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Shuno の方言千夜一夜
第263夜
ことばのウチとソト I
世の中がどんどんきな臭くなってきている今日このごろだが、それにつけて思い出されるのが「
スケバン刑事
−風間三姉妹の逆襲−」で風間 唯 (演ずるは
浅香 唯
) が言った「
踏みにじられる者の怒り受けてみぃ!
」という台詞である。
いや、年金を払うだけ払って自分はその恩恵にあずかることのできない我々の世代とか、国から早く死ねと言われていることにやっと気づき始めた老人とか、怒る人は怒っているのだが、なんか動かないのね。相変わらず投票率は低いし、選挙の結果に変化はないし。
肉業界は瀕死。大臣がモノ食ってるのを見せられるのは何度目やら。秋田県はじめ官々接待で激震の地方自治体から、こともあろうに国家の大事を預かる国の役所が何も学ばなかったというのは、実に注目するべき事柄ではないかと思うのだが。
まぁ、東大性は馬鹿になっているという話もあるし
*1
、それが本当なら、中央官庁のレベルも推して知るべしか。
こんなことを言い出すのはなぜかというと、中公新書の『
東北−つくられた異境
』を読んだからである。正確にはこの文章を書くために読み直したのだが。
第五章「開発と差別」という章に「三陸津波の衝撃」という説がある。
三陸津波は 1896 年に起こったもので、死者 26,000 人を数えた大惨事である。1995 年の阪神淡路大震災での死者は 6,400 人。その時代、しかもお世辞にも人口密集地とは言えない地域でこれだけの死者だから、その規模が想像を絶するものであることがわかる。
で、ここで問題になったのが言葉だという。
つまり、治療したいのだが、何を言っているのかわからない、というのである。赤十字社の救護員は、必死に推測してわかるのは一割二割、と言った、という記事があるそうだ。
それ自体はやむを得ないことである。だが、このことは、東北が「異境」であることを強烈に印象づけてしまった。
それ以前、既に東北は異境であり、他の (西日本は勿論、薩長土肥をベースにした明治政府のある関東にとっても) 蛮族の住んでいる地域であったから、世間の同情を得ることができず、国庫からの補助も少なかったらしい。
1983 年に起こった日本海中部沖地震は、発生当時は「秋田沖地震」と呼ばれていた。これは、「秋田沖」だと被害に遭ったのが秋田だけという印象を与えてしまい、青森や山形に対する予算措置が薄くなるためだという話を聞いた。この百年、お国のやることはほとんど進歩していない。
1900 年頃になると、飢饉が東北の太平洋側を襲う。これによって、東北が遅れた地域である、という認識はいっそう強くなった。
機を同じくして、「標準語」制定の動きが出始める。
「標準語」は、既に取り上げたとおり、対外的な膨張政策と緊密にリンクしている。つまり方言は、国の施策にとって邪魔なものだったのである。
*2
であればこそ、「
方言札
」のような、子供の教育という観点から見たら悪影響を与えないはずのない方法が編み出されるわけだ。
この本は、全体としては七章からなる。いきなり五章を取り上げたのは、方言にまつわる部分がそこにあったから、というのもあるが、それ以前の章は「
東北はそれ以外の地域から見たら
モノ
であった
」」とまとめることができるように思われるからである。
実際、中世は金、江戸時代は米、明治以降は労働力、と、江戸や京都に対しては、自らを切り売りしてきた。それ以上のことをしてこなかったのは、まぎれもなく東北側の問題だが、東北以外の地域にとっては、替えの効く存在だった、ということは言える。
つまり、外から見た場合、意識の上では、そこには人はいない。
話は急に変わるが、世の電気製品の多くがリモコンで操作できるようになっている。だが、その電源はほとんどが単四電池である。
そこでみなさんに伺いたいのだが、リモコンの電池が切れていることに気づいたとき、すぐに単四を入手できますか。
俺の場合、ごく最近まではできなかった。この 7 月に、歩いて 10 分の場所に
LAWSON
がオープンしたから、今はなんとかなる。その前までは、自転車で 10 分ちょいかかった。これは、行こうかどうしようか迷う距離である。
昨今の電気製品はリモコンにおんぶに抱っこで、リモコンがないと実行できない機能が多い。もし、電池が切れたときに雨が降っていたり、あるいは、それが冬だったりしたら、俺はビデオの録画は諦める
*3
。
これは恐らく、都会を基準にしているからである。実際、杉並に住んでいたときには、歩いて 5 分のところにコンビニが 2 軒あった。
そういうところで暮らしている人がモノを考えると、単四でいいや、となるのだろう。
同じことが方言についても言える、ということである。
*1
『
東大生はバカになったか
』立花 隆著
(
↑
)
*2
『
日本語の近代
』小森陽一、岩波書店
これについては
既に
取り上げた。
(
↑
)
*3
買い置きしとけ、という意見はあると思う。俺も買い置きはしてある。
だが、買い置きしなくてもいい人がいるというのは事実。そこにある差は意識して欲しい。
「買い置きしとけ」という意見は、その差に気づいていない人の意見である、と俺は考える。
(
↑
)
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