秋田の沖には、ここしばらく地震の起こっていない区域があって、これを「地震の空白域」と言うのだが、数十年というスパンのどこかで、大きな地震が起きる可能性があるという。具体的な数値は忘れてしまったが。*1
 どうやら割と敏感なタチらしく、すぐに気付く。職場なんかで、一人だけ周りを見渡していることがある。気付かない人には、虚空に視線をさまよわせているように見えるようだが、高いところにあるものとか、吊ってあるものを確認しているのだ。
 寝てるときなんかには飛び起きるが、それは、布団の横に本棚が並んでいるため、命にかかわるからだ。阪神淡路以来、それはやってはいかん、ということはかなり浸透しているはずだが、2 間しかないアパートでは、「寝室に物を置かない」というのは実現不可能だ。
 ほかに、寝室に靴を置け、とか、まずドアを開けろ、とかあったと記憶しているが、実践してる人っているのだろうか。*2

 さて、地震について、「地震」以外の言い方を思いつく人はどれくらいいるだろうか。
 ほとんどないはずである。「梅雨」に「つゆ」と「ばいう」、俚言形で「にゅうばい」という言い方があるのとは異なる。
 実は「ない」「なえ」という語がある。「なゐ」と書いているホームページもある。これは、東北や九州など、いわゆる「周縁」部にわずかに残っている「古形」で、方言周圏論の話なんかで出てくることがある。に紹介した『小学生の新レインボー方言辞典』にも載っている。
 なんで、「地震」に席巻されちゃったんだろうねぇ。

りしん」という形が、三重県浜島町岐阜県山県市などにある。東海ないし近畿にかけての太平洋側、というあたりか。これは単に音が変わっただけだろうと思われる。
 長崎や佐賀辺りでは「ゆり」「ゆい」と言う。これは「揺れる」。

 さて、地面が揺れることをなんと言うか。
「地震が起こった」「発生した」「あった」あたりであろう。
 これを「地震がいく」と言うところがある。
 どうやら京阪神地区らしいのだが、ここは「皺になる」ことを「皺がいく」と言うなど、「いく」の守備範囲が非常に広いところなので、それに含まれるのかもしれない。全国大阪弁普及協会に寄れば、「火事」も「いく」らしい。
 また、「地震がいる」というのもある。ネットで検索した範囲では、愛知、鳥取、奈良、東京と散っているので、俚言形というにはちょっと躊躇を感じるが、まぁ、そこは置いとくことにする。
 地震は地下の鯰が暴れるために起こる、という言い伝えもあることだし、それで「いる」なのかと思ったが、「揺れる」「揺する」の変化ではないか、というページが見つかった。ためしに「地震が揺る」という表現を Google であたってみたら、いくつか見つかった。
「あらわれる」なら「現れる」と「現われる」の二つの表記があって、それこそ「揺れ」が生じることもあるだろうが、少なくとも現代語では、「ゆれる」を「揺る」とは書かないはずである。仮名漢字変換でこれをやろうと思ったら、おそらく、「揺れる」と出してから「れ」を削除しなければならない。その手間をかけているところを見ると、やはり「揺る」と書いて「いる」と読む地域がある、と考えるべきなのだろうか。
 が、「揺る」だけで検索してみると、結構な数のページが見つかる。「揺るやか」なんていう誤変換や、「寄る」の誤入力と思われる「揺る」があるところを見ると、「ゆる」で「揺る」と変換する IME があるようだ。

 男鹿では、地震が起こったときのおまじないとして、「くまじゃら」と言うそうである。
 これは「くわばら」ではないかと思う。変形にしては変形しすぎのような気もするが、先頭と末尾は合っている。
 なんで「桑原」なのかについては、雷神が桑を嫌うから、というのと、菅原道真が流刑になった折、京を天変地異が襲ったが、菅原道真の領地であった桑原という土地にだけは雷が落ちなかったから、との説がある。
 そのたたりを避けるために慌てて菅原道真を神様に仕立て上げたのが天神様、というのは有名な話。カンコー学生服の「カンコー」は「菅公」で、学問の神様である菅原道真のこと。なんだか「トリビアの泉」みたいになってきたな。

 江戸末期、「鯰絵」というのが流行った。これは、地震を引き起こす鯰の絵である。具体的には安政の大地震 (1855) の時期のことだ。
 なんで地震の原因である鯰の絵が流行ったかというと、地震が起きれば家屋は倒壊するが、それによって建築需要が発生する。それだけでなく、色んなことがチャラになって新しくやり直すことになる。つまり、地震は一種の「新規まきなおし (new deal)」だったのである。*3
 今の時代、地震が来たからって喜ぶ奴はいない。まきなおしのしようがないもの。公的な支援だって全然、頼りにならないし。
 東京への一極集中なんて難しいことを持ち出すまでもなく、発電所や送電線がいかれたらおしまいである。進んだ社会って、とてつもなく危うい。





*1
地震調査研究推進本部」という組織が総理府内にある。秋田については、このページにまとめられているが、それにしても、“jishin.go.jp”て。“tsunami.go.jp”というのはなかった。()

*2
 前者は、裸足では避難に支障をきたすから。外に出るまでに台所を通らなければならないとすると、そこはガラスの破片の海になっていると考えなければならない。
 後者は、枠ごと組み付ける種類の引き戸ではないドアのことで、枠が歪んでしまうと、そのドアはあけられなくなってしまうから。頑丈であればあるほど、歪んだときに手の施しようがなくなる。(
)

*3
 ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」は教科書にも載っている有名な施策だが、この“deal”は、自動車販売店の「ディーラー」ではなく、カジノにいる「ディーラー」の方で、トランプを配ることを言う。それこそ「チャラにしてやり直し」なんである。とんでもねぇところだ。(
)



"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第362夜「雷・火事・おやじ」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp